認知症はなぜ起こるか

 

認知症は、表面的には薬の副作用とか生活習慣病とかいろいろ原因は考えられますが、深い原因は霊的な面にあります。すべての人が生まれ出る前に、あの世で高級霊の方々と地上に再生したらこういう点とこういう所を修正しようと約束し、目的を持って生まれてきたのです。

 

それなのに、いつまでもそれに気がつかず少しもその目的に近づこうとしないから、痴呆にして強制的に修行をさせているのです。人間は、肉体が終わる前に魂の修行をしなければなりません。要するに、肉体という物質が必要なのです。肉体のある内にしなければ、この世に生まれてきた価値がなくなるからです。

 

でも強制的にさせるには、肉体が感じる世情の雑音があると魂はそれにとらわれ修行が出来なくなるのです。そのため、本人の守護霊や担当の係りの霊の方が肉体の脳をボケさせ、外部からの刺激をシャットアウトして、急いで学ばなければならない事を教え込んでいるのです。

 

つまり、死ぬ前に魂の修行をさせられているのです。ですから、少しでも真理を学び心の修行をしている人はボケにはならないのです。また、ボケることにより、周りの人達にも何かを気づきなさいと信号を送っているのです。

 

癌や脳卒中、難病などの原因も表面的にはストレスや生活習慣が悪いとか、食べ物、遺伝等いろいろ考えられますが、深いところでは霊的な障りが強くあります。霊的な障りとは、自分の前生(前世)の因縁、先祖の因縁、自然霊(土地の障り)、人霊(社の神など含む)などいろいろのものが複雑に絡み合って障っています。

 

これらのものは、人間の目には見えないし科学などでは証明できないものですが、確実に存在し影響を与えています。見えないからといって、否定してはいけないのです。むしろ、見えない世界からの影響のほうが強い場合があります。

 

今いろいろの事情で悩み出口が見えず、自殺を考えている人がいるかも知れませんが、絶対に自殺はしないで下さい。つまり、その悩み苦しみから逃げないで下さい。今あなたは、目先の辛苦だけに心が奪われています。

 

しかし、大愛の神はあなたを救おうと一生懸命に手を差し伸べて下さっているのです。あなたは前生と今世の今までの生き方の中で、神の心に反する生き方をしてきたようです。それが、悪い因縁として自分についてきているのです。この悪い因縁を消すには、今の世で、辛い苦しい大変な思いをすることにより、その因縁が消えるのです。

 

因果応報の法則からしても、因縁は必ず関係してきます。ですから、今の辛い状況は今までの悪因縁を消して下さるありがたい時であると感謝して受け止めて下さい。この悪い状況がいつまでも続くわけはないのです。出口はすぐそこにきています。

 

それともう一つの理由は、この辛苦を通してあなたの弱い魂を強く鍛え上げてもらっているのです。あなたの魂が、今の段階から一つ上の段階に上がるための修行をしているのです。ですから今の苦しみや悩みは、あなたの因縁を消しあなたの魂を磨く絶好のチャンス(機会)なのです。

 

だから落ち込まず、不平を言わず、運命が変わる時だと前向きにとらえて頑張って下さい。そして苦しい時には、次の「運命を変える祈り」の言葉を強く唱えてみて下さい。現在幸せな方もこの祈りを唱えてみて下さい。唱える人が多くなると、その善の波動が天に届き世界が平和になります。

 

世界が平和になると、私たち一人一人もその幸せを受けることになります。皆で、この祈りを唱えてみませんか。(祈りについては、『心の友』誌第二十三号の記載と重複しています)

 

UnsplashZuza Gałczyńskaが撮影した写真

 

『運命を変える祈り』

 

①世界が平和でありますように

②世界のすべての人が幸せになりますように

③日本が平和でありますように

④すべての人の天命がまっとうされますように

⑤毎日が感謝で過ごせますように

⑥創造主様、ありがとうございます

⑦高級霊の皆様、ありがとうございます

⑧守護霊様、ありがとうございます

⑨背後霊様、ありがとうございます

⑩生かされ、守護され、かかわりあう皆さん、ありがとうございます、ありがとうございます。

⑪毎日が内の心で生きられますように、ありがとうございます。

 

【※】お祈りするときに心がこもっていなくてもよいです。なるべく言葉に出して祈って下さい。声は小さくてもよいです。声に出せないときは心の中で祈ってもよいです。文句は少し間違えてもかまいません。祈ると、神様とのつながりのスイッチが入り、神様の救いの大きな光が流入してきます。信じなくてもよいですから、まず祈ってみて下さい。

 

祈っているうちに、気がつくと運勢がよくなっています。悔しい時、困った時、怒りやすい時、悩む時、病気の時、行き詰まった時、マイナス思考の時、いつでも唱えてみて下さい。ともかく一生懸命祈ることです。風呂の中でも、道を歩いていても、電車の中でも、祈ることです。

 

この祈りがいろいろの揚所で祈られると、それが想念となって天に届き、地球の波動がよい方向に変わり、いつの日か地球の平和が実現すると思われます。自分ひとりでは何もできないと思わずに、まず自分が幸せになるために祈り、世界のすべての人が幸せになるために祈る、この二つの目的が果たせるのがこの祈りだと思います。

 

[解説] 私も祖母が認知症になりました。祖母は他人を傷つけたり自分だけがよければよいというような性格ではなく、働き者で、老後はボランティア活動などもしておりました。金銭的に余裕もありましたが、特別に贅沢な生活をしていたわけでもありません。

 

そうすると端から見ると魂の修行をそれほど怠っていたようにも見えず、もっと他人に迷惑をかけたりひどい人でボケていない人は沢山いるのに、どうしてボケたのだろうとなるわけです。

 

一番の大きな理由は、私が、加藤先生や宮下先生を通じて助けてもらい、大神様の教えに触れる機会があったのに、真面目にこれに耳を傾けなかったことが原因ではないかと思います。

 

一応、宮下先生の2冊の本(このブログに転載されているもの)を読んではいたようですが、やはり表面的に理解した気になり、実践まではしなかったのです。

 

そのため、そのまま平穏な老後を送っていてもこれ以上は魂の向上は見込めないと判断され、認知症になってしまったのではないかと思います。正直なところ、私自身、ボケることにより宮下先生のいうとおり、本当に魂の修行になるのかは分かりません。ただ、この理論が正しいとすると、そのままではダメだと神様に判断されたのでしょう。

 

祖母は第二次世界大戦を経験しており、戦後の貧しい日本を生き抜いて、ようやく老後になって自由に旅行など行けるようになった訳ですので、少し厳しい仕打ちのような気もします。実際、もっとひどくてボケずに楽している老人はいくらでもいたように思います。

 

ただ、魂の修行というのは人によって段階が違いますから、祖母の場合、もっと目的があってこの世に転生してきていたのでしょう。私ももっと神様の教えを説くなり何なりしておけばよかったと思っています。このブログを続けているのも、とにかく不完全でも不十分でもなんでも努力ゼロよりはいいかと思ってやっております。

 

修行は厳しい。晴れの日に公園でぼーっとしていると、私たちが多くの課題をもって転生してきたとは思えないほど平和ですが、実際は私たちはクリアしなければいけないミッションがありこの世に来ているのです。一日で結果を出せとか、厳しいタイムリミットを設定されているわけではないものの、数十年というスパンは長いようでいて短いものです。

 

ハラハラ・ドキドキするような短さではないものの、のんびりしているとあっという間に終わってしまう程度の短さではあるのです。

 

難しすぎるだろう、修行として非効率じゃないか、不親切だ、デザインが悪い、などなど、いくらでも神様に悪態は付けますが、おそらくこの世界のデザインは考えに考え抜かれているのです。実際クリアして神の世界に入っている魂もいるわけです。ですので、とにかく生き抜くしかないのです。

 

私は宮下先生のいうとおり、マイナスの言葉を吐かないとか、いつでも感謝の心を持つとかはできません。文句も言うし、不平もいいます。ただ、それでも、この世界への感謝と怒りと不満をすべて合わせ持って抱えながら、何とか今日を生きています。