読者の皆様、こんにちは。しばらく日にちが空いてしまいましたが、今日から心の友26号の転載に入らせて頂ければと思います。心の友は全部で30号まであり、前半の内容は、既に転載済みの2冊の本にまとめられています。後半の心の友 (15号以降)は、特に25号ぐらいからページ数が多くなっていることや、内容に重複があることから、すべてをウェブにそのまま転載しても、読者の方が読みにくいのではないかと判断しました。

 

そこで、26号の中でも実例集のところに絞って転載をし、その後のことは、またその時に考えようと思います。行き当たりばったりですが、何もしないよりは良いと思った次第です。実例集に絞ったのは、私が実例集が一番役に立つと思ったからです。抽象的な訓示よりも、具体的な他人の事例の方が、ヒントが多いのではないかと思うのです。

 

〈最初の実例〉

Kさんは、前々から膀胱(ぼうこう)の病気があり四年前に手術をしたのですが良くならず、手術をしたことによりかえって体調を崩(くず)してしまいました。その後の経過も思わしくなく、たびたび相談をしてきます。

 

そこで、私が何故だろうと思い神様に伺ってみると、次のことが分かりました。

 

彼は前々世において中国人であり、孟子(もうし)(紀元前三百年頃の人で性善説(せいぜんせつ)を唱えた思想的指導者)の弟子(でし)をしていました。その時の孟子が、あの世で高級霊となり彼に手引きをしていたのです。

 

つまり、彼がいつまでたっても世俗的な生き方しかしておらず、前世においても今生(こんじょう)においても同様だったのでしびれを切らし、世のため人のために生きてほしい、心を磨(みが)いてほしいと悟らすために、この手術を機に念を送って手引きしていたのです。

 

だから、この念を送られた彼は、いつまでたっても体調が回復せず働くこともできず大変困ってしまっていたわけです。別に、高級霊は彼を困らせることが目的ではありませんから、このことが分かり悟ることにより、彼はこれから良くなって行くことと思います。

 

※参考

【性善説】人の本性(ほんしょう)は善であり、不善となるのは欲と我におおわれるためだという孟子の説です。 

【性悪説】人の本性は悪であり、そのままにしておくと簡単に堕落(だらく)するという荀子(じゅんし)の説です。

【中間説】人の本性は、善でもなく悪でもないとする告子(こくし)の説です。

 

 

UnsplashWilson Yeが撮影した写真

 

それから数日後、Kさんから手紙がきました。

 

前略 大変お世話になります

 

いつも除霊をして頂きありがとうございます

お忙しい中でのお心づかいに感謝いたします

 

私の体調もほとんど良い状態なのですが、まだ嫌な時もあります

疲労感が軽く出ますが、これが霊病(手引き)っていうものなのでしょうね

 

でも、ようやく背中のコリが抜けて楽になりました

私への手引きだということですが、全く変な病気です

 

今考えてみると、あれも手引きだったのかと思い当ることがあります

そのひとつは、膀胱の手術をする何年か前のことでした

就寝中の夜中に、突然体が震えるぐらいのものすごい恐怖感に何度も襲われました

悪霊が近づいてきて、悪さをしようとしているんだとばかり考えていましたが、これが孟子さんからのシグナル(手引き)だったのですね

 

あとひとつは、無性に世のため人のためにならなくてはと思えたことです

自分でも、何でこんな殊勝(しゅしょう)な気持になるのか不思議なほどでした

病気ばかりで、自分の人生もままならない私が、人助けなど考えるなんてとても滑稽(こっけい)な事に思えたからです

 

私としては、前々世にどうして孟子の弟子になったんだろうと不可解でした

でも先日電話で伺ったように、悪事を働いたための改心から、救いを求めての弟子入りだったことが分かり納得(なっとく)いたしました

 

この孟子さんが、こんな私に何を期待しているのかわかりませんが、心を尽くして行きたいと思います

 

それから、私の膀胱の病気も手術をしても良くならず同じような状態ですので、もうこれ以上は治療法もありません

 

ですから、「人をたすけて我が身たすかる」の教えのように、人助けをしなければ治らないと思っています

 

この考え方は、神様と取引きをするようで気が引けますがこれしかないと思われます

いずれまた、ご相談する時がくるかと思いますが、今後ともご指導くださいますよう宜しくお願い申し上げます 早々

 

〈(宮下先生の)解説〉

この手紙の中で、彼が悪事を働いたために孟子の弟子になったとありますが、この悪事とはこういうことです。前々世で彼が、一人の女性をもてあそびましたが、心変わりがして他に好きな女ができたのです。

 

そこで、この女性が邪魔になり人買いに売り飛ばしてしまったのです。そして、売り飛ばして得たお金を、好きになった女との結婚資金にしてしまったのです。

 

この人買いに売り飛ばされた女性は、遊女となり身を落としイヤイヤ働かされ、しまいには性病を患(わずら)い死んでしまったのです。つまり、この悪行(あくぎょう)による改心からの弟子入りだったわけです。

 

しかし、いくら孟子の弟子となり善行を行なったからといえ、この悪行の因縁は消えるわけではありません。もちろん、自分の人生をだいなしにされた女性は、あの世から物凄(ものすご)い恨(うら)みの念を送り続けていました。下半身の病(膀胱の病気)ということで、彼の身に前世でも、今生でも、まとわりついてきたわけです。

 

ですから、今生においてこういう病気となって苦しむのも、みんな前々世からの因縁(因果(いんが)応報(おうほう))だということです。全て偶然ではなく必然だということです。だから、自分の行った行為は良きにつけ悪しきにつけ、何千年もの時間と空間を飛び越えてみんな自分のところへ還(かえ)ってくるのです。(―この因縁は、十数年前に解決済み)

 

また彼が、就寝中に物凄い恐怖感に襲われたり、殊勝な心がけになったりしたのも私が神様に伺うと、みんな高級霊の孟子からの手引きであるとのことでした。人間は全て、高級霊、守護霊、背後霊、先祖霊に見られているのです。嘘(うそ)や偽(いつわ)りは通用しません。

 

それから手紙の最後に、膀胱の病気が治らないので「人をたすけて我が身たすかる」の教えのように行動しなければとありましたが、まったくその通りです。

 

超高級霊は、「どんな難しい病でも、心次第(しだい)で治らないものでもない」と言われています。この真理を知って理解するに至れば、心次第によってどんな難病でも救(たす)からないというわけではないと示されたのです。

 

つまり人間というものは、身体は神様からの借り物であって、心一つだけが自分のものです。その心一つの使い方により、幸も不幸も病気も出てくるのだから、この心の使い方一つで、不幸も病気もなおると言われているのです。

 

しかし、これが及(およ)ばない場合があります。それは、心得(こころえ)違いです。超高級霊が、たすけようとどれほど追っても、見向きもせず手離れしたのではどうにもならないと示されています。だから超高級霊は、「何とかならんと言わないでくれ、皆めいめいの心次第だ」と申されています。

 

人間の心に神の働きを受け容(い)れる土台がなかったら、これは致し方ないことになります。その土台をつくらせるための手引きであって、神の存在に目覚(めざ)め、真実の心を定めることが、救かる第一歩を踏み出すことになります。

 

その結果、速(すみ)やかに救かろうと、長い期間を要して救かろうと、あるいは場合によって形の上では救からないように映る(因縁が深い)時でも、救かる方向へ歩み出したことにおいては同じことになります。

 

人間は病気の治ることを願いますが、神は「心のほこり」の払われることをめざします。神からすれば、ほこり(悪因縁)はあるが、病というのはないのです。

 

「病気は病気である」これが人間世界の公式です。しかし、「病気はほこりであり、さらに神の手引きである」これが神の公式です。神は、病気という現象の本質はほこり(悪因縁)であり、これに気付くことが人間の課題であると申されます。

 

ここに気付く時、病の根は切れ、心が勇んでくるという陽気暮らしの世界が展開すると教えられています。だから皆さんも、ここに実例として取り上げた方々のことを他人事だと思わず、因縁というものを理解して、「心づくり」や「心定め」に励んでいただきたいと思います。

 

そして真に因縁を自覚すれば、目前の不幸、病気、災難をいたずらに嘆(なげ)くことはありません。「難儀するのも心から」の教えのように、誰を恨(うら)むこともない、まったく我が身恨み(自業(じごう)自得(じとく))であるということが納得できると思います。これにより、前世の因縁を懺悔(ざんげ)することができるのです。

 

人間は本来的には善でありますが、存在的には必然的に悪を背負(せお)うものです。というのは、人間は心の自由を与えられていますから、知らず知らずのうちに、我が身勝手の道を通ってしまいます。それが、ほこりとなり悪因縁となるのです。

 

このように、「因縁とは心の道である」と教えられています。この道に蒔(ま)いたる種は皆生(は)えてくるとも言われています。だから、蒔いた種どおりの花が咲くのです。しかし、この花は、神の心に近づくための道の花となれるのです。「身上(みじょう)事情(じじょう)(病気や困り事)は道の花」と言われる所以(ゆえん)です。

 

[管理人の解説]

昔はなかなか病は気からとか、病気の殆どの原因は霊障とかいうことの意味が分かりませんでした。その後経験を積んで、実際にそうであると思うようになりました。

 

私はこれまで殆どの病気を自分で治してきました。(西洋医学のお陰で治ったものはありません。西洋医学の中でも外科的手術など、一部は役に立つと思いますが、薬を飲んで治すもので役に立つものは一時しのぎ目的を除けば、殆どないと思います。これは西洋医学自身も、薬は対症療法であって自然治癒力で治すものだと認めているところです。)

 

自分が病気を自分で治した経験からすると、体調が悪いことにとらわれたり、どうしようと考えたりすると、治りません。やや大げさで極端ですが、まあ死んだら死んだでどうしようもない、そのうち良くなるだろう、と気楽に考えることです。そうすると回復が早まります。

 

そして霊障の原因を片っ端から当たってみることです。土地の神様、先祖の障り・・・と順番にやっていくのです。そうすると徐々に良くなっていきます。

 

特に、50とか60歳より上になってきた場合は、そろそろ自分の人生のことだけでなく、人助けに目を向けなければなりません。霊障と同時に、生き方を見直せ、というシグナルはよくあることです。

 

私たちは今の苦痛が取り除かれればいいやと思いがちですが、実際は、残り10年だか2,30年の人生より、霊界の修行の方が長いのです。人生の中で達成すべき魂の修行をクリアできなければ、それは死んだ後で猛烈な後悔の対象になります。

 

今回の例は、孟子の弟子という面白い事例でしたが、まあ孟子も昔の弟子を見てられなかったのでしょう。私なら忘れてしまいそうですが、孟子は随分と弟子思いのようです。弟子がまいどまいど人生を失敗して輪廻転生を無駄に繰り返すのは忍びなかったのかもしれません。

 

Kさんは何を期待しているか分からないと発言をしていますが、出来ることなら何でもいいのです。他人のためになることを考えるのも修行です。私はそれがブログだと考えてこうして実行しています。