―責任が霧散する“土台・流れ・仕掛け”の末路―
世の中には、「どうしてこんなばかな政策が通るんだ」と呆れるような出来事がある。
しかも、それが密室の暴走ではなく、堂々と正式な手続きを経て実行される。
なぜそんな愚行が成立するのか。
誰かが止めなかったのか。
誰かが気づかなかったのか。
残念ながら、もっと単純で、もっと根深い。
責任が逃げられる“土台”、止めにくい“流れ”、ばかさを隠す“仕掛け”が揃っているからだ。
そしてそのツケは、最後に“全員”に回ってくる。
ここでは、その三段階の地獄を整理してみる。
1. 責任が霧散する「土台」が最初から腐っている
多くの組織では、意思決定の土台そのものが責任を曖昧にするようにできている。
• 決める人が多すぎる
• 決裁が多段階で誰の判断か分からない
• 合意形成という名の「責任の希釈」
この土台の上では、
誰も自分の判断として扱わないまま物事が進む。
愚策が止まらないのは、誰かが無能だからではない。
土台が最初から責任を吸い込む“ブラックホール”になっているからだ。
2. 止めると損をする「流れ」ができあがっている
土台の上には、さらに“止めたら負け”の流れが走っている。
• 反対すると「面倒な人」扱い
• 空気を乱すと評価が下がる
• 反対しても変わらないなら黙っていた方が得
つまり、
合理的に考えるほど「反対しない方が正解」という流れに乗るしかなくなる。
この流れがある限り、愚策は静かに、しかし確実に前へ進む。
3. ばかさを隠す「仕掛け」が巧妙に埋め込まれている
さらに厄介なのは、愚策の“ばかさ”が見えにくくなる仕掛けが組み込まれていることだ。
• 専門用語で煙に巻く
• 影響が長期的で、今は痛くない
• 比較対象を提示しないから判断できない
こうして、
問題が可視化されないまま、誰も気づかないうちに進む。
気づいた時には、もう止められない。
仕掛けが完成しているからだ。
4. 責任を避ける土台・流れ・仕掛けは、最後に全員を巻き込む
責任を取らない土台は、短期的には楽だ。
しかし長期的には、問題が蓄積し、ある日突然破裂する。
破裂した瞬間、
「誰の責任か」ではなく「組織全体の失敗」になる。
• 信頼が吹き飛ぶ
• 予算が削られる
• 現場が疲弊する
• 利用者や住民が被害を受ける
つまり、
責任回避の文化は、最後に“全員で沈む”という最悪の結末を用意している。
5. では、どうすれば責任を取るべき人が責任を取るようになるのか
これは個人の意識の問題ではない。
土台・流れ・仕掛けの問題だ。
責任を取るべき人が責任を取るようにするには、次の三つが不可欠になる。
① 責任の所在が曖昧にならない「土台」を作る
• 決裁文書に「理由」「リスク」「代替案」を書かせる
• 議事録に「誰が何を主張したか」を残す
• プロジェクト責任者を一人に限定する
土台が変われば、責任は自然に浮かび上がる。
② 誠実な人が損をしない「流れ」を作る
• 失敗を認めた人を評価する
• リスクを取った挑戦を評価する
• 責任を取った人を守る制度を作る
誠実な人が損をする流れでは、誰も前に出ない。
③ 責任を逃がさない「仕掛け」を組み込む
• 曖昧な決裁を減点
• 先送りのコストを可視化
• リスク説明の欠如を評価に反映
責任回避が得である限り、仕掛けは変わらない。
結論:責任は「文化」ではなく「土台・流れ・仕掛け」で決まる
責任を取る文化を作ろうとしても、文化は変わらない。
変えられるのは、土台・流れ・仕掛けだけ。
そしてそれらが変われば、文化は後からついてくる。
おわりに
「責任が霧散する土台」は、一見すると平和だが、実際には最も危険だ。
誰も責任を取らないように動いた結果、最後は全員が責任を取らされる。
愚策は、誰かの悪意ではなく、
責任が逃げられる土台、止めにくい流れ、ばかさを隠す仕掛けによって自然に生まれる。
だからこそ、土台・流れ・仕掛けを変える必要がある。