心の糧(神や霊のことをまだよく知らない初めての方へ)

 

(1) 神の声

 

人間はだれでも苦しみを嫌い、楽しみを求め、悩みを避け、喜びを望みます。それは、親神様が人間世界を作られた目的が、陽気暮らしをさせたいとの思し召しであったからです。

 

この世の元始まり、泥海の中から親神様によって陽気暮らしを目的に作り出されたのが人間であります。ただこの世のほとんどの人達は、この真実をまったく知りません。しかし知る知らずにかかわらず、我々は陽気暮らしをさせたいとの親神様のお考えから創造された人間であるがゆえに、常に幸福を追い求め、喜びと楽しみを請い願って生活を続けているのです。

 

しかし実情を見るとき、病苦にさいなまれ、災厄に襲われ、家庭の不和をかこち、逆境に悶えるなど、願いもしない物事が訪れます。親神様は、世界中は皆わが子、助けたいの心ばかりだとおおせられており、子供可愛い一筋の親神様の懐住まいなのに、なぜこうした望みもしない不幸や病気や悩みごとに遭遇せねばならぬのでありましょうか。

 

それは今までに何回も申し上げている通り、この世界が思い通りや願い通りに親神様の御守護を見せていただく世界でなく、心通りに与えられる世界にほかならないからです。

 

親神様をよく知らない人は言います。「親神様は人間の犯した罪に対して、厳しい鞭を当てようとしているのかしら。人間に罰を与えようとしているのかしら」と。親神様は言われる。「親神は人間の親である。どこに可愛い子供に難儀させよう、不自由させようという親がいるか。よう聞き分けてくれ。すべての人を皆助けたい、その心一筋だ」と。

 

いろいろの病気や困った事情を見せるのは、実はすべての子供を平等に早く助け上げたいからこその親心であるのであって、人間に自己を振り返える時期を与え、心の入れ替えを促し、一日も早く陽気暮らしの世界へと連れて通りたい思いからであります。病気や不幸というものは、言い換えれば我々人間が親神様の思いを深く振り返って、その思いにふさわしく、心を新たにして踏み出す節であるわけです。

 

自分を見つめ、心の埃を払い、因縁を消す上にしっかりと自分の心を定めて出発する機会を与えられているときであります。だから病気や不幸に泣くときは、いろいろな障りもあるのでしょうが、障りや持ち越しの因縁によると責任転嫁するのでなく、自分の生きてきた生き方、今の物事への考え方に間違いがないか、自分の心の使い方に問題はないか、親神様は何を反省しろ、何を気付けと言っているのかを考える必要があると思います。

 

[解説] マトリックスという映画で、主人公たちが現実世界から仮想世界にログインして、またログアウトするシーンがあります。このイメージに近く、私たちは人間として生きると、人間界が全てに見えますが、どこかで人間界からログアウトして霊界に戻ります。

 

たまに、瀕死の状態になってログアウトしかかった人が、霊界の様子を見ることがあるようですが、人間界から一時ログアウトして霊界に戻ることができれば、私達も自分の人生をもっと俯瞰して見れるわけです。今の人生が全てではないと。

 

しかし、実際は、マトリックスと違って、人間界からログアウトしようとすると、そのまま戻ってこれません。自分でログアウトするのはルール違反なので地獄に落ちてしまいます。ということで、自分で魂を肉体から剥がすイメージを持って、自分の人生を俯瞰するしかありません。

 

輪廻転生においては色々な時代・社会・環境の設定の人生を生きます。これは、色々な設定のゲームをプレイするのに似ています。ゲームだったら、登場キャラクターが苦労しているのにいちいち悲観しないでしょう。むしろ苦労とピンチの連続を敢えて楽しむのがゲームです。これと同じで、人生も修行のために生きており、本来は苦労とピンチも含めて楽しむためのものです。それらがないとスパイスのないカレーで何のために人生を生きているのか分かりません。

 

平穏無事に人生を生きていく人はいっとき幸せかもしれません。ただ、何を学んだのかと問うてみると、それなりにはあるでしょうが、やや人生の無駄遣い、という部分があるかもしれません。

 

病気や災難というイベントは、ゲームの外からゲームをするプレイヤーに、ゲームのプレイの仕方を変えろというゲーム制作者のメッセージです。

 

このような話は、修行がある程度進まないと理解できません。