[Pさんの実例]

 

Pさんは、私が親しくしている東北の大学講師であるSさんの紹介です。Pさんから手紙がきました。お名前だけ変えさせてもらって、その全部を紹介させて頂きます。手紙の相談の中には、この手紙よりも、もっと、もっと長文で読むのに時間のかかるものもあります。平均で毎日、二通から四通の手紙がきています。旅行などで長く休んだ後には、二十通なんて多量にきている時もあります。

 

UnsplashPoint Normalが撮影した写真

 

それでは、Pさんからの詳細な手紙です。

 

拝啓 Sさんからお話を聞きペンを取ってみました。私がP家に嫁いだ時は、主人と弟二人、妹一人、母一人、母の両親、私を加えて八人家族でした。今から、四十年以上も前の事ですから、口では表現できないことばかりでした。まして、田舎のそのまた田舎の様な所ですから…。

 

私は、三人の男の子を授かりました。二男は、生後六十日でこの世から去りました。今でもお地蔵様のような慈顔だった事をはっきりと覚えています。

 

今、私は長男の事で悩んで居ります。長男が高校を出てからは、飲酒運転で事故の連続でした。新車三台、中古車二台はその場で廃車、最初の一台目は長男にせがまれ本人が支払いをするという話で買う事にしました。

 

その頃、高校時代から交際していた可愛い子がいましたが、両家共結婚をと考えていました。私共は、男子ばかりなのでそれはもう本当に嬉しく思っていました。でも、いつ頃か、夜中に女の子の泣き声が私共の寝室に聞こえてくる様になり、私は息をひそめて息子の部屋の様子を伺いました。

 

話の内容は、女の子が別の男と話しをしたのにヤキモチをやいている様でした。その後も何度となく繰り返すので、私がこの状態で交際するのは大変だと思って二人で相談するように話をすすめました。

 

あの様な形では、とても女の子が可哀相で見ていられなかったんです。その時、初めて我が子が異常なまでの嫉妬心が強い事を思い知らされました。結果は七年間の交際の末、破局を迎えました。それでも、時々は女の子から手紙はきていました。

 

そんなある時、女の子の母親から、息子の嫌がらせの電話があり警察に話す前に私達が知っているのかという連絡がありビックリしました。主人に話しても何回も事故をおこしているのでもう見放している様です。何事にも、主人からは、返答はもらえませんでした。

 

息子は、どんなに私が言い聞かせても飲酒運転を続け事故をくり返す始末です。私も何回もお祓いに通ってみました。そうしているうちに、三男は婿養子に出ました。この子は、小さい缶ビール一本で酔うので私としては、主人も、何の心配もなくホッとしています。

 

息子は、最初の事故から二年ほど同じ会社にいましたが辞めて農協(JA)に就職しました。仕事が自分にあっているのか、とても楽しそうでしたが飲酒運転だけは止めませんでした。そうしているうちに、主人が病に倒れ平成六年七月十四日にこの世を去りました。

 

お葬式を済ませ息子に、二人でしっかり暮らして行こうと話したら父親が亡くなり、ホッとしたと話しました。そして、私にも、親父が亡くなって喜んでいるだろうとゲラゲラ大声を出して笑いました。

 

たしかに主人は、頑固でムスッとしているタイプです。口数も少なく一日中二人で仕事をしても、ほとんど言葉を交わす事がないんです。でも、その時の気まぐれというか、調子の良い時は笑って話すし、夜は飲み歩くのが好きでよく出歩いていました。二人でも、よく出たものです。

 

遅くなりましたが、主人の弟妹達はそれぞれ家庭を持ち元気に暮らしています。主人の母は、主人が倒れてから私が病人につきっきりで看病の為、義母を家族で話し合い施設にお願いして入所させました。

 

私は朝、主人の食事を終えると家にもどり、洗濯と息子の食事の支度、義母の様子を伺いに毎日奔走していましたが良い結果は得られず、主人とは最後の時を迎えました。主人亡き後も、義母を施設にお願いして私は働きに出ました。

 

これから先、どうして生活していくかを考えたら悲しんでいるヒマなど私には有りませんでした。私の給料と息子が少しばかりの入金でどうにか暮らして行けました。でも、それからが大変でした。

 

息子が前にも増して、変な行動を取る様になりました。仕事には行きたがらず、もどってきても朝まであびる様に酒を飲み職場には体調が悪いと休みを出し、会社に出ても車の中で眠っている状態だと他人から聞かされました。

 

もう、それからは、手の付けようが有りませんでした。飲みだすと食器を私に向けて投げつけ、髪を引っ張り振り回す、夜中に窓を開けて大声で叫び、深夜ステレオのボリュームをあげて何時間も音楽をくり返します。

 

夜、飲み出すと次の日の午前中はどうにもならない有様です。これを止めようと、私と言い争いになり私はいつも怪我ばかりしていました。身内や友人、知人などに相談して話し合いの場をもちましたが、他人が居る時はとてもおとなしく涙を見せ、手をついて謝ります。でも、次の日からはまた同じ事のくり返しです。その為、数人居りました友人達もあきれて息子から離れて行きました。

 

酒飲みは飲んでいる時に本音を吐くという言葉を思い出し、諭す様に語りました。でも息子は支離滅裂で、まともにどの話を取って良いのか分りません。ただ、はっきりしたのは、財産の問題と、田んぼを売ったお金の事だという事です。

 

私達は、かなりの田んぼを持っていましたが、主人と二人で田んぼだけでは食べてゆけなかったんです。他の家では、田んぼを朝夕に仕事をして、日中は土木建設などで働いています。でも我が家では、日中、主人はパチンコ三昧、仕事は片手間でした。

 

だから、借金もかさみ首も回らない状態だったんです。私は、なんとなく知っていましたが見栄っ張りの主人は家族の誰にもしゃべ喋らず、借金を増やしていました。入院しても高額医療の申請を安くなるように私がして、その支払いをしていました。

 

その時やっと、主人が田んぼを手放す段取りになっていると話してくれたんです。生きているうちに全部済ませてほしいと頼み、ほんとに食べる分だけの田を残して手放しました。それで、借金は払いましたが、残った金も有りませんでした。

 

家、土地も名義が義母のものになっていますので、私としてはホッとしたものです。それこそ、息子と二人で力を合わせなければ生活ができなかったんです。少しばかりの保険金で、家、作業場、土蔵、車庫、等の屋根のふきかえ、何十年もの古い家なので外壁の修理にあてたら、まるっきり残りません。

 

家が古い分、毎年の様に修理が必要になってきました。でも、息子はそんなことは全然気にしません。金がなけりゃ、食わなきゃいい、お前が居るから金がかかると言い出す様になりました。

 

私はある時、息子二人に今まで話さないで悪かったが、お金の事で主人の印象を悪く思わせたくないのでと、前置きして子供達に聞いてもらいました。借金、田んぼの売却金、生命保険金、領収書、葬儀料のお金など詳しく話して納得してもらったんです。

 

その後も、長男の性格は変わりませんでした。普通の人と違って、目も顔つきも異常なんです。平成十二年九月二日の朝、前の晩から飲んでいた息子は全然眠っていない私を椅子から抱きかかえ、下に落としたんです。背骨がグキッと音がしたのをはっきり覚えています。そして、動けない私の両足を持ちながら回し始めました。

 

なんとか逃げ出し、痛いのも忘れて雨の中を外に出て他人に救急車を呼んでもらいました。その数日後、身内の指図で息子に会社を辞めさせ、県外へ春まで季節労働者として家を出てもらうようにしました。

 

私の身内は、退院したらこの家を出る様にと言いましたが、私としてはもっと息子と話し合うべきだと思い、それに義母が生きているうちはと心に迷いが有りました。

 

そして、春になって戻ってきた息子は少しも変化が有りませんでした。それからというもの、自分の布団の中で何回眠ったかあまり覚えていません。夜中に逃げている私を見て、友人達は自分の家に連れて行き、布団も敷いてくれましたが、好意に甘えて眠ることはできませんでした。

 

一晩中外で隠れて、息子が眠るのを待って家の中に入りました。私の仕事は、主人亡き後、ヘルパーという仕事に就いたので夜間のオムツ交換などがあります。二人一組で、迎えにきてもらい一時間後に家にもどるのですが、家の中には入ることができません。全部に鍵がかけられているんです。

 

仕方なく、友人宅に行って泊めてもらっています。友人宅では、家族全員で温かく迎えてくれ、心配もし、息子と何回も話し合ってくれています。私がいつでも自由に出入りできる様に夜中も鍵をかけていません。本当に、涙がこぼれます。

 

息子は私の仕事場にも、酔った勢いで嫌がらせの電話をしてくるので、仕事がやりづらくなったんです。何をされるか分からないので、私も夜中に眠らずに酔った息子の様子を見ています。私が布団に入っている時は必ず部屋に来ます。そして、私の胸ぐらをつかんで振り回したり、顔面を殴ったり、時には泣いて甘えてきたり、怒ったり、それはもう口では表現できません。

 

誰にも、八つ当たりができなくて母親である私に食って掛かるのではと思います。私もこれ以上なだめたり、すかしたり、抱きしめたり、といろんな試みもしましたが私では力不足だったようです。私の愛情が足りなかったのかも、と反省しております。けっして自分を美化しているわけでは有りません。

 

あまりにも様々なことがあったので、知人にすすめられ息子のお祓いをしてもらったら、先祖の罪障があるとか言われました。そして、戸籍謄本を持ってくる様にいわれ申し出に従いました。それから神棚のお祓い、掛け軸等の処分もお願いしました。

 

今、住んでいる家ではなく、その土地に建っていた前の家(先祖)で稲荷様を信心していたと聞かされ、家も土地も何回か祓っていただきました。でも、結果は変わりませんでした。私も、すぐには結果がでるものでないと思っていました。

 

最後のお祓いに行った時、これでも息子さんが変わらないのはおかしいと言われ、これ以上やる事はないというふうに言われてしまいました。他には、この頃になると息子の知人など何も知らない人達が、お前の母親はダンナが居ないから、もしも彼氏ができたら喜んで再婚させろとか言っている様でした。

 

息子は、冗談を聞けるタイプではありません。自分では、酒が入らない時にはよく冗談を言うのです。だから、私に仕事先から電話があっても酔っているときは大変なんです。自分の母親に男が居ると思い込み、居もしない相手に電話をかけると言い出します。

 

そんな時は、相手にせずほっておくんです。こんな事をくり返しているうちに私の体に変調が出てきました。病院へは行きませんが、時々、胸が痛くなり、呼吸を止めてしゃがむと治まるようになりました。

 

もともと、腰痛(ヘルニア)があるのに、息子にケガをさせられ第一腰椎粉砕骨折という病名を付けられ、五ヶ月間入院しました。今では、重い物を手にすると腰に何かをぶら下げている様です。それに合わせて、膝や足の具合が悪くなるので仕事は出来なくなり悔しさで涙が止まりません。

 

昨年、平成十六年九月に義母が亡くなりました。でも、私には後悔はありません。精一杯面倒を見てきたし、全部で六個もある位牌の供養もしてきました。しかし、自分の体力が息子の暴力について行けないんです。逃げても捕まるし、動作が鈍くなっています。

 

自分の身内に相談しても、家を出る方法が一番だと言われ、三男にも今決心しなければ親子の縁を切ると言われて、自分の判断で決めるしかないと思いました。今年三月、神奈川にいる一人暮らしの実弟の部屋に同居する事にしました。

 

主人の弟妹達にも理由を話してわかってもらいました。三月に息子が出稼ぎから戻る前に家を出ました。仏さんの事が、すごく気がかりでしたが、あえて全部置いてきました。私の二男の位牌だけ、主人と義母の写真だけ持ってきて今まで通り毎朝、ご飯を供え般若心経を唱えております。

 

位牌を置いてきたのは、私が居なければ息子もそれなりにやれるんじゃないかと思って、私なりのひとつの賭けと思っています。先日、友人達から連絡があり、息子がお盆の支度をして、誰も居ない早朝に墓参りをしていたと聞かされ涙が出ました。

 

家を出ても息子の事は心配でなりません。私の育て方、教育の仕方が間違っていたのかもと考えさせられます。それに、婿養子に出た三男には実家がなくなり申し訳なく思っています。嫁さんも孫達も本当に喜んで家に遊びに来るのに情けないです。

 

今は、ただ息子と離れたくて今の場所に来ましたが長くいるつもりは有りません。家には戻りませんが、何か対策を取らなければと思っていますが、年金暮らしでは難しいです。

 

長々と、書かなくて良いものまで並べ立て申し訳ありません。でも、書いたら胸にたまっていたものが取れてサッパリした気分です。

 

年齢は次の通りですので、宜しくお願い致します。

長男…四十二歳、今年は本厄でしたが厄払いをしてやる気持になれませんでした。

三男…三十七歳、現在なんの問題もありません。

私…六十二歳、子供のことで苦悩しています。

 

私がこの手紙を受けて、すぐに紹介者のSさんにも通してPさんに「命根石」を置いて詫びるように伝えました。お詫びしてもらって二ヶ月が過ぎたので、当院でこの因縁を十月二十六日の朝七時に、次の二件を善処しました。

 

①長男の因縁について

 

長男が手紙に書いてあるような異常行動は、本人の意思でしているのではありません。前生の因縁によりさせられていたのです。前生の因縁とは次の通りです。

 

長男の前生は、江戸時代の悪代官でした。権力を笠に着て悪の限りを尽くしていました。そのため多くの人が苦しみ、自殺者、ケガ人、病気、…その他で泣いている人が数え切れないほどです。その内のとくに、悔しい、呪い殺してやるとあの世の暗い世界から強力な念を送っている人が三十数人もいます。

 

当然、母親が長男に代わり『心の友』誌第二十三号に従って詫びの行いをしても、二ヶ月位で許すわけがありません。何故ならば、恨んで悔しいと念を送りながら苦しんでいる三十数人は三百年もの間、暗い寒い所で過ごしており、恨みの念だけで生きていたからそう簡単には許せないのです。

 

解決の方法は、次のように説得します。治療院で実際に行う時は、関係者の方に同席してもらい助けの方法を現場で体験するからよく分ると思いますが、遠方の方で来られない場合にはどうするのだろうかと興味を持つ事と思いますので説明します。

 

それでは、前にも少し述べましたがPさんの場合を例にとり紙面上でやってみます。

 

最初にフーチ(神霊交信用の器具)を置いて、まず高級霊様(神様)に○○の助けの行いをこれからさせて頂きますので宜しくお願いしますと挨拶します。

 

次に、○○に関わっている人達、ここに集まって下さいと伝えます。恨みの霊の人達は、この日の来るのが分っていますから全員が集まります。集まったのを確認してから、まず三十数人をねぎらい、とりあえず暗くて寒い所から全員を明るい所へと助け上げます。

 

明るい所へ出ると、皆ホットして心が少し和らぎます。それを確認して、もう一度皆さんが罪も無いのに苦しめられ、困らされた事を理解して慰めます。次に、宇宙の法則の話をします。

 

どのような理由があろうとも、人を恨み、人に怒りを向け、人を困らせようとすると神の心に反するのですよと「内の心」と「外の心」の説明をします。そして、今は明るい所に出たが、また悪代官のことを思い出し、悔しい仇をとるぞと思うと今までいた暗くて寒い世界に逆戻りする事をよく説明し納得させます。

 

悪代官への恨みと仇をとりたいという気持は、神様にお願いして、神様から代官には罰を与えてもらうから、あなた方三十数人の人はもう思わないことと強く説明します。

 

そして、これを承知したのを確認した後、あの世の担当の高級霊様の指導によって生きて行き今度は幸せな人生を歩み、機会があったらまたこの世に生まれ変わってきて、今までの苦しみを埋め合わすような陽気暮らしの出来る生涯を送って下さいと話して終わりにします。

 

②Pさん(母親)の因縁について

 

何故、二男が生後六十日で亡くなったのか。また、家の長男に何故これほどまでに暴力を振るわれて困らされるかというと、これもPさんの前生の因縁です。Pさんは前生で、ダウン症と小児マヒの子供を授かりました。

 

しかし、その子を虐待して育てたのです。昔のことですから、世間体もありますし生活が厳しかったから気持も分りますが、なぜ神様がPさんの前生の時にこのような障害の子を与えたかについて考えを向けてほしいのです。

 

宇宙には、因果応報の理が働いています。障害児を与えられるという事は偶然ではありません。Pさんの前々生の生き方に問題があったのです。だからその時に、障害児を育てながら何故このような障害の子を授かったのかを反省し、この障害の子が私の「心の成人」に役立ってくれているのだと受け止め感謝して障害の子を育てるべきだったのです。

 

この『心の友』誌の中にある、「辛苦は神からの贈りもの」というところを皆さんも再読してみて下さい。でも、普通の人は「心の成人」など無理なことです。一般的には、なんで私ばかりこんな困った子が生まれるのかと神や仏を恨み、子供にあたりちらす気持も分ります。

 

しかし、前々生の生き方で前生の結果が出たのです。そして、今世(現世)の結果は前生(前世)の生き方の結果が出ているのです。これが、因果応報の法則です。Pさんは、前生で障害の子を虐待した罰により、今世では子供を亡くしたり子供から暴力を受けたりする結果になったのです。

 

今までも、『心の友』誌で因果応報についてよく触れていますから分ってもらったと信じます。人によくしておけば人からよくされるし、人を困らせておけば人から困らされる時が必ず来るということです。この法則は、この世の内に精算されることもあるし、あの世にまたがることもあります。

 

Pさんの今世の長男からの暴力に対して、高級霊様にお伺いしました。Pさんは二男の死による悲しみと、長男からの暴力による苦しみを通して、前生の障害児への虐待の因縁は消えたとのことです。

 

Pさんのこれからの人生は、なるべく徳積みの生き方をして残る二十年位を自分のためではなく、世のため人のためになる思いで生きてみたらどうかと思います。心に決めるだけでも、運勢は変わるはずです。

 

また、前生で虐待された障害児は、あの世の子育ての担当者の高級霊様が子供を育て今はそれぞれ成人して幸せにあの世で暮らしているということです。