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William Smith Clark

クラーク博士は、明治9年7月、北海道開拓使長官黒田清隆に、将来の北海道開拓の指導者を養成するため「札幌農学校(現北海道大学)」の初代教頭として招かれました。

 

 

クラーク博士像は、北海道大学(以下北大)構内にある胸像のみでしたが、有名なポプラ並木の景観とこの胸像を目的として北大を訪れる観光客が年々増加して観光バスの構内乗り入れを制限した。

 

 

そんな状況から羊ヶ丘展望台に新しいクラーク博士像を制作。

丘の上のクラークというテーマのもと、早春の風にひらひらはためくフロックコートを着たクラーク博士が、右手を掲げて「ボーイズ・ビー・アンビシャス」と叫ぶイメージにしました。

 

 

 

明治10年4月16日、クラーク博士は教え子たちと島松(北広島市)で、馬上から、有名なことば「Boys, be ambitious.(青年よ、大志を抱け)」と別れのことばを叫んだ、と伝えられています。

 

 

見送りに来た学生たちと別れの際に実際に言った場所がここ北広島市の旧島松駅逓所になります。横顔のレリーフが貼られた柱像。 柱と説明書きの石板があるだけです。

 

 

 

 

 


その周囲は別の観光スポットがあります。

 

 

 

 

 

 

旧島松駅逓所

 

明治6年(1873年)に札幌本道(現在の国道36号)の開通に伴い、官設駅逓所として島松川の右岸(胆振国千歳郡島松村、現在の恵庭市)に設置されたのが始まりです。初代取扱人は勇払場所の総支配人でもあった山田文右衛門でした。
明治17年(1884年)からは、現在の北広島市島松で赤毛の栽培に成功し、「寒地稲作の祖」と称される中山久蔵が4代目の駅逓取扱人となり、明治30年(1897年)の島松駅逓所廃止までその経営にあたりました。

 

 

 

 

 

明治天皇行在碑

 

 

 

ここの池には鯉がいます。

 

島松川もそばに流れています。

 

島松駅逓所は4月28日~7月15日、10時00分~17時00分

この期間だと中が見られます。チャンスがあればどうぞ。

 

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