※そろそろ不穏な流れですが、危険(グロかったりなんだったり)するシーンはまだ先です。
あと、詰みかけた物語の流れを何とか修正しましたが、それでも氷室の扱いに一苦労でした。今回微妙かもです。すみません。


 04 司



 進むにつれ、空気は軽くなるどころか重さを増していく。

 それと同時に現れては消える、怨霊の群れ。

「……酷いな」

 心霊スポットに霊がいるのは普通の話だが、いくら隠裏世とは言え、怨霊の量が多すぎる。まともに一体一体片付けていたら、到底手持ちの札では足りない。稲荷様の鈴がなければ、いくら耐性がついているとは言え、司でも危険だっただろう。

 少なくとも今は、鈴を鳴らすたびに怨霊たちは身を引いている。

「慧羽月司」

 背後から、苛立ちを隠しもしない氷室の声。先程からしきりと説明を求めているのに、司が全く答えないせいだろう。

「お前、オカ研なんだろう? 少しは自分で検証してみたらどうだ?」

「……どうして、あなたはそうやっていつもいつも、わたくしに対して冷たいんですの?」

「生憎、俺はお前だけじゃなく誰にでも冷たい」

 言われた通り冷たく切り捨て、全員が揃った事を確認した司は歩き始めた。

「部員には、あんなに優しいじゃありませんの?」

 後方から、変わらず氷室が質問を浴びせかけてくる。

「そうでもないと思うが」

「わたくしが部活を立ち上げようと声をお掛けした時は、取り合わなかったくせに」

「あの頃は、お前を含め部活に入ろうとして寄って来た奴が一人としていなかったからな」

「そんな事は」

「そうじゃないと言えるか?」

 突如として、司は歩を止めると氷室を振り返った。

 司が高校に入った時、料理部という部活は存在していなかった。司は別に部活動という枠を気にせず、料理がしたくて家庭科室を借りていただけだった。

 そこに、人が集まるようになった。だが、誰一人料理をしない、料理に関する質問もしない。

 集まってくる言葉は、司に関するものばかり。

「俺は珍獣じゃない。物珍しさに寄って来られても迷惑なだけだ」

 中でも群を抜いて、氷室の質問には辟易していた。当時彼女はオカ研になど所属していなかったが(そもそも、オカ研自体氷室が立ち上げた部活である)、その頃から司に向けて投げかけられる疑問は、それらを彷彿とさせるものばかりだった。

 だからこそ、質問に沈黙を貫いた結果、料理部として活動を確立させ、そこに入部したいと申し出た氷室の言葉を、司は一蹴した。氷室がオカ研を立ち上げ、何度か協力要請を受けたが、それらも突っ撥ねた。

「あなたは常人の持ち得ない能力を授かっているのですよ? わたくし達が知る権利を持っていても良いはずですわ」

「そういうのを『珍獣扱い』だって言っているんだ」

「そうやって黙するあなたは、その力を己だけが持つものとして自慢したがっているように見えますわ」

 今もまた、辟易した様子で司が答えると、氷室は挑戦的に言い放った。

 ……これ以上疲れようもないな。

 別段、持っているからと言って、普通に生きる中で何かが有利に働く力ではない。確かにそういった存在に対処する力はあるかも知れないが、あるから嬉しいものでもない。むしろ、妖物や怨霊の縄張りである場所に来ても平然としていられる氷室が、羨ましいとすら思っている。

 関わらなくて良いのなら、関わらない方が楽なのだ。平穏に暮らしていたいと思う司のような人間には。

「そんな下らない事するか。話しても理解されない事を知っているだけだ」

 昔と変わらない。氷室と話しているとどんどん精神的に削られてしまう。

 恐らく、氷室のような人種は、どのような話し方をしても伝わらない。

「わたくしには出来ますわ。あなたの力を理解して差し上げられます」

 司がちらりと後方を窺うと、思った通り、氷室は得意げに胸を反らしながら歩いていた。どこからその自信が出て来るのだろうという思いと、どこまで上から目線でものを言えば気が済むんだと言う呆れが、更に司の精神を圧迫する。

 ……こんなんで、怨霊と渡り合えるだろうか。

 気を紛らわせる意味も含めて手の中の鈴を振りながら、司は改めて心の中で溜息をついた。

「見えないお前が、どうやって理解するつもりだ」

 口をついて出る皮肉も、どこか疲れている。

「見えずとも理解する事は出来ますわ。それに、あなたの部員然り、あなたの傍にいれば見えるようになるでしょうし」

 確かにその筋はある。だが部員たちが司のせいで見えるようになったのか、元からあった資質なのかは知らない。どの道、霊を見せる名目で常に氷室が傍にいる状況は、絶対に御免だと思った。

「……どうして、そんなに見たがる?」

 どんなに氷室の相手に疲れても、司はあえて会話の話題を振る。彼女とは話などしたくもなかったが、傲慢で自信に満ち溢れ、この森の空気をものともしていない氷室の声は、怨霊をも遠ざける力を持つらしい事に気付いたからだ。

 稲荷様に無駄な力を使わせずに済む。

「わたくし、自分が知らないものだの、持っていないものだのあるのが、耐えられませんの」

 振り返ったら満面のドヤ顔でこちらを見ているに違いない……そう思った司は、決して後ろを見ないように歩を進める。

 氷室は社長令嬢である。どうして公立の高校に入ったのか首を捻るお嬢様である。父親は手広く事業を展開する会社の社長で、望めば何でも手に入るような財力だって持っている。だからこそ、あのような台詞が出て来るのだ。ごく自然に。

 本人は当たり前に言っているからこそ嫌味など含まれていない訳だが、聞いている方は嫌味にしか聞こえない。だからといって、司の場合はそれで羨ましいとも思えない。

 氷室の言う『知らないもの、持っていないもの』が霊の存在や司の霊能力であるのは明白だ。だが、司からして見れば、氷室は絶対的に欠けている。足りな過ぎる。

 地位や権力、財力で手に入るものを持つ代わりに。

 決してお金では買えない、人として大切なものが欠けている。

 本人が気付いていないだけで。周りが諭していないだけで。

「ですから、あなたに協力して頂いているんですわ。早いところ見たいものですわね。まだ着きませんの?」

「……霊を見たいだけなら、さっきから遠巻きに俺達を囲んでいるが」

「えっ? どこどこ? どこですの? 見えませんわよ? ……って、そうやってまたわたくしを騙すおつもりですわね?」

 見えないもの=実はそこにいない=司が騙している、と言う計算式しか出来ない氷室に、司はこの先どう対応して良いのか分からない。

「ちゃんといるんだが。というかお前、ここがさっきまでと違う森だって、分かってるか?」

「あなたがそれっぽく妙な行動を演じて、わたくしを騙そうとしている|様《さま》なら知っております事よ。いい加減、わたくしに本物を見せて頂きたいものですわね」

「…………」

 やはり駄目だ。会話が成立する気がしない。

 これはもう氷室とのコミュニケーションを諦め、藤崎を探す事に専念した方が良いかも知れない。司は再び鈴を鳴らしながら辺りを見回し始め、すぐに歩を止めた。

 風のように草を踏み締める音が聞こえてくる。

「……戻ったな」

「誰がも」

「つかさっ! みぃつけたっ!」

 司の言葉に氷室が首を傾げる暇もなく、さつきが勢いよく降って来る。どうやら今度は木の枝を伝ってやってきたようだった。重そうな鎧を身に着けているくせに、動きは身軽である。

「ちゃんと送ったよっ。二人とも家に入るまで見届けたから、平気だよねっ?」

「ああ、そうだな。よくやった、さつき」

「えへへー」

 任務達成と司の褒め言葉で気持ちが舞い上がったのか、さつきはいつも以上に声を弾ませる。両手を頬に当て悶絶するさつきを見て、やっとまともに会話が出来る者が来たと、司もまた安堵の息をついた。

 ただ、さつきの登場はある意味、新たな波乱の幕開けでもある。

「先程から思っていたのですが……そのコスプレ女はどなたです?」

「……お前、初対面の相手にそんなずけずけと失礼な表現使うのか」

「わたくしは思った事を思ったまま申し上げただけですわ。失礼だと思うなら、それだけの印象を与えていると考えるのが筋ではございませんの?」

「…………」

 この状況の“お嬢様”にさつきの説明をして、果たして正確に理解してもらえるのだろうか?

「このご時世にわざわざそんな時代錯誤の鎧を身に纏っているのですから……どこか外国の方、なのでしょうか。顔立ちも何となく日本人離れしている気がしないでもありませんし。それにしても、慧羽月司の命令に従うなんてまるでわたくしの護衛たちみたいですが、少々やり方がおかしいですわよ? そういうプレイがお好みですの?」

「……つかさ、何言ってるの? この人」

「さぁ。俺は日本語が専門だからな」

「わたくし、日本語を話していてよ?」

 しきりと首を捻りながら氷室を指差すさつきに、司は肩を竦めて見せる。すかさずといった感じで氷室が間に入り、二人に対して睨みを利かせた。

「あなたは誰なんですの? 慧羽月司とどういう関係なのです?」

 氷室が、ずいっとさつきに顔を近付けようと試みる。だが、さつきはそれなりに長身なため、氷室が背伸びをしても視線が合わない。どうやっても、必死に見上げている図になってしまう。

 それでも、氷室の威圧感は伝わったようで、さつきは迫りくる氷室の顔から逃げようと後退さった。

「ぼっ、ぼくはさつき。つかさの家にお世話になってて、従者みたいなものだけど」

「家に? 居候? 年頃の男女が一つ屋根の下だなんて……」

「色々勘違いしているようだが、さつきは人間じゃないからな。お前が思っているような事実は全くない」

「人間じゃ、ない? では何だと言うのです?」

 見かねた司が口を挟むと、すかさず氷室は突っ込んできた。

「この間まで学校を賑わせていた鎧武者だ」

「その節はご迷惑おかけしましたぁ」

 司の説明に、さつきは律儀に一礼する。その様子を見て、氷室が目を丸くした。

「それはわたくしも聞き及んでいますわ。という事は、あなたが霊ですのね?」

「さつきは霊じゃなくて妖物だ」

「物の怪って言って欲しいなぁ」

 同じだろ、と司は突っ込む。さつきは「そっちの方が可愛いんだもん」と唇を尖らせた。

「こいつは実体があるから、誰でも見える」

「成程。そして主の言う事をなんでも聞くのですわね」

「ぼくはつかさに“名付け”して貰ってるからねぇ」

 相変わらずほんわかとした笑みを浮かべるさつきを、値踏みでもするように観察する氷室。次は何を言い出すかと、司は早くもはらはらしていた。

「慧羽月司」

「……何だ」

「この方、下さいませんこと?」

 氷室が、さつきを指差してにっこりと笑う。だが、司は一瞬、彼女が何を言っているのか理解する事が出来なかった。司と同じ心境なのか、さつきも唖然とした表情で氷室を見下ろしている。

「……は?」

「霊の話はよく聞きますから実在を疑っていませんでしたけど、妖怪は予想外でしたわ。しかも従える事が出来るなんて。わたくしの護衛役にぴったりですわね。あなたはこの先また新しいのを探せるでしょう? 一人くらい良いではありませんの」

 まるで、買い物先で『あなたはまた来れるでしょう? 自分は今日限りなんだから譲ってくれ』とでも言われた気分だった。

 さつきが人の言葉を理解し、人と同じく意志を持って行動する存在である事を、まるで分かっていない。いや、分かっていてあえて無視しているのだろうか。

 “従者”という言葉に、己もその主となれる事を疑わず。

「主が変わるのですから、きっとまずは名前を差し上げませんといけませんわね。ええと……」

「いらないよ。ぼくはつかさから名前を貰ってるんだから」

 氷室から一歩身を引き、さつきは泣き出しそうな顔で首を振る。

「それに帰ったら召し物も変えませんとね。さすがに、そんな格好で隣を歩いて欲しくはありませんもの」

 さつきの言葉に聞く耳を持たず(自分の世界に入って聞こえていないだけかも知れないが)、氷室は一人で話を進めている。一足遅く我に返った司は、さつきを自身の後ろへ下がらせる。

「あら、どう致しましたの? ああ、そうですわね、無償で寄越せとは言いませんわ。ですが、妖怪の相場はさすがのわたくしも――」

「さつきは物じゃな……い」

 きっぱりと断ろうとした司だったが、己の言葉に思い当たるものがあり、勢いが失速する。

 ――「物の怪には人権が無いとでも言いたげじゃないですか!」

 脳裏に過ぎるは、藤崎の言葉。

 彼女は司よりも先に、物の怪と行動を共にしていた。当時の司は妖物を“物”とまではいかないものの、それ程大事な位置付けには置いていなかった。それで軽い扱いをしたところ“人”と同じくらいまで妖物の存在を大切にする藤崎が言ったのだ。

 あの時は、人と妖物は違うのだから、そもそも人権が云々……と思っていた。

 なのに、今は。

「わたくしとて物だなんて思っていませんわ。ただ、わたくしの護衛に付けたいだけ。早々手に入るものじゃありませんものね」

 両手の指先を触れ合わせ、にっこりと笑顔で言い切る氷室は、自身の言葉を微塵も疑問に思っていない。

 恐らく、生まれて此の方、欲しいと思ったものが与えられなかった日がないのだろう。だからこそ、“断られる”道がある事を想像できないのだ。

 だが、司は想像する事が出来る。

 全てを与えられてきた彼女が今、何を考えているかさえ。

「……『自分が持っていないから』か?」

「ええ、そうですわ。やっと分かって頂けましたのね」

「ああ。よーく分かった」

「えっ? つかさっ?」

 さつきが不安げに司の顔色を窺う。話の流れが不穏になりつつあるのを感じ取ったのだろう。司が陰のある笑みを浮かべているのが、さつきの不安を助長するのに一役買っていた。

 氷室とさつきの表情は、次の司の言葉で逆転した。

「これは腹も立つ訳だ、って事がな」

「って、全然分かっていらっしゃらないじゃ――!」

「さつき、さっさと藤崎を探すぞ。……謝らなきゃならない事が出来た」

「えぇ?! いきなりどうしたのつかさっ?」

 怒鳴り散らす氷室を無視し、司は早足に進み出した。後ろからさつきがバタバタと追って来る。氷室と離れた事で行動を開始した怨霊たちを鈴の音で追い払っていると、耳元で声がした。

『司、朗報かも知れぬ』

 稲荷様だった。

『今しがた、強めの気配を捉えたぞ。あれは恐らく、唐子松のものじゃ』

「唐子松……藤崎のところの物の怪か」

 稲荷様の言葉を復唱しつつ、司は首を捻る。というのも、稲荷様に唐子松の話をした事がなかったからだ。司にとって、唐子松は何かと対立する事の多い、お世辞にも仲が良いとは言い難い相手だ。そんな存在をわざわざ家で話題にして、家族や稲荷様から要らぬ詮索をされるのが嫌だったのである。

 だが、司が疑問を抱くのと同じく、稲荷様も驚きを禁じ得ない様子で言った。

『なんじゃ、司。唐子松を知っておるのか。というか、あやつ今主がおるのか?』

「ああ、まぁ、一応知っている。だが、そういう稲荷様こそ、あいつを知っているのか?」

『古い知り合いじゃからのう。そうか、主がおるのか……』

 いかにも意外だと言わんばかりに溜息をつく稲荷様の声に、司は首を捻る。

 唐子松は市松人形の物の怪だ。人の手で作られた器を持つ物の怪が主を持つ事は、そう不自然な話でもない。

『最後に会うた時は、もう主なんか望まぬと言っていたあやつがのう』

「そんな事……言っていたのか?」

 今度は司が驚かされる番だった。主を望まないという事は、人間に見切りをつけている可能性が高いと聞く。だが少なくとも、藤崎といる時の唐子松を見て、人間を主に望まないなどと言いだしそうには思えない。

 とはいえ、唐子松がこの森にいるという事は、藤崎がこの森にいるのと同義であると同時に、藤崎の安全性が多少は確保されている事を意味する。唐子松の思考云々については、また別の機会にでも考えれば良い。

『まぁ、わらわが最後に会うたのもそれなりに前じゃからな。気が変わったかも知れぬ。それはそうと司。藤崎というのは、お前さんが探している女子か?』

「そうだ。あいつといるなら……すぐに危険って事でもないな」

『そうじゃな。しかし、困った事もある』

「困った……事?」

「慧羽月司ぁっ! 待ちなさいっ!!」

 呼び声に振り返ると、怒号を撒き散らしながら、氷室が駆け寄ってくる。彼女の傍にいるからだろうか、ボディーガード達の動きも大分軽くなっていた。氷室に寄り添うように駆けている。

 それは良いのだが、理不尽な怒りを向けられるのは御免である。

「稲荷様、何が困ってるって?」

『合流はそうむつかしくないじゃろう。わらわが大体の方角を示してやることが出来る。問題はその後じゃ。そろそろ日が傾いて来ておる。やつらの活動も活発になっておるでの。そう易々とは道を開けてくれんじゃろう』

「……まさかとは思うが」

 嫌な予感と共に、司の頬を冷汗が伝う。

『そのまさかじゃ。大元を叩かんと、帰り道を作れん』

「わたくしが|下手《したて》に交渉していると言うのに話の途中で逃げるとは良い度胸ですわね! 大体、わたくしを軽く扱いすぎですわ! これはそこの妖怪を頂くくらいじゃ割に合いませんわよ!」

「さつきは物じゃないって言ってんだろ! 五体満足で森から出たいならこの先黙っておけ!」

 遂に堪忍袋の緒が切れ、司は怒りを遠慮なく込めて怒声を上げる。さすがの氷室もびくりと体を震わせると、おどおどと後ろに下がった。

「つかさ……」

 怒り冷めやらずに肩で呼吸を繰り返す司に、さつきが気遣わしげに声を掛ける。司は「大丈夫だ」と呟くと、ゆっくりと氷室に背を向けた。

「……あの女装魔はどこにいる?」

『その物言いだとさつきが男装魔という事になってしまうがのう。まぁ良い。今お前さんが向いている方向から、九時の方向じゃ。ただし、この森は一筋縄ではいかん。何があろうと、わらわの声を聞き逃すでないぞ』

「分かっている」

 冷静を務めて呟く言葉に、未だ怒りが含まれている事に司自身、気付いていた。だが今はどうしようもない。

 足早に数歩歩くと、司は唐突に歩を止めた。驚くさつきに構わず後ろを振り返る。

 先程と変わらぬ場所で、氷室が立ち往生している。その周りで、ボディーガード達が互いに顔を見合わせていた。

「……氷室」

「なっ、なん、ですの?」

「行くぞ」

「……え」

 呆然とする氷室を気にせず、司は再度歩き出す。時折手を振り、鈴を鳴らす。

 鈴の音が聞こえる間は、氷室が司を見失う事はないだろう。背後から足音が聞こえている限り、司が氷室を忘れる事もないだろう。

 氷室はここが最初に入った森と変わっていないと信じて疑わない。この場に置いて行けば、彼女が人の社会に戻るのは極めて困難になるだろう。

 あの森の“裏”に存在するこの場では特に、親切な妖物がいるとも思えない。

「つかさ、優しいね」

「……後味の悪い事をしたくないだけだ」

 どこか安堵した様子で話すさつきに、司は苦い表情で顔を背けた。


04に続く。

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