神界と、あの世とこの世の関わりを、私は立方体の箱のようだと思っています。底の面がこの世の世界です。横の壁の四面はあの世の世界で、地獄の面、暗黒界の面、中間の世界の面、光明界の面の四つです。天井の面は神界です。

 

六面体の立方体といえば小さい箱だと思うかも知れませんが、この六面体は無限の大きな、大きな世界です。そして、その各面からそれぞれの強い波動であるエネルギーが出ています。暗黒界や地獄界からは悪い波動が、光明界や神界からは善の波動が出ています。

 

UnsplashQuino Alが撮影した写真

 

だから大きな立方体の中は、いろいろのエネルギーが混ざり合っています。その中に、地上の人間や動物も植物も存在していて、その影響を受けているわけです。このエネルギーの箱の中は、現在ばかりでなく過去も未来もすべて含まれている異次元の世界です。

 

地球が平和で住みよい社会になるためには、この箱の中身が善くなればよい事になります。この六面は、ものすごい関わりをもっており互いに他の面に影響を与え合っています。底面の地球の世界は、この世です。この世だけは、太陽を中心とした時間がありますが、これは底面の地球だけに通用することで他の面の世界には関係しません。

 

ですから、神様に今の状況が何日位したら良くなりますかとか、何年頃には…と時間に関わる質問をしても正確な日時の解答はありません。早いか遅いかの大体の見当になります。つまり、あの世では時間や距離といったものは存在しないからです。

 

底辺であるこの世の波動(エネルギー)は、どちらかというと暗い重いものです。これは、この世で生きている人間たちの総和の念がそうだからです。横面の地獄界の波動は、悪くて暗い非常に重いものです。暗黒界の面の波動は、地獄界よりは良いですがやはり暗く重いものです。また中間の世界は、地上のこの世よりも暗く重い波動です。

 

光明界の波動は明るくて心地よいです。神界は、光り輝いていてとてもなエネルギーが出ています。この世の人間が、肉体が無くなると中間の世界に行き、そこでしばらく留まった後、暗黒界か光明界かに移ります。

 

暗黒界側の人も、修行をすることにより時間はかかりますが光明界へと移っていきます。また、光明界からこの地上のこの世へと移ってくる人もいます。これが、輪廻転生でいう再生(生まれ変わり)です。

 

この立方体の箱の中は、消滅することはなく永久に生き続けます。ただ、どの面で生きているかの違いだけです。その人の心の状態や霊格の状態で住む場所が決まるということです。

そして、この中には因果応報の理(道理)が働いています。これにより、平等に生きられるようになっています。また、生きてゆく中で心の使い方や考え方など個人の意思の自由は許されています。誰もこの個人の自由の権利は奪うことは出来ません。

 

しかし、何をしてもよいという自由はあるが結果に対しての責任は本人が取りなさいよということです。そして、箱の中は創造主によって創られたものですから善と愛が基本となっています。「内の心」で生きる人は光明界へ、「外の心」で生きる人は暗黒界へと行き、そこで住むように定められています。

 

だから、言い訳をしたり神に祈ったりしたからといって、この法則の変更は認められません。人間の出発点は、底面であるこの世の社会から始まります。この世の人たちの生き方が「内の心」(奉仕、思いやり、許す心、協調など)で生きた人が多ければ壁面の光明界の人数が増え、反対に「外の心」(富、名誉、地位などの執着や自己中心)で生きた人たちが多ければ壁面の暗黒界の人数が増えることになります。

 

箱の中の空気(想念)が、善いエネルギーだと各面で暮らす人たちも幸せであり、この空気が重く暗いものだと暮らしは困って苦しい状況が多くなります。ですから、なるべくこの空気を明るく善い状況にするために、箱の中では神界や光明界の人たち(高級霊や中級霊)が中間世界や暗黒界、底面のこの世の人たちの「外の心」で生きている人たちを「内の心」で生きるように指導して下さっています。

 

しかし、ほとんどの人は聞く耳を持ちません。この世の人もあの世の人も、ほとんどです。そして、箱の中が光明界側と暗黒界側のバランスが取れていると良いのですが、あまりにも暗黒界や地獄界が多くなり過ぎると、「最後の審判」という大整理をして均衡を保つようにします。

 

箱の中では、各個人が想ったり願ったりしたことは実現するように創られています。この想いや願いは、心から発したものです。だから積極的に心を運用するか、消極的な心で生きるかの違いがその人の運勢を変えることになるのは、この箱の中の法則によるものです。

また、先祖供養が大切で位牌を作って下さいというのは、箱の中で各面と交流するのに位牌がアンテナの役目を果たすからです。

 

私達この世の人間は、教会や神社や仏閣に行ってまた宗教等を通して、イエス様やお釈迦様、神様、仏様、教祖様などに祈りますが、このような方々に祈っても祈りの効果は出ません。おそらく、イエス様やお釈迦様は、私を祈るよりも宇宙の法則を学んで「内の心」で生きなさい、「内の心」で生きると祈らなくても幸せな人生がつくられるよとうと思います。

 

祈るのは、大自然の大宇宙の中で生かされていることへの感謝の祈りであるべきです。祈りとは、自分の心の反省の時でもあり自分の心に謙虚さを言い聞かせることでもあります。このように、箱の中は地上のこの世の人間も、あの世の人間も、深く関わっているからあの世の人間の憑依が当然あるのです。

 

あの世の人間がこの世の人間に憑依することにより、人間としての心を取り戻すこともあります。また逆に、この世の人間を困らせることもあります。この世の人間ひとり一人も、あの世の壁面の世界の人たちも、光明界や神界の助けを借りてすべての人たちが助け合い関わり合いを持っています。肉体を持っているこの世の間だけでなく、死んであの世に行ってもずっと深く関わり合いを持って生き続けていくのです。

 

こんなことが分かってくると、人間ひとり一人がわがままを通し自分勝手な生き方をしていたら、この箱の中の空気は汚れるし、ひとり一人が相手を思い皆で助け合って生きれば箱の中の空気は明るく暖かい空気になることが分かります。

 

この世の人間が死んであの世へ行った状態は、この世の癖、性格、考え方をそっくりそのまま持っていきます。だから、この世で善の人はあの世へ行っても善であり、この世の悪の人はあの世へ行っても悪です。出発点は、この地上のこの世にあります。だから箱の中身をよくするためにも、この世で生きているうちに心を磨いてほしいのです。

 

以上のことから、分かって頂けたと思いますが、人は誰もが自分には関わりがないと思われるくらい遠くの人からも恩恵を受けています。ところが今の多くの人は、自分のほうにばかり目が向いています。だから与えることも出来ないと思うのです。

 

少なくとも、自分の周囲の縁ある人たちの大切さとか、ありがたさに気がつかないと人生がどんどん狭められてしまって、ますます自分のほうにばかり目が向いてしまいます。そういう人は、人に迷惑をかけることは平気だけれど、人から迷惑をかけられることにはどんな小さいことにも我慢が出来ない人間になっていくのです。

 

寛容の心が無いですから、不幸になります。我慢、忍耐するのが損であるかのように勘違いしているのです。本当はまったく反対で、我慢できる人が幸せになるんです。ですから、今は非常に危険な道を歩いている人が多いと思います。みんなでって悪いほうに歩いていますから、なかなかそのことに気がつかないのです。

 

そういう人生をよい方向に直していくためには、やはり自分にとって不便なこと、不都合なこと、不合理なことを受け入れて、それを自分の知恵と才覚でよいほうに転換していくことが大切だと思います。自分に都合の悪いことは、多くの人は排除しがちですが、排除している間は一つもよくならないのです。だから、これをまず受け入れること。そこがとても大切だと思います。