『沖縄武道空手の極意』 150頁 D 「武道の厳しさ」に入ります。
武道における気は、闘争心や集中力の現れに過ぎません。
相手が恐怖で委縮すれば、居着いてしまい、その場所から動けなくなります。
しかし、気配を消して戦っても、闘争心をむき出しにして戦っても、
物理的効果には、何の関係もない。
力んで身体操作がほんの少しでもブレたなら、エネルギーがロスする。
それならば、平常心で戦えるように精神修養に励んだ方がましですね。
さて、理論だけで鍛錬しなければ、鍛えている者に後れをとる。
また、恵まれた体格や体力、鍛錬だけで、理論を理解しなければ、
理論をマスターした人間に何時かは敗れる。
「武とはすべての真実と同じく、大丈夫(ますらお)ぶりで死をも恐れぬ勇気を胸に秘めて心身を強化しつつ、
有らん限りの頭脳を駆使して考えた理論の上に、高度の微妙なバランスを取りながら成立しているものにほかならない。」
またまた出ました「形而上」と「形而下」の話です。
「この二つのうちひとつが欠けても、武道とはよべない。」
「でも、この二つだけでもだめだ。」
「その巧妙な舵とりを行うのが「心」の操作、いわゆる「心法」なのだ。
で次回が「心法」の話です。