[解説] 今日の記事の内容は、人によってなかなか受け入れられない内容だと思います。前世の記憶がなければ無理もないことだと思います。今の御時世だとLGBTもこれに該当するのかもしれません。天理の時代の教えですが、女性は女性に、男性は男性にしか転生しないという内容があったと思います。
ここに記載されている内容を否定して人生を行きれるようならそれはそれでよいのかもしれません。しかし、それで行き詰まったとき、ここに書かれている内容と向き合う必要が出てきます。
私たちは、誰でも、徳を積む時もあれば不徳を積むときもあります。最初から最後まで優等生的に魂の修行を駆け上がることのできる人はいません。そして、人によって人生の周回数も違います。この事実を前提に、焦ることなく、修行と向き合うしかないのです。
誰でも思った通りの人生にはなりませんし、病気になったり不幸に遭います。前世の因縁や障りも出てきます。その時に、自分が過去に行ったであろう不徳を悔いたり、過去を認めないといった行動にでていても、前に進みません。
人間界の修行は複雑です。あと一歩でクリアする段階になっており、莫大な徳があっても、過去の因縁の精算が終わっていないこともあります。自分がどのような成績なのかは、神のみぞ知るのです。ですので、どんなときでも腐らず、淡々と、修行をするしかありません。これが鉄則です。
親神様のときの教え……『恩(神様の心に反すること。生かされていること、守護されていることに感謝せず、自分勝手に暮らし、人を泣かせるようなことをすること)に恩が重なると、牛馬に落ちる。牛馬に落ちたら、なかなか人間に戻れんで。牛三代。馬四代。白犬三代。うす馬鹿一代。それからようよう人間に戻るのやで。』
加藤先生を通しての教え……三十才の相談にきた青年のことですが、少し知恵が足りなく、仕事も普通の人のようにはいかないため、障りならば解決していただき、なんとか幸せの人生をあゆんでいただきたいとお願いしました。その答えが次の通りです。
大神「この者朗なる者、このように他の者に比べるなれば、少しと申すか、違うようなるところのある者であるのじゃ。そのようなる性分と申すか、心少し物足りぬは、この者の古き前世の折りよりの深き関わりがありてのことであるのじゃ。その古き前世の関わりある者と代わるぞ。しばらく待つが良いぞ」
神「わしじゃ。わしはこの者朗なる者の古き前世の折りのことであるが、その時代の折りにては、この者誠に心太く、他の者達を口先だけで自由に操り、自身の思うままに人々を働かせ使うておりたのじゃ。そのようなる行いを致しておるうちはまだ良いのじゃが、そのうち自身段々と年老いて参るに従い、体を動かすことは自身致さず、使われし者達を口汚く罵り、その果てにては使われし者達を他の者達に金銭にて売り付けて、人の体を品物のようにいたし、金に換えるようなる行いを致し、使われし者達を苦しめ泣かせて通りて参りた者の生まれ変りの者であるのじゃ。
そのようなる悪しき行いを長きに渡り致して参りた後、この者の古き時代の前世は終わりたのじゃが、その後、この者なるは地獄の果てにて長き長き時を経て神に許され、生を受け、今生生まれ変わりておるのじゃ。この者の今生なるは、今の姿で終わらねばならぬのじゃ。例えこの者、神の教えの道について参りたとて、今一つと申すようなる者にて終わらねばならぬのじゃ。このようなる者に生まれつくも、この者自身の古き古き前世の折りよりの通り方によりての自身の業と申すか、今生この者の姿にて終わらねばならぬのじゃ」
このお答えをいただいたとき、神様が加藤先生の口を通して出られて、「この者は悪しきことを致した次の生は牛として生まれ、自身牛馬のごとく扱った苦しみを味わわされ、さらに次は犬として三回生まれ変わりをした後に、ようやく物足りぬ者(知的障害)として今、生を受けておるのじゃ。」とお教えいただきました。いろいろの方のお助けの体験より、犬の魂とは人間の魂と同じレベルであることも教えていただきました。これはすでに「心の友」誌でも、何回も話させてもらっています。犬の魂は多くの人間の魂の生まれ変わりであり、犬の魂を呼び出してみますと、前世が人間であった場合が数多く出てきて、深く考えさせられます。
こういう事が分かると、人に対していじめたり苦しめたりすると、かなりの期間、詫びて苦しんで通らねばならないことが、十分おわかりいただけると思います。輪廻転生が事実としてわかれば、今を大事に、少しでも徳積みに励まなければと思いますし、今生さえ良ければという、無責任な考えの虚しいことがわかると思います。
なおこの青年は、親神様の館で三か月の修行をしていただき、少し物足りませんが会社に勤め、以前よりは大変良くなって暮らしております。しかし、人並みの幸せな家庭は築けないのではないかと思います。
(補足)
家庭の中で、身障者、精神障害者、重い病をお持ちの方の中には、前記の文を読み、不服の思いをいだかれる方がおられるかと思います。身内の難病や不運が、前世の因縁に深く関係しており、前世の生き方が良くなかった事が原因であるとは認め難いと思います。
全てが生き方の間違いによるものではなく、稲荷の神や関わりある神々の障りの場合もあります。しかし前世の心の遣い方による割合が、かなりの部分を占める事も事実なのです。
今までも同様な相談者の方に、前世の生き方の間違いにはふれず傷つけないように話をしたこともありましたが、その方法では救けは出来ませんでした。
本人が前世の因縁を素直に認め(実際には記憶がないから分からないのですが)生き方を反省し、詫び、生き方を埋め合わすような心になった方は救われています。だれもが、はっきりとわからない前世の生き方について、悪かったとは認め難いのですが、その事を抜きにしてでは、通り抜ける事は出来ません。
自分で通ってきた足跡は、自分で消すより解決の道はないのです。本人がダメな時は、家族のだれかが真剣に神様につながる事です。そのような身内の者に困らされる方も、そのような悩みを通し、前世の因縁消しの機会を与えられていると受け止め、障害者や難病の方以上に、因縁消しの生き方が大切になってきます。
表面的な救けは、医学や国の援助もあるのでしょうが、根本である内面的な救けは、このような困難を生み出している前世の生き方を認め、逃げずに真正面から取り組んでいく姿勢こそが、明るい夜明けへの道につながると信じています。