◎菅山 かおる(すがやま かおる、1978年12月26日)
小学校3年生からスポーツ少年団に入りバレーボールを始める。高校2年生の時に第27回春の高校バレーで優勝して高校卒業後は小田急ジュノーに入社しアタッカーとして活躍。
1999年、チームの廃部に伴いJTマーヴェラスへ移籍。JTではV1リーグ降格、再昇格を経験。2004年からはリベロに転向。2005年、第11回Vリーグにおいてチーム初の4強進出貢献を評価され、全日本代表に初選出。当初はリベロでの登録であったが、選手の怪我などによる戦線離脱でレフトが不足となり、後にレフトへ登録を変更。
全日本デビューとなった2005年ワールドグランプリでは、攻撃・守備の両面で活躍。可憐な容姿にも注目が集まり、「かおる姫」の愛称も定着。翌2006年、世界選手権に出場。2008年5月31日、JT退社および現役引退
2008年9月、第6回パーカッシオ美脚大賞スポーツ部門受賞。
受賞者は、「20代部門」広末涼子さん、「30代部門」瀬戸朝香さん、40代以上の方を表彰する「オーバーフォーティー部門」には真矢みきさん、「スポーツ部門」には、元バレーボール日本代表としての活躍が記憶に新しい、菅山かおるさんになりました。
2009年2月、ビーチバレーの選手に転向することを発表。今シーズンのペアの相手はビーチバレー女子ジュニア選手権大会で優勝経験もある18歳の溝江明香(産能大)で室内のバレーボールでは果たせなかった五輪出場を目指す。
ビーチバレーに転向した菅山かおる(30)や、浅尾美和(23)らが2日、大阪市内で「ビーチバレーワールドツアー2009日本大会」の会見に出席。姫と妖精が水着姿で初共演し、健闘を誓い合った。
菅山は鮮やかな水色の水着。浅尾は腰にピンクのリボンをあしらった黒の極小“ヒモパン”ビキニで、LからMにワンサイズ、ダウンした。
菅山は鮮やかな水色の水着。浅尾は腰にピンクのリボンをあしらった黒の極小“ヒモパン”ビキニで、LからMにワンサイズ、ダウンした。
浅尾が三重・津商高時代、菅山が所属していたJTに合宿に出向き、そこで姫と妖精は初対面した。「すごいきれいだなと思って、あいさつしたら、言葉を返してもらってテンションが上がった」と浅尾は思い出話も披露した。
今季も西堀健実とペアを組む浅尾は「浅尾・西堀ペアが強くなった姿を見せちゃいたい」と早くも意気込み、4月に産業能率大(産能大)に進んだ溝江明香とペアを結成する菅山は「不安要素はあるが、胸を借りるつもりで頑張りたい」と抱負を語った。
バレーボール女子の元日本代表の人気選手で、ビーチバレーに転向した「かおる姫」菅山かおるが、溝江明香(18歳・産能大)とペアを組み、デビュー戦初勝利を飾った。
湘南の風に乗って、「姫」が舞う。ビーチバレーデビューとなった菅山が、立ち上がりから4連続得点するなど第1セットから圧倒。ペア歴2年の樽井、豊田組をあっさり退け、バレーボール女子の元日本代表の底力をみせつけた。
かおる姫は「ホッとしました。久しぶりの真剣勝負は楽しかった」。元日本ジュニア王者・溝江とのコンビ練習はわずか5日間と、突貫で間に合わせたが、相性は抜群。試合には観客約150人に加え、カメラ14台、報道陣70人がコートをぐるりと囲んだ。
その後の菅山かおるさんは2011年、同じビーチバレー選手の西村晃一さんと結婚、40歳を超え2人の子供の母親になってもビーチバレー選手として最近まで精力的に活動していたようです。
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