今日は、平成十七年の十二月一日です。私は、夜中の一時に起きてこの文章を書いています。とても、大切な事です。

 

先日の新聞に、「宗教」に関する全国世論調査の結果が載っていました。既成宗教からの宗教離れが進む一方で、国民の大多数が墓参りと初詣という宗教的行事を続けているそうです。宗教を信じている人は二割台なのに、約八割の人が神社やお寺などへ行っていると書かれていました。

 

UnsplashSusann Schusterが撮影した写真

 

もうすぐ、新年です。大勢の方が神社やお寺などを参拝して、神札(お札)や破魔矢、お守りなどをもらってくることと思います。私も二十年前までは、毎年新年には妻と神社廻りをしていました。クリスチャンでもないのに教会にも行きました。

 

ほとんどの人がお参りしてお祈りする時の願い事は、家族が無事でありますようにとか、商売が繁盛しますように、受験が合格しますように、健康で過ごせますように、…といろいろだと思います。その根底にあるのは、「神や仏にすがりたい」という「現世利益」を求めてのことだと思います。

 

人間は弱いものですから、何かに依存したい、何かにすがりたい、何かに助けを求めたいという気持は誰でも持っています。また、今の若い世代の人は、宗教を信じない、宗教は大事だと思わない、という人が六割を占めているとのことです。

 

宗教は、どの国でも精神文化の中核に位置しており、それに敬意を払わない社会は怖いと思います。宗教(信仰)を持ち、神に対して恥ずかしくない生き方をしようと自分を律する生き方をしなかったら、これから先の日本の国は心配です。

 

多くの方は、毎日生活が多忙のために天の恩恵を忘れています。新年ぐらいは、天(神)に手を合わせ感謝する気持をもちたいものです。

 

さて、それでは本題に入ります。

 

この『心の友』誌が一番多く読まれている地域は、徳島県を中心とする四国です。いろいろの相談事を受けていて感じることは、四国の方が一番信仰心も強いようです。これは、四国霊場八十八箇所巡りのお遍路さん【注1】とも関係がありそうです。

 

十月も徳島県の数人の方から、相談の手紙や電話がきました。その中でも、共通して多かったのがこの世では信じられない怪奇現象の事です。これは、科学的には証明できないことです。前にも実例として紹介しましたので、既に理解されていることと思います。

 

例えば、机の中に置いてあった印鑑が突然消えてしまった。大事な契約の仕事に向かっている途中に、整備したばかりの車が故障して動かなくなり契約がダメになってしまった。毎日来ていたお客さんが、ピタッと途絶えて一人も来なくなってしまった。

 

友人の後ろに、怖いお面を被ったような人の姿がはっきり見える。誰かに、押さえつけられているようで身体が動かなく(かなしば金縛りに)なった。飛行機のエンジン音を聴くと、首を絞めつけられたようになり息が出来なくなる。

 

このように、「前生の因縁と障り」の中で書いたTさんの不思議な数々の体験 [管理人注:この後の章で出てきます]など、これらは本人一人だけが体験したのではなく、傍にいた複数の人が実際に見て証言しています。そして、何故このような事が起きるかを調べている内に共通していたことは、このような方のすべてが、神社やお寺の神札(お札)、掛け軸、お守り、ご祈祷のお札などを数多く持っていたことです。

 

数多くといっても半端な数ではなく、何十体も、または百体近くも持っていました。お不動様と十三仏、あみだ阿弥陀様、竜神、○○神社の神、こんぴら金毘羅様、大黒様、えびす恵比寿様、七福神、…等々と、これら多くから悪い波動が出て怪奇現象を起こしていたのです。

当院の患者さんにもありました。寝室に置いてあった自分の眼鏡が、ひとりでに隣の部屋に飛んでいった。財布に入れておいたはずの診察券が、洗面所にあったと驚いていました。こんなことは、人には話せないからと私に相談したようです。

 

この方は元医師でもあり、人間的にも嘘を言ったり気が変になったりするような人ではありません。この原因も、神社のお札、お寺と霊能者のご祈祷札等を大きな紙袋に二つ分も集めていたことによる怪奇現象でした。

 

解決策は、これらの神社の神札やお守りと像のすべての魂抜きをして、どこかにこれらを納めるかおた焚き上げをすることです。しかし、徳島県の人達は遠方のため、朝早く治療院に於いて電話で魂抜きをすることにしました。数人ですので、いっぺんには出来ず数日かかりました。

 

この方達は、紹介者により相談された人達ですから会ったことはありません。手紙と電話だけによる見たことの無い知り合いです。そして結果は、すべての人が善くなり怪奇現象もなくなって、日常生活が好転し始めたと喜んでいます。

 

これらのことを通して、次のことが分かります。ここが、この文章を書く一番の目的です。それは、多くの神札(お札)や掛け軸の中でも、善の波動と悪い波動を出している物があります。怪奇現象を起こす神札は、二つありました。

 

遠方からの電話でのやり取りのため、この二つだけしか調べることが出来ませんでした。この悪い波動を出しているのはお不動さん(不動明王)のお札と、十三仏の掛け軸でした。これは、皆さんも信じられないことと思いますがともかく悪い波動を出していました。

 

高級霊様にお伺いすると、まだ他にも悪い波動を出している神社仏閣やお札などがあるとの事です。珍しい例では、天狗のお面を持っている方もいましたが、やはり悪い波動を出していました。

 

いつもそうですが、高級霊様との会話は私の方から高級霊様にお尋ねすると答えて下さいますが、高級霊様からは教えて下さいません。私の方に、お聞きする力というか知識がないと尋ねられない訳です。

 

私も、一つ一つ神社仏閣の名前を言って善し悪しを調べる暇もありません。こんなことは、皆さんの心づくりに役立つことでもありませんから、こんなことに時間は割けません。いずれにしても、不動明王と十三仏【注2】に関するものを祀っている寺にはお参りに行かないで下さい。

 

日本中には、有名な不動明王を御本尊として祀ってある所が多くありますが、お参りしないほうがよいと高級霊様は申しています。次に、こんな例がありました。やはり徳島県の方で、怪奇現象が起きるので調べてみました。

 

この原因の内容は、四国霊場八十八箇所巡りに関係します。私にはよく分かりませんが、お遍路さんがお寺を廻ったしるしに、その寺の本尊や寺号(山号)の墨書きと寺印(御朱印)を受ける納経帳(宝印帳)というものがあるそうです。

 

他にもこれに似て、納経軸という掛け軸があって、掛け軸自体が曼茶羅(マンダラ)と同じ意味を持つと伝えられており、先祖供養のために仏壇や床の間に飾るそうです。ですから、この方もその掛け軸を飾っていますとの事です。

 

霊場(お寺)は半分だけ廻ったそうですが、その内のいくつかは不動明王を祀ったお寺でした。つまり、この掛け軸が原因で怪奇現象が起きていたのです。この方は、少し霊媒体質だから、余計にこのような事が起きたのです。早々に、掛け軸の魂抜きをして善処しました。その後すっかり怪奇現象は治まりました。

 

[注1] 日本では、神社・仏閣のある神聖と言われている場所を「霊場」と呼んでいますが、その霊場を参拝して回るのが「霊場巡り」です。その代表的なものが、「四国遍路」です。

四国では、白衣を着てをかぶり、金剛をつきながら、「霊場巡り」をする人たちの姿を毎日のように見かけます。四国の人たちは、こういった巡礼者を「お遍路さん」と親しみを込めて呼んでいます。

 

霊場は四国全域に全部で八十八箇所あり、すべてを巡礼すると約1500kmの行程になります。これらの霊場を開いたのは、大師として名高い空海です。その足跡をたどると功徳が得られると信じられ、ほかの巡礼と区別して「遍路」と呼ばれるようになりました。

 

四国遍路は、室町時代の頃から始まり、江戸時代に盛んになります。

 

巡礼の方法は、一度にすべての札所を回ることを「通し打ち」。区間を区切って回ることを「区切り打ち」。番号順に回ることを「順打ち」。逆の順に回ることを「逆打ち」と言います。必ずしも、一度にすべての札所を回る必要はなく、ひとつの県だけを回ることもよしとされ、これは「一国巡り」と呼びます。

 

【注2】十三仏の信仰というものは、人が亡くなって、初七日から三十三回忌までの間に営まれる十三回の忌日に、十三の仏菩薩が現われて亡き人の菩提を弔ってくれるというものです。それぞれの忌日に配当された仏、菩薩を本尊として法要を営みます。

 

[解説] 本日の内容は、大神様・親神様の教えとは異なりますが、宮下先生の経験談で信憑性が高いです。大神様・親神様の教えの頃にも、無闇矢鱈(むやみやたら)に神社仏閣を巡らない方がいいというようなお話はあったと記憶しており(行ってはダメというより、人間にくっついて悪さをする神や人神がいるという話でした)、概ね間違っていないのだろうと思います。

 

観光などで神社仏閣に行っても神様の分身や力が宿っていそうな神札やお守りなどをやたらと買わないほうがいいということです。全部が全部ダメということではなく、まあ由緒あるところでみんながお守りを買っているとかなら、良いかもしれませんが。神札は地元の氏神様ならよいでしょうけどね。神札の扱い方はきちんとしないと、神の障りが来るので、霊障からの奇跡の生還やさまよえる魂の救済の、神札の扱い方の箇所を読まれるとよいかと思います。

 

気が読める人なら、ここの神様は大丈夫とか分かるかもしれません。私もある程度はわかりますが、人間ですから、100%はないわけで、そうすると、迷ったときはやめておこうとなります。

 

そもそも力のある神様もいれば、人間にくっついてくる神様もいて、まさにこの世はカオスです。それが面白いのかもしれませんが。