「どうする家康 第19話」関連史跡の紹介です。
戦国最強の「武田信玄」であるが、最後の時を迎えた。
「三方ヶ原の戦い」で圧勝した武田軍であったが、上洛の
途中に信玄の病気の為?、急きょ甲斐に向け引き返したが、
元亀4年(1575)4月12日、途中の信州根羽(駒場など
諸説あり)で病に倒れ亡くなった、享年53歳。
信玄の死は、「鉄砲で狙撃を受けた傷から」と「病気説
(胃ガン、肺結核等)」が主な説と伝えられている。
以前に訪れた時、平成26年(2014)11月23日の
画像で史跡を紹介します。
野田城址と狙撃場所の画像紹介です。
元亀4年(1573)1月、野田城をめぐり武田軍との戦いがあった。
野田城址碑 新城市豊島字本城地内
説明をお読みください。
本丸跡
伝 信玄公 狙撃場所
笛の音に誘われた武田信玄を 付近より火縄銃にて狙撃した。
その銃は 銃身だけが 設楽原歴史資料館に展示してある。
新城市教育委員会 と書かれてありました。
武田信玄 終焉の地
史跡 信玄塚 長野県下伊那郡根羽村横畑
説明をお読みください。
国道153号線沿いに大きな「信玄塚」の看板があるが、
ここは宝篋印塔があり、信玄塚は上の説明では、153号沿いに
「風林火山騎馬隊の大壁画」の東方国道敷に埋没されている。
とありますが、そこには訪ねていないので画像はありません。
家康は武田勝頼の「武田軍」との戦いは、
これから「長篠・設楽原の戦」があります。