うつに関して、おそらく最も言われているであろう、

 

「うつは単なる甘え。病気だと思い込んでいるだけ」

 

という意見。

 

 

 

私は医学的専門知識があるわけではないので、

 

うつがどういう病気なのかについてはお医者さんに聞いてもらいたい。

 

私としては、「うつは甘えであり、思い込みである」という考え方が、

 

どれだけ当事者を苦しめるのかを、実体験を通して語りたい。

 

 

 

 

 

――「甘え」とは正反対にいるような人生を歩んできた

 

 

私は壮絶な生い立ちがあるわけでも、地獄のような経験をしてきたわけでもないが、

 

選択肢があるときは、「どちらが楽か」「どちらがお得か」「どちらが楽しいか」という判断基準ではなく、

 

「どちらが、将来ありたい自分に繋がる道なのか」という判断基準をもってきた。

 

自分に厳しくあり続けた。

 

 

 

落ちこぼれになりかけていた中学時代も、気合で日本最難関の高校に合格したし、

 

大学時代には、本気で日本一を目指す体育会系の部活で常軌を逸する生活をしてきた。

 

 

 

自分のモットーを書いてしまうと身バレしてしまうかもしれないのでやめておくが、

 

「もうどうしようもないという窮地に立ってからが、本当の試練の始まり」

 

と考える人間である。

 

 

はっきり言って、「気合と根性の人間」である。

 

(正確に言うと、「だった」)

 

 

 

 

 

――「気合の人間」がうつ病になるという事実

 

 

そういう人間が、ものの見事に躁うつ病になってしまった。

 

「単なる甘えである」と言われがちな、あの「うつ病」になってしまったのだ。

 

 

 

「人間は人それぞれだから、精神的病気にかかる人もそりゃいるよね」とは思っていたが、

 

まさか自分だけはメンタルでやられないだろう、という根拠のない自信があった。

 

 

 

私は、自身が躁うつ病であったにも関わらず、

 

「病気ではなく、ただ甘えているだけ」と断定し、病気であるということを拒んだ。

 

 

 

気合でなんとでもなると思っていた私自身が躁うつという「病気」にかかっている「病人」であると

 

受け入れることができるようになるまで、おそらく5年以上かかっている

 

もっと言ってしまえば、一度受け入れてからも数年は「ただの甘えでは」という意識が抜けなかった。

 

 

 

躁うつの症状で苦しむも、ただセルフマネジメントが下手なだけ、未熟なだけ、と

 

スキル不足、気合不足のように捉えていた。

 

どうにかしなければと苦しみ、あれこれ手を打つも、全く改善せず、むしろ悪化していく。

 

そしてまた自分の未熟さを痛感し、打ちひしがれる。

 

その繰り返し。

 

(おー、少し思い出しただけでも、そうとう辛かった記憶が、、、涙)

 

 

 

 

自身が病気にかかっており、医師の診断が必要で、薬を服用する必要があると受け入れてからは、

 

必要以上に自分を責めなくていいのだと、なにか憑き物が落ちたように気が楽になったことを覚えている。

 

 

そのとき、躁うつ病という病気自体に苦しんでいたということとは別に、

 

「うつ病は単なる甘えである」という考え自体に苦しんでいたことに気づく。

 

自分の未熟さを責めることで、自己否定、自己嫌悪へと繋がっていたのだ。

 

自らを救おうとせず、赦そうとせず、逆に責めたてることは、相当きついものだ。

 

 

 

 

 

――「自分の甘えである」という思考の毒

 

 

もしあなたの周りに、躁うつ、うつ病かもしれないと苦しんでいる人がいたら、

 

「その人が甘えているだけなのでは」という先入観は捨ててほしい。

 

 

もしあなた自身が躁うつ、うつ病かもしれないと苦しんでいるとしたら、

 

「私自身が甘えているだけ、未熟なだけ」と自分を責めないでほしい。

 

 

 

うつ状態の場合、「自分の甘えである」という考え自体が毒みたいなもので、

 

じわじわと全身をむしばみ、いつしか体と心のエネルギーを奪う

 

 

 

 

躁うつになった人は、きっと同じ苦しみを味わう。

 

「どうしてこうなってしまったんだ」と。

 

「自分の何がいけなかったのか」と。

 

あるいは、自分があの時こうしていれば、

 

あんなことをしなければと悔やんでいるかもしれない。

 

 

 

時には、自らを反省し、成長へと駆り立てることは必要だが、

 

自分で自分を責める必要はない。

 

自分を赦せるのは、自分を救えるのは究極的には自分しかいないから。

 

 

 

いわんや、他人にそんなこと言われる筋合いはない。

 

他人様の心にずかずかと土足で踏み入り、

 

「あなたのうつの原因は、ご自身の甘えですよ」と言い放つ輩など、

 

誰が相手にしようか。いや、誰も相手をするはずがない(反語)。

 

 

 

 

 

 

――終わりに

 

心の中は、他人には見えづらい。

 

自分の心の中でさえも、理解することは難しい。

 

なので、断定しなくてもいいのだ。断定できるはずもないのだ。

 

人の心はそう単純なものではないのだから。