※起伏の激しい回。年を跨いで長丁場となってしまいましたが、お付き合い下さりありがとうございます。




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  07咲



 枕にほっぺたを預けて、うつ伏せの状態でベッドの上に倒れ込む事、数分。

「……咲?」

 後頭部の方から、不安そうな市松さんの声が聞こえてきた。私は答えない。答える気力が、ない。

「怒っておるのか……?」

 多分振り返ったら、いつもの“捨てられそうな子犬顔”なんだろうなと思いつつ、見たいなと思いつつ(失礼? だって可愛いのよ)、私は相変わらず動かずにいた。

 最初から市松さんの方向いておけば良かったなと思う。でも疲れちゃってそれどころじゃなかったから仕方ない。なんだけど、傍らで聞こえてくる声が段々か弱くなっていくのにこっちが絶えられなくなって、私は頭を何とか持ち上げると、市松さんの方を向いた。

 それで。

「ふえっ、市松さんっ?!」

 “捨てられそうな”どころか“捨てられた子犬”状態でベッドの縁を掴んで項垂れる市松さんを見つけてしまった私は、疲れもどこへやら。がばりと起き上がった。

 でも。

「……ふぁ」

 バタンと、直後に枕に逆戻り。ホント疲れてるわ。

「怒ってないよ」

 そのまま、力なく言葉を吐きだす。それが怒っているように聞こえちゃったのか、市松さんは瞳をふるふるさせていた。

 うう、可愛い。

 ……じゃなくて。

「今日はさ」

「……うん」

「なんだかんだ、一日中学校を歩き回された訳でさ」

「……うむ」

「いくら山奥から登下校してる私でも疲れちゃったのよ」

「……そうか、そうだな。お疲れ様、咲」

 幾分安心してくれたのか(目はまだ何か潤んでいるように見えなくもなかったけど)、市松さんは小さく笑顔を見えた。

「男の子の受ける儀に巻き込まれたとはいえ、元はと言えば俺の代わりをやらせてしまったからな。済まんかった」

「良いよ、もう。怒ってないってば」

 帰り際、先輩に言われた言葉を思い出す。

 「お前、手品見る前に種明かしされて楽しいか? それと同じだと思ってやれ」って、先輩は言った。いつも通りぶっきらぼうな態度だったけど、あれは多分間違いなく、市松さんの弁護をしてくれたのよね。

 確かに、これから手品を見ようって時に、先に答えを見ちゃったら台無しだ。体切断とか、そういうハラハラするものであればあるほど興ざめよね。

 だから私は、市松さんを許す事にした。まぁ、言いたい事はあの場で全部言っちゃった訳なんだけど。

「でもさ」

 私の周りだけ重力負荷が大きくなったみたいにぐったりしたまま、私は訊ねる。

「結局、市松さんは稲荷神様に何を助けてもらったの?」

 あの場の主役は、稲荷神様と先輩だったと思う。だから、訊かなかった。……怒りに気を取られて訊きそびれたってのも、まぁあるんだけど。

 市松さんの表情が止まる。そう言えば、多分恩が出来たのって、市松さんの知り合いの物の怪さんが亡くなった日。その日から市松さんは元気がない。今まで忘れてたのに、思い出しちゃってまた寂しそうな顔になる市松さん。

 しまった。訊くんじゃなかった。

「話したくないなら、いいよ」

「何て表現したら良いか分からぬな……。一番近いのは、そうだな。俺という存在、かな」

 そう言って、困ったように笑う。

 やっぱり、訊くんじゃなかった。困らせたかった訳でも、悲しませたかった訳でもないから。

「ね、稲荷神様、一体何をくれたのかな?」

 かなり強引だと分かって、私は話題を変えた。市松さんは目を丸くして何度か瞬きして、”良いのか?”って訊きたげに首を傾げたけど、見なかった事にする。

 私は片手で床に置かれた鞄を探ろうと手を動かした。市松さんが引き寄せてくれて、中身を探る。

 目的の物はすぐ見つかった。

「何だろ?」

 稲荷神様には、『帰ってから開けろ』って言われてる。もう帰って来てるからそれは問題ない。問題なのは、中身が何なのかって事。

 縮緬で作られた、可愛らしい小さな巾着袋。かさかさって感じと、何か丸い手応えがある。説明書と、何かってところかな?

 あ、手紙かもしれないか。

 私は市松さんの方へ寝返りを打って、横向きのまま巾着の紐を緩める。丸い何かを落とさないように、まずはかさかさの方……小さく折りたたまれた紙を取り出した。

「何だろ?」

 そもそも私が見て良いのか分からないまま、でも市松さんが動く気配がないから作業を続ける。

 でも。

「……ごめん市松さん。読んで」

 達筆すぎて何て書いてあるか全く分からない、多分和紙っぽい長方形の紙だった。書いたのは稲荷神様なんだろうな。なんていうか、そう、歴史の教科書とかに出て来る巻物を見ている感じ。

「え? ……あぁ」

 面食らいつつも市松さんは紙を自分の方に向けると、黙って目を通す。私はそんな市松さんをじっと見上げていた(相変わらず寝転がったままだけど)。

「…………」

 目の動きが止まる。多分読み終わったんだと思うんだけど、市松さんは何も言わない。表情からはほぼ無反応としか読み取れなくて、内容が気になるんだけど、訊かれたら困る事とかだとさっきの二の舞になるから、迂闊な事も言えない。

 どうしよう。

「……釣りじゃないだろう、これは」

 やがて、手紙を下して、ぽつりと呟く。何だか寂しそうというか、苦しそうというか。とにかく声が掛け辛い。

「いちまつ、さん?」

 それでも、同じ部屋で対面(あくまで言うけど、私は横向きで寝転がってるけど)でいるからには、何も言わない訳にもいかない。苦肉の策で名前を呼ぶと、市松さんはゆっくりとこっちを向いた。

「……説明しても良いんだが。気を、悪くしないでくれな?」

 市松さんは何だか不穏な前置きをしてから、話してくれた。

 今、市松さんは傷を負っている。前に氷室先輩に連れ出された森で、怨霊に襲われた私を庇った時に、ついた傷。

 どうやらその話題が出るから、私に前置きをしてくれたらしかった。確かに私なんかのせいであわや市松さんは死んじゃうかもしれなかったんだから、思い出したらそりゃ凹むけど。けど私の為に心を痛めてくれる市松さんが申し訳ないから、顔には出さない。

 で。

 どうやら、人の姿に化けている時は怪我しているのが分からない感じになってるらしい。私は市松さんが服を着替えている所を見た事がないから詳しくは知らないけど、とにかくそういう事らしい。

 だけど、器の状態、つまり人形の姿の時。怨霊に襲われた傷が、如実に分かるんだそうだ。それを、市松さんは『器に穴が開いた状態』って言った。

 つまり、人形に欠損が出来てる状態って訳。

 ここからが本題。

 どうやら、稲荷神様が巾着に入れてくれたのは、その傷を一時的に塞ぐものらしい。そのまま放っておくと、悪い気とか怨霊とかに入られやすくなったり魅入られやすくなったり、自身も染まりやすくなるそうだ。

 想像し難かったんだけど、市松さんが怨霊になり易いって事らしい。そんな状態で放置しちゃってたなんて知らなかったけど。もっとちゃんと聞いて早く行動すべきだった。

 市松さんは私の事主だって言ってくれてるのに。その主たる私が市松さんの体に何一つ気を使ってあげないなんて、最悪過ぎる。

「……咲のせいでは、ないからな。俺が話さなかったから悪い。……出来れば知られぬうちに何とかしたかったが、まぁそうもいかんわな」

 私の心境を知ってか知らずか、市松さんはナイスタイミングでそう言った。私の声を聞くどころか、本来そんな能力絶対にない私に自分の声を届けられる市松さんだ。もう何があっても驚かない。

「一時的、なんだね。ちゃんと塞ぐ方法、ないのかな?」

 効果が切れるたびに稲荷神様にお願いするのもちょっとアレな気がするから、他に……そう、半永久的にでも効果のある方法があるなら、何とかしたいって思う。

 市松さんはしばらく手紙(説明書? 読めない私には判断がつかない)を眺めてから、困ったように笑った。

「……そうさな。あれば良いがな」

 意味ありげな顔に見えた。知ってるけど、私に教えたがっていないような、そんな感じ。

「市松さん」

「うん?」

「ちゃんと、教えてよ?」

「教えたつもりなんだが……説明が足りんか?」

 はぐらかされてしまった。私が言いたい事、分かってると思うんだけど。

「ところでな、咲」

「うん」

 追撃をしたい所だったけど、生憎今日はすでに地雷を一回踏んでる。この話題は時間を置いてまたにしようと思っていた矢先、市松さんが言いにくそうに切り出した。

「秋時雨のくれたこれ、な。この状態では、使えないのだ」

「どういう意味?」

 私は体を起こして、ベッドの上にぺたりと座り込む。喋ってるうちに、気が紛れたのか体に気持ちがいかないのか、寝てて休まったのか、疲れがどこかへ行ってしまった。

「人の姿では使えん。つまり……俺一人では処置が出来ん」

「…………」

 市松さんの言いたい事に思い当たってしまった気がして、私は黙り込んだ。

「これはこれでなかなかに脱ぎ着が面倒だから、それを自分でやるのは良い。だがな、その……いや、あ、そうか。黒霧に頼めば……」

「良いよ。私がやる」

 顔が火照ってるのが分かる。物心ついてから、私は、お父さん以外に身近な異性の上半身裸を見た覚えは、多分、ない。雑誌やテレビを除いて、だけど。

 でも、これを誰かに任せるのは違う気がした。だって、その怪我は私のせいで出来たものだから。せめて、一時的な処置であっても、それくらいは私がしたい。

「市松さんが嫌じゃなければ、だけど」

「むしろ咲の方が嫌だろうに。俺は気に……」

 言いながら、ふいっと俯く市松さん。

 思いっきり嫌がってんじゃないの!!

「もう良いわよ! そんなに嫌なら、黒霧にでもやってもらえば?」

 やる気も削がれたって気分で、そっぽを向く私。こういう時、異性って不便だ。まぁ、今なら黒霧がいる訳で、何とかなるんだけど。

 というか、私が恥ずかしがるなら分かるけど、市松さんが恥ずかしがる事ないんじゃないの? 個人差なの? 器が女だからなの?

「そうじゃない。嫌な訳では決してないのだ。ただ……」

 またしゅんとした声がして、私は顔を戻した。

「何?」

「気負っておらんか? というか、見たら余計気負うんではないか?」

 不安そうな双眸が、私を見つめる。こんな時に難だけど、普段の勇ましい感じの市松さんと比べると、やっぱりこういう時の市松さんって可愛いよなぁ。

 ……いくら何でも不謹慎だった。

「だって、その怪我は私のせいで出来たんだもん。気負いも、するよ」

「前にも言った。これは自業自得だ、咲のせいではない。それに」

 市松さんは頬を擦りながら、ちょっと私から視線を逸らした。そう言えば、ちょっと赤い気もする。

「俺は……俺は、体を張れるほど守りたいと思える主が出来て、心から嬉しいと、そう、思っているのだ」

 今度は私が市松さんから目を逸らした。

 市松さんって、恥ずかしいセリフでもさらっと言うからなぁ。今日は若干恥ずかしがってるけど。

「咲が嫌でなければ……やってもらえるだろうか。黒霧でも構わぬが、出来れば、一過性の住人にはあまり器の状態を晒したくはない」

「へっ? あっ、うん」

 急に話を戻されて、私はびっくりして顔を戻した。市松さんはすでにいつも通りの笑顔で、私を見ている。相手が誰であれ、ずっと傍にいるとは限らない人に、無防備なところは見せたくないって事だよね。

 ちょっと嬉しい気もする。だってそれって、市松さんは私の事は信じてくれてるって事だから。

 いや、黒霧を信じてないって意味じゃないのよ? ……誰に弁明してるのかな、私。

「嫌ならいいのだぞ?」

「ううんそんな事ない。やるよ。やらせて」

 市松さんは安心したように溜息をついて、そのままくるっと背を向けそうになったので、私は思わずその肩を掴んだ。

「……咲?」

 いやだって。高低差。

「こっち、座んなよ」

 私はベッドをぽんぽんと叩く。市松さんはちょっと振り返って、苦い顔をした。

「あの、な。いくらなんでも、主の」

「私がやりにくいからお願いしてるの。ほら」

 もどかしくてバンバンベッドを叩いてしまった。本格的に犬扱いしてる気がする。でもしょうがないんだ。人の姿のままならまだしも、人形になられたらこっからじゃ届かない。私が床に座っても良いけど、それでも結構な高低差だ。

「分かった。なら椅子に座る」

 一番まともな対応を取られた。別に良いんだけど、最初からそうしようよ。でも、椅子に座って私に背を向けるまでの刹那、やっぱり顔が赤い気がしたから、市松さんは市松さんで軽くパニクってるのかもしれない。

 私に背を向けたまま、市松さんはまず後ろ髪を手で集めて、体の前に流した。普段は髪で隠れて市松さんの背中なんか見る機会がないから、何だか新鮮。

 じっと待ってると事の気恥ずかしさにこっちもパニックになりそう。こういう時は。

「最初に会った市松さん、市松さんじゃなかったんだね」

 何でも良いから、今と違う話題を持ってくる。

「どういう意味だ?」

「ほら、外で一回会ったじゃない? あの時既に、先輩のお姉さんとすり替わってたんだなぁって。私全然分からなかったよ」

「…………」

 市松さんは黙り込んだ。ついでに動きまで完全停止してる。

「市松さん?」

 どうしたんだろうと思って声を掛けたら、市松さんが気まずげな顔で振り返った。

「咲には……嘘をつきたくないから言うがな。最初の一回だけは、俺だ」

「ほへ?」

「あそこにいたのは紛れもなく俺だ。姉君と入れ替わっておらんし、何の術も使っておらなんだ。……男の子に気付かせるには、術よりも俺が立っていた方が、気配としては察知されやすいからな」

 まさか私が先に見つけるとは思っていなかったらしい。それは良いとして。

 てっきり、あの場から問題と言うか、課題が始まってたんだと思ってた。確かに始まってはいたんだろうけど。あの時は本物の市松さんだったんだ。

 本物の洋服市松さんだったんだ。

「男の子には言うな……と言いたい所だが、姉君が明かしそうだな。俺は元々市松人形を器に持つから、和服なら女物でも文句は言えなんだが、さすがに洋装は勘弁願いたかった……」

「お姉さんから借りたの?」

「あぁ。元々そのつもりで予備を持ってきていたらしい。女狐に借りがなければ突っぱねたんだがな。そうもいかん」

 稲荷神様の事『女狐』って。良いんだろうか。相手神様だよ? まぁ私が突っ込んでも仕方ないから言わないけど。

 にしても、あれは本物の市松さんだったんだ。着替えるの大変だっただろうに。

 でもでも。

「すっごく似合ってたよ、市松さん」

「……咲。それは褒め言葉にならん」

 素で言ってから気付いた。市松さん男の人だった。事前にものすっごく嫌がってたの聞いてたのに忘れてた。

 でも、正直似合ってたと思うんだ。全然市松さんだって気付かなかった時も、遠目で見てた時も、すっごい綺麗な人だって思ったんだもん。

「市松さんてさ。選べるなら男物の服着たいって、思う?」

「考えた事がないな……だがまぁ、選ばんだろうな」

「どうして?」

「俺は女の市松人形の物の怪だからな。器にあるべき姿であろうと考えて……いるんだと思う。この姿に良くも悪くも慣れ過ぎたでな」

 確かに、洋風ドレスを着た市松人形は見た事ないけども。

 若干スーツとか着てる市松さんを見てみたいと思った私は駄目な主なんだろうか。

 ……主、かぁ。

「咲?」

「えっ」

 我に返った時には、目の前に市松さんはいなくて。いや、いるにはいるんだけど、椅子にちょこんと座っているのは、人形の姿の市松さん。人の姿の時のまま、後ろ髪は前に流されて、着物が緩められたせいで背中が、見え……。

「…………」

 呼吸が止まるかと思った。

 右肩近くに出来た穴。空洞じゃなくて、抉れたみたいになってる。粘土っぽい背中なのに。人形を見ているはずなのに。人間の肌を見ているみたいに、生々しく私の目に映る。小指の先くらいの大きさのそれが、実際より大きく見える気がする。

「……咲?」

 凹むなと言われる方が無理だった。あの時の光景がありありと蘇る。

 これは、私のせいで市松さんが負った傷なんだ。

 目の前が滲んでいって、声を出さないように両手で口を塞ぐ。ぐっと堪えるように体を丸めたら、目の前が暗くなった。

「敵わんなぁ」

 人の姿に戻った市松さんに、覆い被さるように抱き締められていた。

「いち……」

「気にせんで良いと言うとろうに。俺の為に心を痛めすぎだぞ、咲」

 体が離れて、市松さんを見上げたら、何でか笑ってた。

 ちょっと悪戯っぽい笑みだった。

「だってっ……!」

 抗議しようと思ったら、頭をぽんぽんと優しく叩かれる。

 そういえば、服は若干緩いけど直してある。私に気を使ってくれたんだなぁ……。

「別に痛みがあるでなし、動きに支障が出るでもない。見た目ほど酷くはないよ。まぁ確かに、外気に晒すとすーすーする気がしないでもないがな」

 無邪気な笑み。からかい口調。多分私を励ます為にしてくれてるんだ。

 分かってるけど。

「もう!」

 分かってるから、私は気持ちがほぐれたふりをして、ふざけて市松さんの胸を叩いた。

「背中向けててよ! 処置できないでしょ!」

「あーはいはい」

 またくるりと背を向けて、人形の姿に戻る市松さん。また晒された傷口を見るのは辛かったけど。だからこそ思う事もある。

 私は巾着からコロンと出てきた丸い玉みたいなものを見つめた。淡く柔らかい光を放っている。持っていると温かい気もする。市松さんが説明してくれたところによると、これを傷口に嵌めれば良いみたい。

 もっと、ちゃんと。

 市松さんが自慢できるような主になれるように。

 私は願掛けをするように玉を手で包み、それからそっと、市松さんの傷口に当てた。





 終。




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