前回は日雇い派遣でのことをざっくり書いたけど、その中で一番思い出深いのがコンビニ弁当の工場。▶︎前回の記事


昔住んでた家のすぐ近所にあって、外から見たら某教団のなんとかサティアンみたいに見える。

しかも中から出てきた人が頭から足まで全部白づくめでマスクもしてるし、なんの施設かわからなかった時はマジで怪しい施設だと思ってた。

まずここの工場で働くときは白衣や帽子を被る。
ちゃんとクリーニングされたものを毎回支給される。
もちろん使いまわさない。

白衣はバリンバリンに糊が効いてて、袖を通した時にシュバっと布と布の間を自分の拳が突き抜けていく。

こういうところはユニフォーム絶対清潔だからいいよねって思う。

自分が中に着てる服が袖口や裾から出たりしないようにするのと、上衣の裾はきっちりインしてベルトを締める。
因みにベルトだけは私物だった。

そして食品工場が故に髪の毛に関してはすごく慎重で、一本たりともはみ出さないように不織布製のキャップをかぶってから、さらに給食当番みたいな帽子をかぶる。

そして社員の人が髪の毛が出ていないか、顔まわり、耳元、襟足等隈なくチェックする。

髪の毛のクレームって何百個に1個の確率だけど、毎日有った。
こんだけかなり気をつけてるのにね。


そして爪。

爪はちょっとでも白いところが出てたら切らないとダメ。

そして手は殺菌剤入りの石鹸で30秒以上決められた順番で洗い、爪もブラシをかけ、さらに30秒お湯ですすぎ、さらにアルコールをかけて手袋をはめる。


コレ、わかると思うけど、ホントに肌にダメージ来るよね。
私はまだ手肌が頑丈なタイプなんだけど、弱い人は1日で手がボロボロになるし、いつも「おい!派遣!」ってギャーギャー怒鳴ってる工場長が手袋を脱いだ時に出てきた手がもうそりゃあびっくりするぐらい爛れてて、あんなのアルコール消毒とかしたら拷問じゃね?ってぐらいのレベルだった。

アトピーの人はお断りっていう案件だったんだけど、いや、あんたもっとやばいっしょって思った。
ちょっと気の毒にも思えたぐらいだよ。

コンベア作業所内はホントに冷蔵庫みたいに寒い。
まぁ食品を劣化させないようにやってるからしょうがないよね。

当然トイレも近くなっちゃうよね。

なのに、作業中トイレに行きたくなってそのライン作業から外れようとすると、社員の中には「ふざけんな!さっさと行ってこいよ!」とか怒鳴り散らす人がいる。

それが怖くてトイレに行きたいって言い出せず、そこで脱💩しちゃったが人いると聞いた。ガーン

お陰でライン作業所全てが何日か操業停止になった。
大損失だよね。

まぁ、トイレに行かせるくらいでギャーギャー言うようなヤツもバカだと思うけど、そこで何も言えなくて…夏。も、どうかなぁ??うーん

その事件の後は割と優しくトイレに行かせて貰えたので、まぁ怪我の功名か?違うか。チュー




▲本家のJ-walkは、元ボーカルの中村さんがおクスリで捕まって完全になきものにされようとしているので、全く画像が出てこなかった。残念。これが一番良かったかな。ガッツリ90年代。私はまだ10代だった。ちなみにJ-Walkは柳ジョージのバックバンドをしていたのだよ。ジョージ知ってる?知らんよね。




▲晩年のジョージ。ジョージはもうこの世にはいない。この歌舞伎って曲は、私が高熱でうなされた時にサビの「雪月花ぁああ」がグルグルループするので、個人的にいい記憶を持たない曲なのだが、改めて聴くとカッコいい。亡き母が好きでいつも車でかかっていた。初めて聴いた時は「ケツ、ケツが…」だと思っていた。大病を患ったあと、こんな老猫みたいなじいちゃんになっても歌唱力が全く衰えていないのがすごい。


前回も書いたように、職場はホントに外国人が多かった。
中でもフィリピン人が多かったな。

彼女達はそこから遡ること10年、15年くらい前にダンサーとして日本にやって来て、フィリピンパブで働いてきた人達。

私が住んでた市の隣の市は日本の中でもトップ3に入る風俗街で、フィリピンパブもかなりあった。


だからその近辺には日本人xフィリピン人夫婦が今もたくさんいて、ハーフの子も多い。
日比ハーフは可愛い子多いよね。




▲秋元才加ちゃん、かわいいっていうか、カッコいいよね。

で、そういうフィリピンパブで働いたのちに日本人と結婚し永住。
パブを引退したフィリピン人女性が歳を重ね、家族を持ったのちに行き着くのがこうした工場なのだ。

だいたい明るい人達だったけど、でもやっぱり色々あるみたいで、旦那から暴力を受けてるけど逃げるお金がない人や、ギャンブル狂いで働かない夫がいたり、浮気されてたり…
仲良くなって話を聞くとそんなんばっかだった。

あと、閉鎖的な環境にいるとどうしてもみんな「イラチ」になっちゃうみたい。
ホントにあれこそ切れたナイフですよ。←いつもの好きなフレーズ


だからしょっちゅうケンカもあった。

なんか「作業中にお前の手が邪魔だったせいで私の番の時に入れられなかったからミスになって、お前のせいで怒られた。」とか、そういうの多かったわぁ。

休憩中に外国人対外国人が日本語で「オメーナンダヨ!バカヤロー!!」って言って、椅子ぶん投げたりね。

数回あったね、そういうの。キョロキョロ

いやいやいや。
TOKIOのガチンコBE-BOP予備校みたいだったわ。




▲懐かしすぎる。TOKIOはぐっさんが好きだった。(泣)


もう静かにお茶すするしかない状況だった。お茶

因みにここの社員食堂は安いのに百貨店の社員食堂よりずーーっと美味かった。

たまに工場で作りすぎた唐揚げとかも売られてた。

「まぁまぁ、美味しいもん食べてほっこりしてくださいよー」って感じだけど、もう食事の味なんかどうでもよくなっちゃう環境なんだよね。


ライン作業の人はそんなだったけど、厨房はもっとゆったりで、人も穏やかだったし、何より暑いくらいあったかいから、私はそっちばかり行っていた。


ただ、カルビ弁当になるための肉がびっくりするぐらい得体の知れない気持ち悪い肉だったり、「今ドーーーーーォオオって入れた白い粉なんですか?」みたいなのを見て、ますますコンビニ弁当なんか食べられなくなったけど。

そして厨房はフィリピン人だけでなく、何故かアフリカンとかパキスタニが多かった。

目しか見えないからマスク取っちゃうと誰だかわかんないのに、マスクしたら誰か認識出来るってウケるよね。

あー懐かしい。


色々怖いもん見たけど、今度日本に帰ったら真っ先にローソンのハムサンド食いたいと思ってる。

因みに私が働いてた工場で作ってた弁当はローソンのものではない。