京大生の親への道

桜🌸咲くラブ

去年のリベンジが今年達成出来まして、我が子は京大生になる事が出来ましたウインク

そりゃあ嬉しかったですね、3/10の12:00過ぎの合格発表は。

(4/2, 京大工学部前にて)

合格発表の時、ワタクシは丁度在宅勤務中。某LSI Foundryに努めていますが、3/Eまで在宅勤務が延長になりました。Office勤務と在宅勤務がTeam別で毎週入れ替わりで実施されており、その週は丁度在宅勤務の週になると言う絶妙なタイミングだったので、「おっ、これは何かの巡りあわせか?」と思ったのを良く覚えています照れ

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今年の入試は共通テストから色々とありましたね。数学や理科がかなり難しかった事もあり京大出願に結構ドキドキもしましたが、京大工学部で傾斜配点が100/100掛かる社会が96点だった事が、最終的に大きな自信をもって出願出来た要因と言えるかもしれません。

 

11月の模試(駿台、河合)の結果はC(第一希望学科, 第二希望の工業化学はB)。8月と判定変わらず。浪人生なら第一希望を出す事に躊躇するかもしれませんね。でも、受験生の大先輩である自分の考えとその作戦が、我が子のそれと同じだった事や「Cでも京大受けるんやろ?」「うん」と言う会話で親としても覚悟を決めました。

 

この「京大生の親への道」では、親である自分が考える教育の話(学歴偏重しているつもりはありません)と、我が子の勉強方法、購入した(買って、と言われれてAmazonで発注した)参考書等を書いて行こうと思います。

(2/24, 受験当日の朝、京大吉田講堂前にて)

 

そんなアナタは京大生なんやろ?と思われるかもしれませんね。でも実はワタクシ自身は紆余曲折ばかりです照れ。阪神間では進学校として有名どころの私学に6年間通い、高3のセンター試験は600点前後と悪く、第一希望の神戸大すら受けさせて貰えず。母親からのプレッシャーに負けて教育大を受験させられ、「ここはオレの行くところじゃない」と思って全問回答(≠正解ではない)しながらも受験番号と名前を書かずに浪人をその年の2月に決定。予備校では京大理系クラスを選択し、何とか1年頑張るも息切れ(周りのレベルの高さについて行くのが大変)、結局神戸大農学部不合格、滑り止めの関大工学部へ。そして3年の時にバブル崩壊して関大のままでは就職出来ないため、大学院では阪大工学部へ(この時の阪大工学部化学系の大学院は、いわゆる外様には辛い環境でしたが良い恩師には出会えましたね)。だから「我が子は、自分が無しえなかった京大へ!」と思って子供をPushしていた訳ではなく、何か自然に県下最難関高校へ行き、最終的に京大を志望していましたね。いや実に不思議です。

 

*我が子は4月から一人暮らし。流石に東海圏から通えませんからねニヤリ

でも、、、うーん、親としては実に寂しいですね実際にはショボーンこれは親としては耐えないといけないポイントです。時間が解決してくれるかな、これは。まさに今耐えているところですが、嫁さんの方が余計に寂しいかもしれないなぁ。