子どもの頃 誕生日を迎える度に

 

母親に「年ばかり食って進歩が無い」(勉強をしな事)

 

と言われ続け今に至るが、人の成長とは何だろうか?

 

自分を変えるとは如何なる事なのか?

 

 

 

 

子どもの頃、友人と言うのは複数になると

 

必ず優れた者とそうでない者とが現れ

 

そこに様々な格差が表れた。

 

それは大人の世界でも同じ事なのだが

 

 

 

 

楽しく遊んでいたつもりでも格差により

 

はじき出されることがしばしばあった

 

私は集団のリーダーでも無ければその側近でもなかった

 

自分が悪くて弾かれた時もあるが

 

大半は暴君の機嫌の一声である

 

暴君の機嫌の一声に周囲も耳を貸し似たような事をする

 

そんな時私は自分は悪くないと思いながら

 

仲間外れにされる事を恐れ「ごめんね」と暴君に機嫌を取って

 

その場にいる事を選んで過ごしていた。

 

私はそんな自分が嫌いだった

 

一人で居る強さを身に着けられたら

 

おべんちゃらかます、ダサくて惨めな

 

自分じゃなくって済むだろうに…

 

 

 

 

中学3年周囲が受験シーズンに入り始めた頃

 

北斗の拳やクローズといった漫画を読んだり

 

横道坊主やスタークラブなどの音楽を聴き過ごした事で

 

イヤなものは嫌だと言える強さを意識し始める

 

高校は良くしてくれた友人もいたが

 

誰かとつるむような真似が過ぎると二の舞だと感じ

 

少しづつ一人で居れる力を養った

 

(幸い仲間外れ的な事は殆ど起きなかったし

 

自分から輪に対し距離を取っていた)

 

 

 

 

 

高校卒業後は信念を具体化するために振るまっていったし

 

格闘技を初めて(別に強い訳じゃないが)会った同級生が

 

息を巻いてきたら片っ端から血祭にあげてやろうぐらいに思っていた

 

その後はコミニュケーション不器用な私に良くしてくれる人も多かった

 

思えばそれを克服するのに永い時間を弄した

 

小学校位で強く感じ克服できたと感じたのが18歳位だろうか…

 

 

 

それが成長であると今思う、この克服があったからこそ

 

今の私がいるのだ。

 

今大人の世界で生きていて思う、この世界はガキの頃と一緒で

 

何ら成長していない者ばかりである

 

暴君に上手くやろうが、複縦しようが

 

それは小手先のテクニックで逃げ回って

 

矛先が来ないだけで克服出来ていない

 

子どもの頃と何ら成長していないのだ

 

そんな人ばかりで溢れかえっている

 

私にはそれが良く分かる

 

人から変に思われてなぜそんなに堂々としてるかって?

 

俺が変なんじゃねぇ!お前らが変なんだよ!と冗談っぽく言ってるが

 

教室で起きている出来事がそっくりそのまま大人の世界でも起きている

 

それを見て「あぁこいつら成長してねぇ~な」って思う

 

ガキの頃俺が苦しんでた事でこいつら未だに苦しんてるわ~

 

それで大人の顔をしてるから飽きれるよ~ 

 

貴様らの居る場所は私が23年前に通り過ぎた場所だ!!(列 海王)