偉大な革命、その壱

 

「弘(ヒロシ)の書斎」という看板が目印の作業スペースで、今日も遺物を丁寧、そして綺麗に磨く男がいる。彼の名前は「中村弘(ナカムラ・ヒロシ)」、今年27歳。午後8時の夜にもかかわらず、ホログラムの光が紙や本棚、そして遺物を照らし、学問の神聖なオーラを感じさせる。空気には、あたかも数十世紀に渡って蓄積された知恵が染み込んでいるように、知的なエネルギーがあちらこちらに存在していた。細心の注意を払って作られたマホガニーの机の上に置かれた骨董の表面は穏やかで、かつて亡くなった探検家達が旅した多くの国の痕跡を秘めていた。それらは、物語への弘の敬意の証としてじっと立っていた。

 

絵の具に濡れた筆がキャンバスに描かれ、不滅の革命家の肖像画で埋め尽くされた白の壁は、この部屋の性質をある程度表しており、彼らの圧倒的な瞳は自分を守る弘の一挙手一投足を見つめているように感じられた。テーブルに座った弘iの目はホログラムの画面を見つめながら点滅し、その画面にはデータ、図表、しすて注釈がひたすら並び表示されていた。現代の技術と過去の遺産が混ざり合った奇妙な部屋であった。たとえ膨大なデータであっても、ホログラムのシンプルな青いインターフェースには、弘の効率を追求する性格が反映されていた。書斎のミニマルなデザインに滑らかに組み込まれたそのインターフェースは一見地味に見えるが、その中には情報の混沌に包まれていた。新たな知識に決して譲らない彼の目は、あたかも吸血鬼のように常に満たされない渇望、すなわち時間と空間の境界を越えた渇望を露わにし、悟りへの探求を続けるように導いた。弘はテーブルに置かれたノートパソコンを眺めていた。十本の指はホログラムのインターフェースで、あたかも迷路のような歴史の一ページを探りつつ踊っていた。それは未知を探求する探検家のような巧みさであった。画面には未知の真実、隠された謎が、弘iに発掘されて深海から浮上する日を待っていた。

 

壁にはスパルタカス、ジョージ・ワシントン、カール・マルクス、ウラジミール・レーニン、ヴァレリー・ザブリン、トーマス・サンカラの肖像画が飾られていた。歴史の一ページを象徴する彼らの厳かな顔は、金箔の額縁と調和して神聖な雰囲気を醸し出していた。トーマス・サンカラ以後、偉大な革命家は出てこなかった。画家がキャンバスに筆を振るう度に、その一筆一筆は史上の人物が歩んできた道を示唆するだけでなく、彼らの精神の本質、彼らの情熱、彼らの闘志、自由と正義のために闘っていた変わらぬ献身を明らかにしていた。弘が肖像画を見つめつつホログラムに映し出されるところに座っていると、自分自身を見つめる彼らの厳粛な雰囲気を感じられ、それは「大義」への彼らの責任を暗黙のうちに思い出させるものであった。

 

人類の歴史の巨大なタペストリー、すなわち喜劇と悲劇、勝利と敗北の瞬間を見せていた。弘は過去という深海に埋もれている隠された真実を見つけ出すという決意して、終生働いてきた。彼は東アジアや東欧の歴史を探求することが好きであるが、普通の日本人が知らなく、失敗したこともあるが、万が一成功したら歴史を変えられる革命史の探究が最も好きであった。明るい照明の下、弘は机にしゃがんだ姿勢で座り、滑らかなテーブルの上に整然と並んだ歴史書や写本を眺めていた。今彼の周りには、あたかも太古から今に至るまでの人間の闘争と勝利が壁に染み込んでいるような厳粛さが漂っていた。温度を調節し、空気を浄化し、過去の貴重な遺物を守るための最適な条件を保っていた。弘の指は風化した本の微かな文字を追って過去の記録を深く掘り下げ、彼の額は集中力によって眉をひそめていた。機械ではなく人間が作り上げたテーブルは驚異を示し、テーブルの隅には磨き上げられた大理石で作られた石板が置かれていた。「現在というものは、過去のすべての生きた集大成である」と書かれていた。

 

歴史に対して、若い頃から燃え上がった弘の好奇心は、時が経つにつれて益々強烈になった。これまで弘iは多くの革命史を調べてきたが、資料が詳細に存在するイギリスやフランスのような西欧に比べ、ロシアや中国のような「社会主義圏」に関する資料は足りなかった。社会主義圏の革命史は、資本主義圏の革命のように未来志向であった。反乱と激変、社会と政治の変革の物語は、他の歴史では不可能な方式で展開されていた。1917年のロシア革命から1893年のトーマス・サンカラのクーデターまで、弘は抑圧に立ち向かって最善のために戦う「普通の人々」の物語に惹かれることに気付いた。それは彼のキャリアを築くきっかけとなった魅力であり、22世紀の革命史の重要な権威者へと導いた。事実上、社会主義圏の歴史を詳しく研究する日本人は弘しかいなかった。そういうわけで、革命史を勉強している生徒達が訪れたりもした。それでも、弘の知識には限界があった。

 

研究に没頭する弘の頭の中には、人類の歴史を変えた数々の革命が絶えず浮かんでいた。それぞれの革命は人類の不屈の精神の証であり、群衆の力と自由と正義への絶え間ない願望を思い起こさせた。しかし、彼は英雄と闘争と勝利の物語の中で、その中心にある複雑さと矛盾、すなわち、どんなに崇高な大義名分があっても、それに伴う悪影響を鋭敏に認識していた。弘のテーブルの上には、膨大な歴史のデータベースにアクセスできるブレイン・マシン・インタフェースや、革命の瞬間を驚くほど正確かつ詳細に再現するシミュレーションのホログラムなど、最先端の技術が完璧に備わっていた。

 

弘にとって、この複雑さはこの主題の魅力をさらに深めるものであった。彼は埃の積もった別の本のページをめくる度に、まだ解明されていない歴史の秘密と、これから解き明かされる謎への期待感で血管を伝って戦慄が走ることを感じた。薄暗い照明の書斎を眺めつつ過去の遺物に囲まれた弘は、革命の中心部への旅はまだ終わっていないことに気づいた。肖像画が飾られた壁には本棚があり、そこには英雄達の幼少期から革命活動、そしてその後の人生が赤裸々に記された多数の本が並んでいた。過去が忘れ去られ、大衆が歴史を不要であると考える現代、弘は自分一人で純粋な歴史と共生していた。書斎は彼の探求のための安息の場に、実験室になってくれる、あたかも生き物のような存在であった。月明かりに照らされた窓を背に、彼は歴史の最深部まで躊躇なく掘り下げ、過去の謎を少しずつ解き明かしていた。古い時代の痕跡に囲まれつつ作業に没頭している間、弘は決して忘れたくない深遠な目的意識を感じ、人間に秘められた無限の可能性、歪んだ世界の変えられる希望の可能性を垣間見られた。

 

しかし、絶え間ない研究にもかかわらず、得られない知識があった。東欧の革命史は「明らかにされている箇所」よりも「隠されている箇所」の方が多かった。一見自然なことであるが、歴史学者の弘にとって違和感を感じる箇所があることは仕方なかった。日々調べた歴史を基に本を売って富を蓄え、それによって歴史において尊敬される権威者としての地位を証明し、知識の追求に費用を惜しまなかった。研究のために過去の資料を探したり、他の歴史学者と話をしたり、事実を証明するために直接各国を訪ねたりした。弘にとって歴史の探求ということは単なる学問的な努力でなかった。それでも、東欧の革命史は足りない箇所が少なかった。勝者に偏った記録を正し、時間の流れの中で見過ごされたり消え去った物語の人々に「声」を与えたいと思っていた。結局、弘は執着に近い執念を持ち、歴史の正確性への執拗な追求と、知られざる物語を明らかにしたいという願望に突き動かされ、自分が最近依頼された場所に足を運んだ。

 

弘は机から立ち上がった。彼の体内には期待感が駆け巡り、彼の一歩一歩はあたかも運命への大胆な歩みのように感じられた。研究室の入口へ向かう廊下を進む旅は、あたかも聖なる儀式のようであり彼を彼の熱望する夢の実現に一歩近付けている。廊下は時間の流れを颯爽(サッソウ)と進む一筋の曲がりくねった道のように感じられ、各々の明滅する光と陰影によって、弘がこの唯一無二の目標を追求するために費やした数え切れない時間の証となっていた。そして彼が前に進むにつれて、彼の心は無数の疑問と莫大(バクダイ)な可能性で騒めき、それぞれが彼に未来への魅惑的な一片を見せている。

 

弘は心の中に興奮が高まることを感じた。後で自分の手がハンドルに触れると、ほんのりとした冷たい金属が彼の背筋を震わせるはず。間もなく、深い息を吸い込んでから扉を開け、その奥の薄暗い部屋に足を踏み入れた。即座にオゾンと機械の香りが彼の感覚を襲った。その部屋は現代の工学の驚異。天井には点滅する「月光発電機」が、壁には音を立てるコンソールが並んでいた。その中心には、彼が唯一無二の目的で発注したものがあった。それはタイムマシン!その滑らかな金属の形状は弘が未知の領域への誘いとして、床に長い影を落としていた。そして、そこには部屋の奥にひっそりと置かれていた。あたかも未知の冒険と未発見の真実を約束するように輝く、滑らかな金属のカプセル。その輪郭(リンカク)は滑らかで傷一つなく、その表面には「常に三つか四つ、心の中に夢の卵を抱いて生きる」という句で施されていた。弘がタイムマシンに近付くと、その素晴らしさへの畏敬の念を感じた。周りの空気は期待に満ちており、その部屋全体に霧ー不確実性ーが漂っているような感じであった。そして、弘がカプセルの表面に触れようとすると、彼の血管を通るアドレナリンする急増していることを感じ、新時代の一ページが彼の肩に伸しかかってくることを感じた。

 

このタイムマシンは単なる発明ではなかった。これは無限の可能性を秘めた世界への入り口であり、過去と現在、そして理論と現実の「矛盾」を埋めることのできるパイプ。時間が経つにつれ弘に期待は増していき、これからやろうとしていることの深刻さが益々現実味を帯びてくる。薄暗い実験室に立ち、機械の騒がしい音とオゾンの香りに包まれつつ、弘は自分の旅が始まったばかりであることに気付いた。本来なら、そばに助手がいるべきであったが、夜であったのでここには弘とエンジニアしかいなかった。タイムマシンに近付くヒロシの顔には興奮と決意が混じっていた。これは遊びのための旅でなく学問的な追求による努力の結果。彼は冷たい金属のカプセルに入り、温い空気を感じた。壁のスイッチを押して電灯をつけ、座席に座ると、コントロールパネルを眺めつつ画面を慎重にスクロールしタッチした。今回は東欧の有名な革命、ロシア革命の現場に行くことになった。

 

1917年11月8日。ボルシェビキによって革命が終わった日付。日本人には10月に起きた革命として知られているが、「グレゴリオ暦」を使う日本とは異なりロシアは「ユリウス暦」を使うので、ユリウス暦で計算すると10月26日である。資料が足りなくて豊富に論文を書けなかったが、リアルに書くなら直接体験した方が良いであろう。緑色のボタンを押して決定し、レバーを引くとエンジンの低い音が聞こえてきた。出発の準備である。弘は空気の微妙な変化を感じた。時空がゆがみ、重力が自分を引き寄せるような感覚であった。これから引き返すことも、彼が選んだ道の未来を推測することもできない。弘は最後に操縦(ソウジュウ)装置を確認して、これからの旅に備えた。その瞬間、弘を取り囲む世界は光と影の渦に溶けてしまった。それは方向感覚を混乱させ、あたかも永遠に続くように見える竜巻であった。しかし彼は緊張しつつも確固たる態度を維持し、時の奥深くへ果敢に突き進む数分間、決心は揺れなかった。そして突然始まった旅と同じに、その混乱は突然終わった。

 

タイムマシンは静かに路地に着陸し、外に出た弘の目には異国的な風景が強烈に迫ってきた。見つかったら変人に間違われる可能性があるので、この鉄の塊を処理するためにあちらこちらを見回す中、ボタンを押すと突然野球ボールのサイズに小さくなった。万が一の危険に備えて作った非常用装置であったはず。彼は10月革命の現場、「ペトログラード」に立っていた。現代はサンクトペテルブルクと言われる。群衆の蜂起によって空気は煙と火薬の悪臭で濃くなり、郵便局や電話局などの機関はすべてボリシェヴィキに支配された日である。夜の寒さと不満の響きが混ざり合うペトログラードの日陰の路地で、彼は革命のドラマが繰り広げられることの無言の証人として立っていた。小石の通りには明かりがほとんどなく、高層ビルもあまりなかった。ここが「1917年」であることを印象付ける雰囲気であった。空気は緊張感に満ちていてベールに包まれた期待が漂っていた。

 

ここはまさか撮影現場なのか?弘は疑心暗鬼と畏敬の念が入り混じった気持ちで周囲を見渡した。飛び散る紙まで彼がこの場所をよく見ると、臭い煙や近くから聞こえてくる叫び声など、リアルな雰囲気が漂っていた。隣の家の外壁は数十年も前に建てられたように朽ち果てており、その雰囲気はさらに増していた。意外と周りに冬宮殿は見当たらなかった。その代わりに、東の郊外にある「スモリヌイ学院」という女子校に人々が集まっていた。弘はターコイズブルーのスーツを着ているので誤解されるかもしれないが、バレることを覚悟してこっそり群衆の中に入ってみた。ここは1917年10月24日、前例のない大事件の現場。演壇の上にいる一人の男を中心に革命の炎が燃え上がっている。彼は弘を見つけたが気にせず再び群衆を見つめた。弘と一瞬目が合った男は「ウラジーミル・レーニン」であった。綺麗なスーツを着たまま大衆に向かってひたすら叫び、大衆は彼が言葉を発する度に歓声をあげた。そこで弘は労働者、兵士、そして知識人など多くの人々を見た。たとえ服装が少し変だとしても自分を学者と紹介すれば、恐らく疑われることはないであろう。

 

ウラジーミル・レーニンが共和国革命軍事会議、労働者評議会(すなわちソヴィエト)、ボルシェビキに囲まれたまま、熱心に手を振りつつやっている演説を聞いていると、弘はあたかも魂が抜けたように呆然としていた。ウラジーミル・レーニンを中心とした革命派に反対する勢力は強まる反発にもかかわらず、権力を守るために奮闘する穏健派の連合の臨時政府。彼らの階級はもはや労働者に支持されなくなり、直面する課題と闘いつつ決意が揺らいでいた。この脆弱性にもかかわらず、臨時政府は「2月革命」の成果を失わず、ロシアを「民主主義」の未来に導くという希望にしがみついていた。しかし「民主主義」を信奉する臨時政府は、もはや人民大衆に支持されなかった。資本家と妥協派は無能であり、いくら指導者がいてもボリシェヴィキを圧倒することはできなかった。ただの、希望に執着する旧時代の遺産に過ぎなかった。

 

「ソヴィエト権力とは何でしょうか?国民の大半が分かっていなかったり、分かりにくいこの『新たな権力』の本質とは何でしょうか?益々労働者の関心を引いているこの権力の本質は、金持ちと資本家が独占していた国家の経営権が初めて、これから抑圧され迫害された階級に与えられるということなんです」

 

レーニンの唇を通り過ぎる言葉は、すべて歴史の偉大さを証明していた。闇には光があるように、どんなに困る時でも英雄は消えないことを。これは単なる集まりではなかった。旧時代を根底から覆す変革の坩堝であり、人類史にとって重要な転換点である!弘はロシアの運命を決める一人の男の話に込められた力に畏敬の念を抱かずにはいられなかった。しかし、これからロシアに「展開される危機」を考えれば興奮しているにもかかわらず、表情が良いわけではなかった。自分が危険なところに足を踏み入れており、万が一、タイムマシンに問題が起きれば深刻な結果を招きかねない。それでも、歴史学者として真の歴史を明らかにするため、その中心に立って新たな世界の誕生を見守った。職業と地位を超えたこの噴火の現場は、かつてないほど強く爆発しており、労働者と農民が団結して未来に向かって走っていた。

 

今日、ボリシェヴィキが冬宮殿を占領したことで革命は終わった。この演説で、レーニンは地主の土地をすべて没収し、農民に無料で分配することを約束した。人民委員会が発足し、世界初の労働者のための国家がここに誕生した。しかし革命の波及効果は大きくなく、農民の大半はまだボリシェヴィキではなくメンシェヴィキー穏健派及び妥協的社会主義派ーを支持していた。レーニンのソビエトが新たな政府となることに、各地の大衆は不慣れであった。それでも一つのことは確かである。互いに権力を得るために、敵ではなく味方と闘っていたメンシェヴィキとは異なり、ボルシェビキは一つの指導者に従い、権力を得るために味方と争わなかった。自分達の敵、臨時政府を打倒したにもかかわらず、革命の犠牲者はほとんど存在しなかった。

 

学院の群衆が静かになると弘は畏敬の念を抱きつつ、それぞれの使命を持って集まった人々の顔を見渡す革命家が演壇から降りてくることを見守った。突然彼の傍らに人影が感じられ、あたかも運命の前触れのように長い影が現れた。黒色のスーツと禿げ頭(ハゲアタマ)のレーニンであった。弘とレーニンは目が合い、彼は鋭い眼差しでこの見知らぬ東洋人を見つめた。一瞬時間が止まったように感じられた。弘が言い訳をしようと悩んでいると、レーニンは低音の声で口を開いた。

 

「見知らぬ方ですが、どこから来ましたか」

 

「旅人です」弘は緊張したが、疑われないために適切な言葉を選んだ。東欧の歴史を探究するためにロシア語を勉強したことがある。「私は、遠い国から来ました。ペトログラードの燃え上がる革命の炎に導かれてしまいました」

 

「旅人?中国や日本の方でしょう」

 

「そうです。心配しないでください。歴史学者として、ロシアで行われている革命を自分の目で見たかったです」

 

「ならば、同志かもしれないですね。歓迎致します」

 

レーニンは半信半疑の目で弘を眺めていたが、革命を直接見たくてロシアに来たとすれば、自分と同じ類の人間である可能性があると考えて、一旦この見知らぬ人に適切な言葉で呼んであげた。万が一、スパイや親資本主義者ではないかと思ったが、弘の目は本当に普通の人間のものなので、これ以上は疑わなかった。その後レーニンの顔に笑みが浮かんだ。温かさと理解が入り混じった行動であった。この会に歴史学者は多くない。しかし、そのような類であり外国人の人間が来たとすれば、この革命を記録して世界に伝えられた。レーニンが微笑まない理由がなかったのである。

 

レーニンが背を向けて演壇に戻ろうとすると、弘は歴史学者としての飽くなき好奇心と、目の前に訪れた貴重な機会に惹かれて彼の肩を掴んだ。弘はシャツのポケットからメモ帳とボールペンを取り出し、素早く会話を記録する意志を示した。再びレーニンと目が合うと彼はメモ帳を手招きした。レーニンにとって、それは見慣れない紙と道具であったが、弘がボールペンを握ってメモの上で手を振ると、何かを書き留めたいのであると受け取った。この見知らぬ異邦人の態度から知識への渇望を察知したレーニンは、すぐに口を開けて笑った。彼は軽く頷き、「ボルシェビキとしての義務」を果たすために咳払いをした後、途切れることなく話し始めた。彼の考えではここまで来たのなら弘は恐らく、社会主義者か社会主義に興味のある学者であるに違いない。

 

これからの会話はボリシェヴィキが革命として権力を得た後、群衆を導くための重要な目標に関して。彼らの議題は、国の資源と兵士の士気を枯渇させた第一次世界大戦の影響からロシアを抜け出すことであった。レーニンにとって、帝国主義に満ちたヨーロッパの政治の流れからロシアを解放するために、今から戦略を立てなければならなかった。また、ロシアを再建し安定させる役割を担うボリシェヴィキを、労働者と農民が受け入れられるように説得すべきであった。レーニンが語ったもう一つの核心は、農民の土地を再分配すること!これは長い間農村を抑圧してきた不公平な「封建的構造」を打倒しようとするボリシェヴィキの経済政策の要であった。「搾取的関係」を打破するためにレーニンは地主から土地を没収し、農民に分配する必要があると語り、この措置が農民の不満を鎮め、最終的には大衆がボリシェヴィキをしっかりと支持するであろうと思った。

 

そうするためには、まず工場や企業を政府が所有する形に変え、労働者が生産手段を管理すべきであると主張した。レーニンは各部門の「ソヴィエト」を通じて、ロシアの主要な産業を国家が制御するように変え、活発な議論と議論の集合によって生産性と公平性を高めるだけでなく、労働の搾取を防ぎ国内の資源をより公平に配分することができると思った。最後にレーニンはソヴィエトを基づいた新政府について語った。革命が起こる中で、各部門を代表する人民による直接民主主義を価値観として生まれたソヴィエトが、この新たな国家の土台をどのように作っていくのか。レーニンはこれを重要視した。まずソヴィエトは労働者、兵士、そして農民を代表するものに拡大され、これまで試みられなかった方法で「権力を民主化」する予定であった。自分が考えた計画はロシアを前例のない変革に導き、この国が世界に社会主義を伝播する主体になると確信した。勿論、1920年代からロシアはどうなるか弘は知っていたので、気分が良くなかった。

 

ウラジーミル・レーニンが予告した急進的な政策の実施は、ロシアの社会を大々的に変革することであった。彼は確固たる信念を持って、旧体制の残骸をボリシェヴィキのイデオロギーが反映された体制に置き換えることを目指した。彼が語った最も印象的な改革の一つは、伝統的に受け継がれてきた「試験」と「結婚」の廃止。旧政権下の結婚は宗教及び財産的理由と絡み合って、社会の家父長主義を強化した。これは男女平等を促進し、女性を従属させた壁を取り壊すためである。レーニンは古い教育制度が階級を分断するだけでなく、抑圧に順応するように誘導し体制を批判できない人間を作って、革命の精神を抑圧すると考えた。彼はブルジョアジーが助長する偏見から解放され、職業や民族などの出身に関係なく、全人類に提供される教育制度を構想した。この新たな制度は急速に成長する社会主義社会のニーズに合わせて、実用的な技術、政治的素養、そして平等な学習を強調した。レーニンはロシアが完璧な「労働者国家」に発展するためには、資本主義国家の介入を警戒し闘争すべきであると信じていた。革命を守るためロシアの経済的、軍事的能力を向上させなければならなかった。

 

資本主義の根絶は単なる国内的な目標ではなく、世界の革命の一部であった。レーニンは労働階級間の国際的連帯の必要性を強調し、世界中の社会主義運動を積極的に支援することを決意した。この革命の存続は国の改革だけでなく、資本主義の弱体化にもかかっていることを認識していた。この説明を記録していた弘はレーニンの目から、ボリシェヴィキの大義への揺るぎない信念と次の段階を考える心を垣間見られた。弘はレーニンのビジョンがロシアの社会を再構築し、帝国主義の脅威から守ることを目指したものであることを聞いて疑った。しかし彼のペンは、ユートピアへの探求によって築かれた新時代の瞬間をメモという小さなところに刻み込むことで、この革命家の深遠な野心を完全に理解していた。

 

弘は階段に寝転んだり、壁に座ったりしてホームレスになりつつ都市と農村を旅した。空腹や喉が渇いて物乞いをするためにあちらこちらに行くと、幸運にも十分に食べられた。ホームレスになっている間、歴史好きの知り合いができたので、服は三日ごとに知人に洗濯を任せている。タイムマシンもその知り合いの家にある。最初は「これは一体?」と驚いたが、単なる古鉄であると嘘をついて疑われないようにした。今まで彼が知ったことは、まだ農民の大半はボリシェヴィキを支持しておらず、メンシェビキがひたすらボリシェヴィキを攻撃していることであった。しかし11月末になると、メンシェヴィキはすべて粉砕されていた。革命後、地主が所有していた土地は「農民に分配」され、「身分」が廃止され、学校と政府は「教会から分離」された。女性は社会で男性と「同じ権利を享受」できるようになった。資本家や地主が所有していた良い住宅は労働者の所有(本来、労働者は地下や仮小屋に住んでいた)となり、世界初の8時間労働の制度ができた。教育と医療は「完全無料」になった。弘はこれが嘘ではないかと思っていたが、本当に実施されたことを直感し、自分は10月革命を詳しく把握していなかったと反省した。

 

この豊かな福祉にもかかわらず、弘は7年後、スターリンが政権を握れば全部廃止されて、再び人民は過酷な環境で生きるという未来を知っていたので、空を見上げてからタメ息をついた。しかし、学者に過ぎない自分が未来を変える資格はなかった。未来をどのように変えるべきかも思い出せなかった。いつか新たな首都となるモスクワを歩いていた弘は不図思った。10月革命後、反ボリシェヴィキ派の「白軍」と、革命を守ろうとするボリシェヴィキ派の「赤軍」が内戦を起こした事件があったのではないか?1917年から1922年まで内戦は絶え間なく続き、実際に多くの人が攻撃を逃れて他地に逃げた。しかし、自分は逃げなかった。歴史を記録するために。現代では「ロシア内戦」と言われている。まだ1年も経っていないため、あまり犠牲者は出ていないが、犠牲者は間もなく急速に増えるはず。そうなると、敵の攻撃でタイムマシンに問題が起きる可能性もある。

 

弘は知り合いの家に行く前に、ペトログラードにいる「レフ・トロツキー」に会いに行った。1年それとも数ヶ月以内、彼は赤軍を創設して内戦をボリシェヴィキに有利にする功労者になる男であった。革命の余韻(ヨイン)が色濃く残っているペトログラードの盛り場で、ボリシェヴィキの中心人物の一人のトロツキーは、家の中で忙しく何かに取り組んでいた。彼がボリシェヴィキで頭角を現したことは僅か数ヶ月であったが、彼は既にロシアの歴史に消えない痕跡を残していた。「赤衛隊」を率いて10月革命を成功させたにもかかわらず、トロツキーはボリシェヴィキの反対に直面した。トロツキーの非妥協的な態度と決断力のある性質は、彼を不信していた多くの革命家から疎外されてしまった。しかしトロツキーは自分が直面した挑戦に屈することなく前進した。それは社会主義への献身が原動力となり、常に翌日に何をすべきかを考えさせた。まだ資本家を完全に打ち負かしたわけではない今、再び起こる闘争の亡霊が迫ると、トロツキーはソヴィエトロシアを守るために群衆をボリシェヴィキに結集すべきであった。反革命分子に立ち上がって、10月革命の成果を少しでも失わないようにできる強力な革命軍として!

 

ヒロシは窓からトロツキーを覗いていた。赤軍の土台となる赤衛隊の隊列はまだ完璧ではなく、ボリシェヴィキへの大衆の支持は強固ではなかった。多くの人はトロツキーの野心を疑っていた。弘も彼を疑ったが、自分は政治家ではなく歴史家なので、ただトロツキーの実践を見守り記録するだけであった。彼が知っていた歴史は世界を覆っている「反共産主義」の基調のため、レーニンは革命の過程で労働者を虐殺し、権力を守るために秘密警察を率いたという。例えば「チェーカー」。共産主義に反対する組織を弾圧し、静寂をなくすために無数の人に冤罪を被(かぶ)せたという。しかし弘が2か月間ここに住みつつ見た現実は違った。本当にボリシェヴィキが政敵を弾圧したのなら、何故ペトログラードの図書館には社会主義とは相反する西洋の本が流通していたのか?政敵へのチェーカーの弾圧を恐れて警戒すべき人々が何故緊張した表情ではなく、笑顔で労働に行ったり友達とお喋りをしているのか?知られている歴史と実際の歴史とは相互矛盾があった。

 

1918年2月から、弘はトロツキーの許可を得て(歴史学者であることを告げると、彼は笑顔で喜んで迎えてくれた)、彼の家と自分の知り合いの家を行き来しつつメモを取ったり、タイムマシンを守ったりした。弘はロシア人ではなく外国人であったので疑いつつも、トロツキーは自分の思想を伝播する同志ができたことに喜んだ。そして弘はもう一つの疑問を発見した。世界の資本主義メディアはボリシェヴィキを批判し、文明を脅かしていると非難した。しかし革命の過程にあった予期せぬ反乱以外に暴力は存在しなかった。反対派ですらも温和に扱われ、たとえ資本家であっても慎重に扱いを検討した。インターネットや世界の論文にはボリシェヴィキの業績を擁護する痕跡も、「批判的に」真実を明らかにしようとする痕跡すらもなかった。これまで自分は何を見つめつつ歴史を探求してきたのか?何が真実か?弘はトロツキーと論文を会話したり書いたりしつつ、ひたすらベールを剥ぎ取った。歴史学者なら、思想はともかく「隠された真実」を暴こうとする意志がなければならない。

 

ある日、弘はペトログラードで散歩している途中、郊外にある埃に塗(まみ)れた古い書庫へ行った。そこには数枚の文書があり、それらを説明することは容易ではなかったが、彼は何か驚くべきものを発見したと思った。色あせた羊皮紙の山には、ボリシェヴィキの高官達が交わした一連の手紙があった。普通の手紙ではなく、秘密の作戦や会議、そして革命の将来への計画を詳細に記録したメッセージであった。たとえロシア語で書かれていたとしても、このメッセージを良く理解していた弘は興奮せずにはいられなかった。彼の手元には世界に隠されたボルシェビキの「親人民」的政策、社会主義革命が起こるしかなかったロシア帝国の悲惨な経済及び政治の物語が隠されていたのである。

 

資本家と地主が富を独占したまま民衆の飢餓(キガ)を放置しつつも搾取し、ロシアはもはや戦争(まだ第一次世界大戦が進行中であった)に参戦する力が残っていなかったにもかかわらず、資本のために後退しなかった。そういうわけで、ボルシェビキの代案は画期的であり唯一の希望であった。ボリシェヴィキは単なる夢想家や暴君ではなかった。より良い世界へのビジョンを持った救世主であった。もし、この内容が現代ー弘が生きていた22世紀ーに知れ渡れば世界は混乱するはず。しかし彼にとっては、どんな犠牲を払っても歴史のベールを剥がすべきであった!どうせ使われなくなるはずなので、弘は大事な数枚の文書を手に取りトロツキーに許可を求めた。彼は困惑しつつも、今はあまり価値がないことに気付いて快(こころよ)く承諾(ショウダク)した。トロツキーは文書を入れる紙袋を渡し、おまけに著書「Наша Революция(我らの革命)」を渡した。申し訳ないと思ったので弘は手を振って拒否したが、革命史の研究に大いに役立つと説得され、結局紙袋に文書と共に入れた。

 

そして、今まで世話になったことへの感謝の意味として、自分が研究した「スパルタクスの奴隷解放」に対する論文を渡した。トロツキーは豪快に笑った。受け取るものがあれば与えるものもあるのが当然ではないか?自分が「未来から来た」とは言っていなかったが、未来の論文として大切にしてほしいと思った。弘は手を振ってトロツキーと別れを告げ、最後には知り合いの家へ行った。箱に入っていたタイムマシンを思ってから知り合いとも別れを告げ、再び最初にいた路地で思った。弘は、まだ烈しく内戦が起こっている市内を見つつタイムマシンのボタンを押すと彼より大きいサイズになった。弘が乗ってからレバーを引くとエンジンの低い音が聞こえ、間もなく、床からできたブラックホールに吸い込まれた。