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篠野涼子 1982年7月25日生まれのA型

 

私が数珠という本来は仏教用具である筈のものと関わるようになったのは、ひょんなことからですが、素養(というほど大したものでもありませんが)は小さい頃からあったらしく、私の父は信仰心は大して無いクセ、不思議と仏教美術が好きで、テレビでやっていた「四国八十八か所」や「仏像の旅」といったテレビ番組をよく一緒に観たものです。

 

なので、仏像や仏教建築などは割に身近に感じる存在でした。

 

深入りするようになったのは、小学校五年生の時、近くのダイエーに入っていた本屋さんで、どういう観点から興味を持ったのかは思い出せませんが、密教呪術に関する本を手に取ったことがきっかけです。

 

“密教呪術”などと言うと何ともいかめしい響きがありますが、実際には子供向けのオマジナイの本で、載っていた印やら真言やらを唱えたり、作り方の解説があった護符(お札)を見よう見まねで書いたりしたことを懐かしく思い出します。

 

密教と言えば、何といっても高野山ですが、我が家の近くを通っている高野街道は、その名の通り、かつては京・大坂から高野山への参詣道として用いられた旧道で、平安時代後期から鎌倉時代初期まで用いられたとされる西高野街道も、子供の頃から身近なものでした。

 

幸い、自宅から車で二時間ほどの距離ですので、父にせがんで、高野山は随分早くに連れて行ってもらい、奥之院では熱心な参詣者に混じって光明真言を唱えたりしました。

 

ちょうど、その頃に手に取って、よく読んだものに、学研のブックスエソテリカシリーズがあります。

 

シリーズの第一冊目は『密教の本』で、私がこのシリーズを知った時は、8冊目の『修験道の本』が出る直前のことでしたから、時期もよく覚えています。

 

ブックスエソテリカのお陰で、私の興味は様々な伝統宗教に向かって行きましたが、奇しくも当時は同じ学研のムーブックスというシリーズの全盛期でもあり、“現代の仙人”と呼ばれた高藤聡一郎先生の超能力仙道シリーズが続々と刊行されていた時期でした。

 

高藤仙道本を読んでからは、能力開発の分野にも関心を持つようになって、以降は様々な高速学習や食養生の本も読むようになって行きます。

 

実際に、知的関心の段階を超え、精神世界の扉を開いて足を踏み入れたのは、高校三年生の時です。

 

夏休みが終わった頃、“ジェネラル宮崎”こと宮崎学先生(キツネ目の人とは同名異人)が講師を務めるシルバメソッドというセミナーを受講したのですが、4日間の講座はとても刺激的で面白く、参加している方々の異様な個性にも度肝を抜かれました。

 

その時、知り合った人の中には瞑想のエキスパートから手技療法の名人まで、実に様々な人が居て、良くも悪くも色々な影響を受けたと思います。

 

当時お世話になったヨガの先生からはゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想を教えられ、シルバメソッドの須崎恭彦先生からは、今は亡きカール・サイモントン博士のサイモントン療法を紹介して頂きました。

 

同じ頃、奇妙な武術団体にも入って、支部活動などもするようになっていましたが、振り返れば、この頃にはチャネラーやら超能力査察官やら、珍無類の人たちが周りにはワンサカ居るようになっていました。

 

ただ、この辺りから10年近く、私の人生は低空飛行に入ります。

 

やる事なす事上手く行かず(今では原因もよく判っているのですが)、体の調子も悪くなって行きました。

 

そんな時、奈良県の或る霊場で、不思議な修験者さんと出会います。

 

少し世間話などする内、その行者さんとすっかり打ち解けた雰囲気になりましたが、恐らく霊眼が開いていたと思われるその行者さんは、首に掛けていた数珠を外して私に差出し、

 

「おまえさんにこの数珠をやろう。これはな、儂と二十年修行を共にしてきた数珠じゃ。儂の今世の行はもうすぐ終わるが、お前さんはまだまだこれからじゃろ、この数珠を持っておきなさい。きっと役に立つから。実はな、儂は少し前から、この数珠を誰かに嫁がせる夢をよく見るようになったんじゃが、その相手がお前さんであることが今わかったのじゃ。さぁ、持っておいきなさい。」

 

と言って私に数珠を握らせると、行者さんはすぐにバス停の方角へ歩いて去って行きました。

 

それから二年ほど、私はこの数珠のことをすっかり忘れてしまっていたのですが、或る日、ふと思い出して、何とはなしに首に掛けてみると、一週間ほどして、背骨から骨盤まで綺麗に整い、体調が非常に良くなっていることに気付いたのです。

 

また、10年近く悩まされた接触性皮膚炎も目に見えて改善していました。

 

しかし、人間の体にはバイオリズムというものがありますから、たまたま調子の良くなる時期に、数珠を身に着けただけなのかもしれません。

 

そこで、数珠を外して暫らく様子を見ることにしました。

 

すると、一週間ほどかけて徐々に元の状態に戻って行くことが確認出来ましたので、今度はもう一度数珠を着けてみると、一週間ほどでやはりどんどん状態が良くなって行くのです。

 

これでもう間違いありません。

 

行者さんから貰った数珠には、体の状態を劇的に改善してくれる効果があったのです。

 

私は「これはスゴイ!」と思い、周囲の人たちにくだんの行者数珠を見せて回りましたが、誰もがその浄化力に驚き、どうしても譲って欲しいという方さえ現れました。

 

とは言え、数珠は一つしかないので、そうもいきません。

 

そこで、行きつけの行者用品のお店で、同じような数珠を作ってもらおうという話になりました。

 

劇的な浄化力は、行者さんの法力が宿っている為かも知れず、同じ効果が得られるかは未知数でしたが、私が貰い受けた数珠は二十年の酷使によって、かなり磨滅も激しく、恐らくは割れてしまったのでしょう、108個あるはずの主玉も一つ欠けてしまっていました。

 

流石に、いつまでもこの数珠を使い続けるという訳にも行かないように思われたので、スペアの意味で私ももう一本同じような数珠があればと思うようになっていました。

 

しばらくして、お店に現物を持ち込んで見てもらったのですが、提示された見積額はナント、五万円!

 

それまで行者用品の店で目にしていたようなイカついもの(首から掛けると腰まで届くような)ではなく、小さな数珠でしたので、恐らく一万円位で出来るだろうと漠然と思っていたのですが、この時初めて知ったのは、金剛菩提樹というのは、大きさが小さくなるほど希少価値が高く、値段も大きさに反比例して行くものだということです。

 

このお店でも、私が持ち込んだサイズ(尺四)は非常に高価な為、5年ほど前に仕入れたものが一本売れ残っているだけということで、同じサイズで作るなら玉を確保するのも大変なので、完成までに数週間見て欲しいとのことでした。

 

五万円と言われては、庶民にはちょっと手が出ません。

 

欲しがっていた友人の一人は高くても良いということでしたので、一本はサイズも含めオリジナルと全く同じ仕様で注文し、私も含めたその他の庶民は、行者数珠としては標準サイズの尺七で作ってもらうことにしました(この時に知ったのですが、私が貰い受けた数珠は効果を高める為のカスタマイズが施されており、あの行者さんがやはり只者でないことを思い知らされた次第です)。

 

ひと月ほどして出来上がって来た数珠は、オリジナルの持つ独特な(カラっと乾いたような)浄化力には及びませんが、期待した以上の出来栄えで、浄化力も中々のものでした。

 

お分けした皆さんも中々気に入ってくださったようです。

 

しばらくして、体が軽くなった、不眠症が改善した、気感が高まった、など様々な感想をシェアし合いました。

 

これ以降、人づてに数珠を所望される方や、石を別のものに変更した数珠(行者数珠の石は水晶でしたので、プロトタイプは全て水晶で作成しました)を希望される方も出て来るようになり、開運数珠ネックレスのそわか立ち上げに繋がっていくのですが、この頃には私自身、数珠に対する興味が強くなって来ていた為、様々な文献を紐解いたりして、数珠について深く調べるようになっていました。

 

そんな折、さる高名な数珠の研究家とご縁を頂き、江戸時代から続くその筋では超一流の工房を紹介してもらうという幸運が舞い込んできたのです。

 

この工房は使用する材料も一級品で、一つ一つ日本の職人さんが手作業で製作されており、初めて訪問させて頂いた時に拝見した見本も大変に素晴らしいものばかりでした。

 

幸いにもその工房で製作をお願い出来ることになりましたが、ラインナップが水晶一種類というのは如何にも淋しいので、目的に合わせたものを他にも作ってはどうか?とアドバイスして下さったのが、古い友人で優れたチャネラーでもあるK先生でした。

 

ここから、試作を繰り返す日々が始まりましたが、これが予想した以上に大変で苦労の連続でした。

 

まず、石には相性があり、組み合わせてはいけないものや、主玉となる金剛菩提樹との相性が悪いものもあり、中々コレゾと思うものが出来ません。

 

良い組み合わせが出来ても、希少性の高い石は安定した製作を続けられるだけの量を確保出来ませんし、効果が高い反面、身体への負担の大きいものが結構あることも知りました。

 

そんな時、私を導いて下さったのが、占星術家のA先生で、K先生とA先生はそれぞれの観点から、貴重なアドバイスを沢山下さいました。

 

結局、現在の開運数珠ネックレス六種類の仕様を決定するまでに二年近くかかってしまいましたが、両先生が居られなかったら、とてもここまで来られなかったでしょう。

 

私に最初の数珠を下さった不思議な行者さん、工房を紹介して下さった数珠研究家の先生、占星術家のA先生、チャネラーのK先生…、開運数珠ネックレスのそわかの立ち上げは、誰一人欠けても成し得ませんでした。

 

加えて、何か見えない力の後押しのようなものがあったと今になって感じています。

 

私に大きな影響を与えた父の座右の銘は「一期一会」でした。

 

このブログでの出逢いもまた一期一会だと思います。

 

一つ一つのご縁を大切に、開運数珠ネックレスの魅力と効果をお伝え出来ればと願っています。