いつも「こころのブログ」をご覧いただきありがとうございます。

 

 

このブログを書いていた、私の母が、

 

12月16日午後10時33分、帰らぬ人となりました。

 

 

 

心臓弁膜症の二度目の手術に成功し、

 

リハビリに取り組んでいた母でしたが、

 

腸に血液が行かず壊死してしまい、

 

気づいたときには、手の施しようがない状態となっていました。

 

 

 

70の手習いでブログをはじめた母は、

 

今年で85歳を迎えました。

 

ブログをはじめたことで、

 

それまで知り合うこともなかったひとと、

 

つながりをもつことができたことが、

 

ブログを書く原動力になっていたと思います。

 

 

 

いつでも元気だった母は、

 

きっと今回の手術も乗り越えて、

 

不死鳥のごとくもどってくるものと思っておりました。

 

それゆえ、残された家族は悲嘆にくれております。

 

 

 

前日までは病床ではありながらも、

 

見舞いにいった家族と話をすることができていたので、


あまりの突然の状況に、現実を受け止めるのが難しい状況です。

 


 

せめてもの救いとすれば、

 

コロナの状況ではありましたが、

 

三人兄弟そろって看取ることができたことでした。

 

 

 

このブログは、母の死後も

 

残しておくことにいたします。

 

 

 

見に来ていただいた方の心に

 

一筋の光がともることを祈念しております。

 

 

     〜  言葉の力  〜

 

   

     言葉というものはだいじなものです。

  日本では昔から、(言霊)という言われ方がされて

  きました。つまり、言葉それ自体に生命があるように

  表現したものです。キリスト教でもヨハネによる

  福音書の最初に(初めにみ言葉があった。み言葉は

  神と共にあった。み言葉は神であった)といって

  います。

 

     心の中に思う言葉が、精神となり、思想と

  なり、信となって自分を作り、自分を動かします

  同様に、声として発する言葉は、人を作り、

  人を動かします。人を生かしもし、殺しもします。

  普通の人の言葉でもそれほどの力を持っているの

  ですから、ましてや、大聖者の口から出る真理の

  言葉が、どれほどの力を持っているかは、想像

  できるでしょう。

 

     (信)という字は、ご覧のようににんべん

  イに言と書きます。このことにも示されているように

  言葉というものは、信をつくるうえになくては

  ならぬものなのです。我々が心の中で何かを考える

  ときも、言葉によって考えます。言葉なしには

  なんにも考えることができません。言葉の力という

  ものを、改めて深く認識し、これからの日常生活に

  また、精神の向上に役立てていただきたいと思い

  ます。

 

    

      〜  諸  鬼  〜

 

 

     諸鬼というのは、つまり修羅のことです。

  修羅とは、つねに怒りに満ち、誰かと争っている

  鬼です。この怒りと争いが、どんなに人間を苦しめ

  人間社会を不幸にしているかは、今更言うまでも

  ないことでしょう。それなのに、我々人間は、

  ともすればムラムラと突き上げてくる小我の怒りに

  動かされて、自ら不幸に陥れているのです。

 

     お互い人間同士は、一枚のイカダに乗って

  大海を漂流している身なのに、その狭いイカダの

  上で対立し、抗争しているのです。

  考えてみると、誠に愚かなことをしているわけです

  このように、三毒に迷わされ、嫉妬で自らを苦しめ

  ている凡夫も、もし観世音菩薩を一心に念ずる

  ならば、たちまちその苦から逃れることができる

  というのです。

 

     真実の智慧に心を寄せるということであり

  真実の智慧に心を寄せれば、そのような愚かな

  誤りからいっぺんに目が覚めるからです。

  竜や大魚や修羅などの怪物に悩まされることも

  ありません。これが観世音菩薩の救済力なのであります

 

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