先日の日記に、広島のいちごさんが、
「神社は、お願い事をする場所ではなく、神様に感謝を伝える所という認識も、一般化してきました」
とコメントを書き込んで下さいました。
5円10円のはした金を賽銭箱に放り込んで、手前勝手な願い事をして帰るというのは、あまりに虫のいい話で、そんな手合いに神様が感応なさるとも思えませんから、ようやくまともな認識が普及して来たと見て良いのでしょうか。
私自身、神社で願い事をするということは、まずありません。
護摩木や絵馬の奉納では何か書かないといけませんので、そういう場合は「神恩感謝」と書くようにしています。
私の師の一人は「神恩感謝 心身健全」といつも書かれていました(そのお蔭かどうか判りませんが、今年で95歳。デイサービスの類も利用せず、未だに自炊生活をされています)。
ところで、神様に感謝を伝えるといっても、一体、何に対して感謝するのでしょうか?
自分や家族が無事に過ごせていること?
勿論、それも間違いではありません。
でも、本当に神様に対して感謝するのは、ちょっと違う事に対してです。
それが巡り巡って自分や家族の平穏な生活に繋がっていると言えなくはないのですが、神様は普段何を目的にどんなことをなさっているのでしょうか。
ここから先はタントラの部分なので、公には致しません。
本当に神縁のある方なら、いつかそのことをお知りになる日が来るでしょう。