加藤先生はいつも、「なぜ私のような者に、このような力がついてしまったのかしら。他の人でも良いのに…。仮にどうしても私でなければならないとしたら、もっと若い時ならもう少しお役に立てたのに…」と申されています。その点について、天理教の教祖、中山みきさんとの役割の違いを神様にお伺い致しました(平成元年1月24日午前1時のことです)。

 

大神「天理の教えなるものを多くの人々に知らせるにあたり、その時代の折の中山みきなる者を神の道具と致し、世の人々の助けの道明けを致し、時により事に寄せ、神の思いを伝えたのじゃ。その折のすべての道明けと致し、歌にまた言葉にて、人々の心の成人を導き、知らせ助けることにての道具に致したのじゃ。

 

だが、そなたへの神の使いとしての道は、まったく別の思いありてからじゃ。その印と致し、障り、神の助け、亡者の助け、前世の折にての知らせ、存ぜぬことをそなたを通し、その様な関わりにて苦しみ喘ぎておる者たちを救う道の行いを知らせたく、魂の清き因縁の持ち主のそなたを使うたのじゃ。

 

そなたをおいて、道具と致しての行いのできる者は、世間広しと言えども他には一切ないのじゃ。多くの者達を次々と助け、良き運命に切り替えねば、この後益々人々の心はすさび、思いやりなき者達のいがみ合いの世の中に変わりて参るを、神は見ておれぬのじゃ。そなた、「いやじゃ、疲れる」と事毎に申しておるが、神はそなたを道具と致し、この先どこまでも人助けの道具と致し、連れて参るのじゃ。

 

そなたは年老いたと申しておるが、神の道に年はないのじゃ。この先、まだまだ数十年は道具と致し、神は使うて参るのじゃ。神がそなたを道具と定めしは、神の思いつきではないのじゃ。そなたを神の道具と致し使うことは、生まれる前よりの約束ある心の持ち主であるからじゃ。この先とて、神の手足となり、どこまでとて勤めることは神は申しておくのじゃ。では戻るぞ。

 

加藤先生も初めのうちは、逃げられるものなら逃げたい、と何回も思われたようですが、その都度説得され、今は運命のままに働かせてもらう、と申されています。私も加藤先生の下僕としての役割を頂いたのですから、これも前世からの因縁と思い、喜んで勤めさせてもらおうと思っております。

 

今では、いつでも命はお返しできる心境です。死というものは、神様の用事が無くなったときに与えてくださるものだと信じておりますから、それが早くてもそれまで一生懸命に神様の道具としてお使い頂ければ有難いと思っています。1日1日が楽しく働ければ有難いことです。

 

[解説] 加藤先生は天理教の信者でした。今回の人生で人間界に来る前に、人助けの約束を神様とされていたようです。他の箇所と総合すると、加藤先生は人間としての修行は終わり、もっと上の世界にいたようですが、人間界に派遣されたようです。もちろん、上の世界に行っても修行はありますので、加藤先生本人の修行でもあるのですが、高級神霊がすべて人間界に来るわけではなさそうなので(そうだとしたらもっと地球は良くなっているでしょう)、加藤先生の特性を考慮した特別のミッションといったところでしょうか。

 

天理教の信者だったのは、大神様の仕事を晩年するためにその素地を作るべく、大神様が親神様として中山みきさんを派遣した時の名残である天理教の教えに神様が触れさせたかったのでしょう。

 

神の世界からこちらの世界に世直しエージェントとして送り込まれる魂でも基本的に記憶が消されているのは不思議です。世直しの点が目標ならエージェントは記憶があった方が効率的な気がします。人間としての修行が終わっているのであれば、記憶を消して心の成長をさせるという目的もないはずです。おそらく、高級神霊としての修行も兼ねているので、記憶を消してさらに難易度の高い修行をしているのではないかと思います。