ルビーの指環
(歌:寺尾聰 / 作詞:松本隆 / 作曲:寺尾聡)
今日は、寺尾聡が歌う「ルビーの指環」を聴いています。
流行りましたね~。大ヒット曲です。160万枚の売り上げだそうです。すごいです。
僕の寺尾聡は、西部警察の寺尾聡です。西部警察で言うと、僕の一番のお気に入りは団長・渡哲也で、次いでポッポ・舘ひろし、申し訳ないですが寺尾聡は三番目でしたね~(^^;
ところがところが、西部警察出演の役者・寺尾聡が、歌手・寺尾聡として大ブレイク! 「ルビーの指環」の大ヒットにより、遡って3rdシングル「SHADOW CITY」、4thシングル「出航 SASURAI」も売れて、5thシングルである「ルビーの指環」と3曲同時にベスト10入りするという快挙も成し遂げています。役者・寺尾聡が歌手・寺尾聡に大化けしたのでした。
大化けしたと言っても、もともと寺尾聡はザ・サベージのベースとしてデビューしていて、ヒット曲「いつまでもいつまでも」などがあったのです。ザ・サベージのデビューが1966年、「ルビーの指環」が1981年発売、15年経っても歌を作り歌い続けていたのがすごいです。継続は力なり、ですね。
寺尾聡の言葉で覚えているのが、「ルビーの指環」の大ヒットを受けて、『親父に自分がやってきたことをちゃんと伝えることができる』、的な発言です。寺尾聡の父親は宇野重吉、長く日本の演劇界をリードしてきた名優の1人です。
寺尾聡は、父親・宇野重吉の主宰する劇団民藝に一研修生としての入団を希望したそうですが、宇野本人から「たとえ研修生扱いでもマスコミは親の七光りとして見るだろう」と言われ、劇団民藝には入らず石原プロに入ったんだそうです。役者では親父と比較されて七光りと言われてしまうかもしれませんが、歌手としてなら、作曲家としてなら親・宇野重吉との比較はなく、先の発言、親父に報告できるにつながったのだと思います。
親は子に追い越されることを望みながらも、子のためにハードルを低くするようなことはしません。僕も息子に抜かれたいと思いますが、そう簡単には抜かせないという気持ちもあります。冷静な他人の目から見たら、とっくに抜かれているのかもしれませんが…(^^;
寺尾聡の大ヒット曲「ルビーの指環」。是非お楽しみください。