⑶高級霊様にお伺いしてみました

 

神社やお寺に祀られた御神体やご本尊は、祀られてから今日まで同じ御神体やご本尊ですかと聞いてみました。普通には、当然そうだと考えられますが、宇宙の法則の一つに「世の中のことは常に変わっていき一定しているものがない」という真理があります。

 

祀られている、御神体やご本尊は霊です。当然、変化があるべきです。御神体やご本尊そのものが祀られた時より、長い歴史が経っています。本当なら、祀られた時より霊格、神性が伸びていなければなりません。

 

人間だって、生まれた時より死ぬ時のほうが魂は伸びていなければならないのです。これが、人間として生まれて来た目的だと繰り返し述べてきました。だから、御神体やご本尊だって同じことです。

 

UnsplashMarek Piwnickiが撮影した写真

(写真は本文とは関係ありません)

 

ところが、高級霊様にお伺いすると意外なことでした。正しい御神体やご本尊の神仏ほど、その神社や寺の神主や住職があまりにも我欲、身勝手な「外の心」で生きる者たちだと、正しい神仏は嫌って、その神社やお寺から抜け出るそうです。

 

そして、その後にその神主や住職の霊格にふさわしい低級の霊が入って来て、祭神やご本尊となっているとのことです。神社やお寺のご利益というか力は、祭神やご本尊の力もありますが、その神社やお寺の神主たち住職たちの霊格と心の高さに応じた波動が出ているそうです。

 

仮に、不動明王が暗黒界とつながっていても、その寺の住職が「内の心」であればその寺から出る波動は高く善いものになります。反対に、物欲や有名になりたい、建物を立派に見せたいなど…と「外の心」が強くなると、祭神やご本尊の霊格と合わせて悪い波動が強くなります。

 

その波動の善し悪しは、祭神やご本尊の力よりも、その神社やお寺を守っている神主や住職の影響の方が大きいと高級霊様は申されています。

 

⑷神社やお寺で出しているお札について考えてみましょう

 

お札は、木や紙で出来ています。札の表面には○○神社とか○○仏と印刷されていますが、これだけだとただの物です。このお札に、神主や住職が魂入れをしているはずです。ここが問題です。祝詞やお経、呪術で魂が本当に入るものでしょうか。

 

神主や住職の霊格が高く、「内の心」の正しい生き方をしている人でなければ、正しい霊格の高い神仏の魂は入らないと思います。常日頃、「外の心」を強くして世俗欲ばかりに生きている人が入れた、悪い念の入ったお札を皆さんが神棚に祀ってご利益があると思いますか。

 

私は、多くの位牌の魂入れ、神札の魂抜き、除霊をさせてもらっていて分かることですが、神主や住職の入れたものに正しい魂の入ったものはほとんど無いです。これは、私の力が強いと言っているのではありません。誤解しないで下さい。

 

私には、何の力もありません。私は何の修行も勉強もしていないので、人間としてはこのような力はゼロです。皆さんと同じで、まったく霊的な力はありません。ただ、高級霊様が働いて下さるだけです。

 

ですから、ここに書いてあることはデタラメでも作り話でもありません。感じたままのことであり、実際に当院の患者さんや相談者に頼まれたことに対して、協力させてもらった結果から得た答えです。

 

このことが、本物かニセ物かと問われても分かりません。でも、結果が思うように善くなるのです。それが、一人や二人ではなく、すべての人が善くなるから…こうなんだと信じ、皆さんに報告しているだけです。このようなことは、理屈ではなくすべて結果から判断した実践哲学です。

 

――話は、戻ります。

 

神社に初詣をすると、その神社の「○○神」のお札、あまてらす天照大神様のお札、かまどの神様(火災除け)のお札、お守りなどを並べて売っていますが、これらはそれぞれ違った神の魂が入っているのでしょうか。同様に、お寺でもどうでしょうか。

 

仮に、それぞれの魂の祝詞やお経があるとしても、それで本当にその神や仏が入るのでしょうか。これについて、高級霊様は、入っていないと申しています。私もそう思います。神主や住職の念は入っても、正しい神や仏の魂は入っていないと思います。

 

ただ、買い求める参拝客が、これは天照大神様のお札だ、かまどの神様のお札だと思い込んでいるだけです。今までの『心の友』誌でも何回にもわたり、〔創造主や高級霊様〕と〔神社仏閣の祭神やご本尊〕とは、違うことを繰り返し述べてきました。

 

しかし、ほとんどの人は、神や仏というと神社仏閣の神仏を想像してしまうと思います。また、同じ「○○神」や「○○仏」でも、その中身は全部違います。神社や寺院に行くと、そこに神仏のいわれ(故事来歴)など書いてありますが、これは後からの人が作って書いたものであり、祀られている今の御神体やご本尊とは違うと思って下さい。

 

なぜならば、宇宙の真理から常に変わらないものはないのです。霊は、生きています。霊も修行しています。社寺を護っている神主や住職の影響も受けるし、参拝者の姿も見えていますからその影響も受けています。それにより、社寺の御神体やご本尊は入れ替わることもありますし、魂の成長をしたり堕落もしたりしています。

 

しかし、以上のことを読んで頂いて、神社やお寺には行かなくてもよいと決め付けないで下さい。私の孫も七五三でお宮参りをしました。だから、初詣でもよいと思います。社会のしきたりを守り、慣習を大切にすることは重要だと思います。また、お墓には先祖はいませんが、お墓参りも大切かと思います。

 

これらを通して、神仏や先祖に感謝する心は大切ですので子や孫に、そのような伝統を伝えていきたいものです。正しい神仏は、確かに存在します。しかし、私たちが考えるような自分に都合のよい神仏ではないということです。

 

正しい力のある神仏は、すべての人の親です。そして、大愛です。世界中の人が平和で幸せになるように働いて下さっているのです。隣の人を困らせても、自分だけ良くなればよいという考え方は認められません。努力もしないで、神仏に祈って幸せになろうとしてもダメなのです。

 

[解説] 宮下先生も初詣やお宮参りなどの慣習をすべて否定しているのではなく。形ばかりの参拝でなく、心からの信仰が大切だと説かれているのです。