【十三】神の教え
自分勝手な生き方をしていて、神様より、反省の知らせとして、いろいろな事が起きてくることがあります。
例1 惜しいの心
鼻血が出て、医者にいっても原因が分からないため、お伺いしました。
大神「この者、そのように鼻血なるの出るは、悪しきことではないのじゃ。だがこの者にては、それなりの関わりがあるのじゃ。待て」
神「わしじゃ。わしは神じゃ。わしの怒りにて、そのようになりておるのじゃ。この者しのぶなる者、汚き欲の心ありてのことへの現れであるのじゃ。そのようなることへの神の知らせであるのじゃ。汚き欲なるは、この者、誠に出すことへのできぬ心の持ち主であるのじゃ。その心の現れにて、そのように出てはならぬ物が出て参るのじゃ。このようなるは、神の知らせであるのじゃ。この者の出し惜しみの思いなるは、誠に多くあるのじゃ。そのことへの知らせであるのじゃ」
早速、本人にこの事を伝えますと、十分に心当たりがあると申され、すぐ反省して態度を改めてくださいました。その後は鼻血もピタリと止まり、今は全く正常に戻りました。
[解説] 以前に紹介させて頂いた「ほこりをはらう道 : 永遠に生きる人間への教え」清水豊吉著に似たようなエピソードが書いてあります。
ある裕福な家の話です。八百屋などの店に買い物に行った時に、できるだけ量が多く質がよさそうな商品を買おうとしたり、道の向こうから乞食が歩いてくると道を引き返して別の道に行ったり、また、潔癖な生活を送るということをしていた家族がいました。
そのうち家族が次々と結核にかかり、乳児まで感染してしまいました。奥さんが慌てて天理教の支部に助けを求めたところ、著者が、それはあなた方の心が汚いことが原因で、それが結果となって現れていると話したという例です。
奥さんはその後心を入れ替え、八百屋に行っても、一番出来の悪いやつでいいですと、品物にこだわらなくなり、他にも、潔癖な生活をやめるようになり、確か人様の役に立つような暮らしをしたということが書いてありました。そうすると奥さんは見違えるように元気になったという話です。
心の使い方は必ず結果となって出てくるのです。どれだけ悪知恵を駆使しようと心が汚いと、結局最後は悪い結果になります。今回の例のように、ケチな心を持っていれば神様から鼻血を出させられることで知らされたり、「ほこりをはらう道」の例のように、自分がよければの心でいると、どんなにお金を持っていても、健康を損ねたりします(ちなみにこの例は霊的なものと物理的なものの2つが原因だと思います。あまりに潔癖な生活をしていると免疫が弱まり色々な病気に感染しやすくなります)。
今回の例は、何の神様が鼻血で知らせたのか不明ですが、守護神や、前世で信仰していた神が知らせるということがよくあります。これらは意地悪でやっているのではなく、むしろ、守ってやりたいという親切心です。放っておけばもっと運勢が悪くなるだけです。神様から目をかけられているだけマシということです。見放されたらどこまでも転落していくだけですから。
店に行って同じ商品の中でも一番良さそうなものを選んでしまうというのは、多少は仕方ない気もしますが、ほどほどに、ということでしょう。現代だと、食品偽装とか色々問題があることもあるので騙されないようにするとか、多少のことは別にいいと個人的には思います。ただ、私は、「ほこりをはらう道」のエピソードを読んでからは、よほど見た目で分かるとかでない限りは、どの商品でもいいと思うようになりました。
まとめると、自分さえよければいいという心は持たないようにということです。人間なので自分が最初に来るのは仕方ないですが、他人のことも出来るだけ配慮する、という当たり前の結論ですね。