〈Dさんの実例〉

 

Dさんからの便りです。

 

前略 朝夕は大分涼しくなりコオロギの鳴く音色にも、もう秋を感じさせられます。

 

日頃は、先生の大切なお時間を割いていただき、次郎と良子が度々お世話をおかけいたしております。

 

その都度に除霊をしていただくと、体を楽にしていただき働くこともでき感謝いたしております。

 

つきましては、私事ですがとても悩まされ続けてきことがあります。最近特に目立つようになりました。

 

私が使用している軽乗用車のことです。息子たちがいる建物の一階にいつも駐車しておりますが、鍵をかけてロックしてあるのに、助手席側のシートのヘッドレスト(頭部あて)の高さ調節が三センチぐらい持ち上がっているのです。

 

ずいぶん前からされていたのですが、訳がわからず無視してきました。

 

最近とくに回数が多いので、予備に大切に置いてあった二つの命根石を車の中に入れましたが、二日ぐらいたって又さらに上に持ち上げてあったのです。

 

それから、とうとう動かぬように太い糸で背もたれにヘッドレストを縫いつけました。

これで、もう大丈夫だろうと安心しましたが、今度は次のことが起きました。

 

ボンネットの上に何か足跡のようなものが無数についているのです。とても不気味でした。そして昨日、近所の方が入院されたので病院にお見舞いに行きました。

 

帰ろうとして、手提(てさ)げバッグの中を見ると車のキーがなくなっているのです。いつもバッグの中に入れておくので、落とすわけがありません。何回も何回もバッグの中を探しましたが見つかりません。

 

とうとう仕方なく車の鍵の業者を呼びました。しかし、その業者が到着する二、三分前に鍵が見つかったのです。

 

思いもかけないことで、なんと駐車場の縁(えん)石(せき)(車止め)の上に車のキーが置いてあるのです。不思議なことで、信じられません。こんなことで一日が振り回されてしまいました。

 

夜になって、子供たちにこの話をすると、息子も仕事先でポケットの中に入れていたキーがなくなっているようです。大事な時間をつぶして探し回り、思いもかけぬ場所から見つかるそうです。

 

こんなことが一ヵ月のうちに十回以上もあるそうです。まったく不可解です。これらのことは、何か目に見えないものの仕業(しわざ)だと思いますが、いったい何が原因しているのでしょうか。何か訴えたいことでもあるのでしょうか。

 

また、恨みでもあるのでしょうか。どのようにさせていただいたら、障られないようになるのでしょうか。

 

先生のご多忙中のところを大変恐縮ですが、高級霊さまにお伺いしていただきたくお手紙を書かせて頂きました。

 

何卒宜しくお願い致します。 かしこ

 

Dさんの怪奇現象を高級霊さまにお伺いすると、D家の近くにある大きなお寺に祀(まつ)ってある阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)が暗いところで苦しんでいて、何とか助けてほしいと頼ってきているとのことでした。

 

Dさんの家は代々その寺の寺総代をしていたので、D家に頼ってきたのです。Dさんにそういう寺があるかどうか聞きたくて朝早くに電話をかけると、その寺は近くにあってそこの住職はDさんの甥(おい)がしているとのことです。そんなことからDさんの家と寺とはかなり深いつながりがあるようです。

 

そこで、神としてまつられている阿弥陀如来がなぜ暗いところへ落ちて苦しんでいるかを聞いてみました。すると、阿弥陀如来は人霊であり自分でも反省しているとのことです。神として祀られるほどの霊だから真理も少しは知っていたはずです。

 

それが、毎日大勢の参拝客が如来を拝み、自分勝手な願いや人を困らすような願い、腹の立つような願いごとばかりするので、ついに如来の人霊も憤(いきどお)り、愛の心を忘れて参拝客に怒りを向けるようになってしまったのです。

 

そうして気がつくと、暗い寒いところに落とされていました。反省はしたのですが、明るいところへは出られず困って色々と探していました。すると、Dさんが真理の勉強を始めたのを知って、この人ならば自分を助け導いてくれる道筋(みちすじ)につながると思っていろいろの怪奇現象を示して、高級霊につないでくれるように頼んでいたのでした。

 

神であれ人であれ、誰でも怒りの心は暗黒界のものです。その心となれば、その世界に住まねばならないのです。この真理は絶対です。腹が立つうちは、心が澄んだとはいえないことになります。

 

早速、この阿弥陀如来を明るいところへと助け出し、愛の心や思いやり、許す心の説明をいたしました。本人も、もともと素質がある人霊ですから理解も早く悟ってくれました。

 

またこの寺に戻って阿弥陀如来の役目をするかとたずねると、もう少し心の修行(しゅぎょう)をしてからそのような役目をしたいと言うので、あの世の高級霊さまにお預けしてしばらく心の修行をしてもらうことにしました。

 

その後、Dさんのところの怪奇現象はおさまりました。信じるとか信じないとかの問題でなく、このような結果が実際に起きるから一度体験した人はまた何かあるときに相談や依頼をしてきます。知人や身内を紹介してよこしたりするのです。

 

そして、これらを繰り返しているうちにだんだんと見えない世界の存在に気づき、それにより自分の生き方を正そうという方向になるのです。この生き方に気づいてもらうために、私は神様の道具として使っていただいているのです。

 

UnsplashDavid Edelsteinが撮影した写真

(写真は本文とは関係ありません)

 

[解説] 今日の内容は色々と示唆に富んだものです。まず私が初めて知ったのは、この頃の宮下先生は、やはり、加藤先生を通さずとも、かなり高い精度で霊界と交信できていたということです。

 

宮下先生は嘘をつかれる方ではないので、Dさんの家が寺に関係しているという事実を、Dさんが宮下先生に話す前に、高級霊から教えてもらったのは本当なのでしょう。驚くばかりです。

 

阿弥陀如来様が人間のお願いに腹を立て、暗いところに落とされたというのも極めて参考になる事実です。参拝客が不適切なお願いばかりしてというのは、さもありなんという感じです。他力本願の参拝客が、次から次へ自分勝手なお願いを沢山してきたのでしょう(私もお願いをすることはあるので、そのように受け取られている可能性もありますが…)。

 

ここで面白いのは、腹を立てるということは、基本的にお願いを叶えてあげていたと推測できることです。参拝客が訳のわからないことをお願いしようと、願いを聞くのが仕事でなければ、別に腹も立ちません。無視していればいいからです。

 

真面目に願いを叶えようとしていたからこそ、自分勝手なお願いをされて、なぜそんな願いを叶えなければいけないのかと、腹が立つわけです。

 

それで暗いところに落とされるというのも、神の世界はいまいち構造が分かりません。百歩譲って自動的に落ちる構造でも、反省したら、自動的に上がるようにしてもらいたいものです。

 

前から薄々気づいてはいたのですが、神の世界もどうも修行が厳しそうです。他方で、結局、人間の世界だろうと神の世界だろうと、上がるコツは同じ気もします。

 

腹を立てない、神の教え通り淡々とやる、これに尽きる気がします。全ては魂の修行で上に上がるためには欲を捨て見栄を捨て、神の道具として淡々と生きる、このことが理解出来れば、そのとおりに実践するだけなのです。

 

淡々といきるというと、無味乾燥に聞こえますが、別に人間の生活だろうと神の生活だろうと楽しんでいけないわけではありません。そうではなくて、色々トラップ、修行の上での引っ掛け問題がそこかしこに張り巡らされているが、それらに惑わされずにやる、ということです。

 

阿弥陀如来様の件に戻ると、私は神ではないので正確には分かりませんが、人間のことで腹が立っても、大神様の教えにそって、叶えて善い願いは叶える、だめなものは無視する、これを淡々とやっていればよかったのだと思います。

 

この私にこんなこと頼んでとか腹を立ててはいけないのです。そもそも相手は自分より格下の人間なのですから、腹を立てても仕方ありません。理解する能力がなければ理解はできません。

 

人間界だろうと神の世界だろうと、基本は同じなのです。神の世界でももっと上になれば話は変わるでしょうが、すくなくとも人間界に近い世界は、上に上がるのにそこまで複雑なことは要求されず、悟りを開いた人から見れば簡単なことなのです。

 

それから、話は変わりますが、見落とせない点として、阿弥陀如来様が暗いところから、人間界にアクセスして、鍵などを物理法則に逆らって動かしてしまっている点が気になります。この世の物理法則は変えず、人間の意識に働きかけて、物が動いていないのに動いたように見せているのならわかるのですが、文章からは、物をある場所から消して、他の場所に移動させるということをやっているようにも見えます。

 

なぜ私がこれが気になるかというと、時々、探していたものが突然でてきたことがあるのですが、これは、実は、高級霊が気の毒に思って場所を動かしてくれたのではないかと思ったからです。私が単に物の場所を忘れて、自分の中の勘違いだけの可能性もあります。しかし、時々、ああ、あったーとほっとすることがあったのは、今回のケース(神様が隠した)の逆で、神様が本人が気づく場所に、気付かない場所から動かしてくれたのではないかと思ったのです。

 

つくづく私たちは、神の手のひらの上で生かされているのだと思います。逆らうのではなく、素直に神の教えに従ったほうがお得ですね。