南風は、昭和30年代の北海道出身です。
1966(昭和41)年4月1日木古内小学校入学、6日瀬棚小学校入学です。
1970(昭和45)年に瀬棚小学校から阿寒町立布伏内小学校に転校しました。
瀬棚町は、小さな漁村。
布伏内は雄別炭鉱が閉山になって寂れた小さな部落(コタン)でした。
小学校に入学してから、昼食はお弁当でした。
思い起こせば、毎日お袋がお弁当を作って持たせてくれました。
お弁当箱はこんな感じ。
玉子焼きと赤いウインナーソーセージ。
こんなのが定番ですね。
ほうれん草のお浸しとかね。
お袋のお弁当はこんな感じでした。
日本中がまだ貧しかった時代です。
日の丸弁当が普通に存在しました。
それを恥ずかしいと思わずに、「今日の梅干しは何個かな?」
なんて普通の会話でした。
アルマイトって言うんですかね?
こんな弁当箱にご飯と梅干を数個の子がけっこう居ましたよ。
日本国内で、お弁当持参が給食に変わったのが何時かは、
地域差があり、特定出来ませんでしたが、大体この頃だと思います。
1970(昭和45)年に瀬棚小学校から阿寒町立布伏内小学校に転校した時に、
学年2クラスあった瀬棚小学校で、4年生まではお弁当で、
僻地の布伏内小学校に転校したら、給食センターがあって、給食になりました。
布伏内小学校ではそれが普通だったので、
何時から給食だったのかは不明ですが、
好き嫌いがある子とか肉が食べられない子とかが居て、
しかも昭和の教育ですから、残さずに食べる強制などが行われていて、
なかなか昭和っぽい給食風景でした。
まだアレルギーの子どもとか居なかった時代ですし、
肉だって美味しい肉ってわけじゃありませんでしたからね。
でも、昭和の強制給食によって、好き嫌いを矯正させられた人も多かったのではと思います。
読者の皆さん。
昭和のお弁当が給食に変わった時代。
覚えているヒト、思い出したヒト、居ませんかね?
お読みいただき有難うございました。




