『引き裂かれたイレブン ~旧ユーゴのサッカー選手たち~』 | da sowshall

『引き裂かれたイレブン ~旧ユーゴのサッカー選手たち~』

『引き裂かれたイレブン ~旧ユーゴのサッカー選手たち~』
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1999年、サッカーのヨーロッパ最強国を決める4年に一度の大会「ユーロ2000」の予選で、ユーゴスラビアとクロアチアの代表チームが内戦後、初めて対戦することになった。試合には、かつて「黄金世代」と呼ばれた旧ユーゴスラビア最後の代表チームのメンバーだった選手たちが、敵同士となって出場した。
番組は旧ユーゴスラビアの分裂を、当時は世界でトップクラスだったこのチームの分裂になぞらえて追い、内戦の悲劇を描く。

1987年、旧ユーゴスラビアのジュニア代表チームはチリで開催されたジュニア・ワールドカップで優勝する。メンバーは、「チリ世代」と呼ばれ、そのまま代表チームとしてワールドカップ優勝の期待をかけられるほど才能あふれた選手が揃っていた。しかし彼らを取り巻く国内情勢は、悪化の一途をたどる。1990年5月13日にザグレブのスタジアムで起こった暴動は、1年後に起きるユーゴスラビア分裂の最初の兆候だったのかもしれない。
1991年、クロアチアが独立すると、それまでユーゴスラビア代表選手だったクロアチア人選手らがチームを脱退。さらに、困難な状況の中でも多民族の代表チームをまとめ続けたイビツァ・オシム監督が辞任する。ユーゴ連邦軍による故郷サラエボへの砲撃が始まっていた。
そしてスウェーデンで開催されたユーロ1992の本大会。代表チームは国連の対ユーゴ制裁を理由に、1試合も戦うことなく、強制帰国させられる。その後、激化した内戦によってユーゴ代表チームは活動停止を余儀なくされたのだった。
1999年のユーロ2000予選のユーゴスラビア対クロアチアの2試合は、厳重なセキュリティーのもと行われた。緊張感が張り詰める中、心配された暴動もなくユーゴスラビアがユーロ2000出場権を勝ち取る。
旧ユーゴ分裂は、幼い頃から共に国の代表として戦い、親友だった選手たちにそれぞれ別の国家を選択させた。ボバン(クロアチア)のようにためらうことなく選べた選手もいれば、セルビア人とクロアチア人を両親に持つミハイロヴィチのように、選ぶことは不可能だという選手もいた。
クロアチアの首都ザグレブでの試合を終えて帰路についたユーゴスラビア代表選手たちが歌う「私の青春はなんと悲しいのか」という歌詞は彼らの気持ちを代弁しているかのごとく響く。

原題: The Last Yugoslavian Team
制作: NPS/PvH (オランダ 2000年)