Mさんは、心臓病、糖尿病、腎臓病、高血圧といずれの病も重く、医師からは生きているのが不思議だと言われながら、普通の人と同じ様に生活しております。息子は大工さんです。Mさんの家もいろいろの事があり、今迄何十回と加藤先生にお願いして神様に多くの助けを頂き、今日の生活が出来ております。今、命あるのも神様の御守護なのです。

 

その息子の大工さんが、ここ一週間程急に仕事に行かず、毎日家でぶらぶらしていて、何か気に入らない事があると母親を殴り蹴飛ばすの暴力を振るい、どうしようもありません。足に青あざを作り、思い余って加藤先生の所にお願いに来ました。その答えが次の通りです。

 

大神「この者の子供なる者に、今は何とて取り憑きし者はないのじゃ。この者の親なる者への悪しき関わり致すは、この者自身の思いではないのじゃ。神の怒りにて、その様に致させておるのじゃ。この者の、親なる者への神の怒りであるのじゃ。親なる者は、長きに渡り神の守りにて助けの行いを致して参りたが、この者の親なる者自身よりの神への行いなるは何とてないのじゃ。

 

自身の子供の荒れし折にては、頼む頼むの行いだけにて、後なるは自身神への礼は確かに参りてはおるが、神の思いに叶う様なる行いは何とて致してはおらぬゆえに、この者に神の怒りと致し知らせておるのじゃ。この者自身より進みて行えし事なるは、何とてないのじゃ。神の思いなるは、この者を助け、その後にては神の助けの道を、他の者達に伝えさせたき思いであるが、この者なるは自身の事にだけ心あるゆえに、その事への知らせであるのじゃ。

 

今迄にMさんは、ない命を何回も助けられた事、大工の息子さんが働かずに遊び回ってサラ金に追われた事、夫の再起不能の病気を助けられた事など、数多くの奇跡を頂いております。それは、神様が神の道具となって働いてほしいから、深い因縁を棚上げにして助けて下さって来ていたのです。本人は、お助けを頂く度にいかばかりかのお賽銭を持ってお礼に伺っておりました。それで済んだと思っていた訳です。そしてまた困るとお願いする、その繰り返しでした。

 

しかし、神様はお賽銭がほしいのではないのです。神の道具となって働いてほしいと見込みを付けたから、特別に助け続けて来たのです。前世の深い深い因縁を考えると、とても今日の生活は考えられないのです。この様に、深い因縁の持ち主でも神様に心を向け繋がっていると、幸せに暮らせるのですよ、と見本を見せて下さっているのです。それなのに、いつ迄経ってもただ困る時に頼むだけで、そこから一歩も踏み出そうとしないから叱られたのです。

 

Mさんに、「神様に喜んでもらう様な生き方をして下さい」と申し上げたのですが、やはり何をして良いか分からないと申して来ました。自分は体も丈夫ではないし、年も取って来たし、お金もないし、どうしたら神様のお役に立てるだろうかと……。

 

私はこう申し上げました。「役に立つとは、皆それぞれ無理のない所で自分の出来る事で尽くせば良いのです。特別に目立つ事をしなくても良いのです。それには、親の心になってみる事です。親は、子供に何を要求しますか。」

 

親は、子供がいつでも明るい心でいてくれれば、嬉しいものです。Mさんの魂は、前世、前々世の通り方ですっかり暗くなっています。困った事にぶつかっても、それを良く取り、明るく考える様に心の転換をする努力が必要なんです。明るくなるとその明るさは人にも及びます。光のある所には問題が起こらなくなり、困った問題は困った問題でなくなります。Mさんは、まず心造りをして、周りの人を明るくする事です。

 

今これだけの病気を持ちながら、元気に暮らせるのは、神様の大きな御守護です。自分自身でも気付いているでしょう。その自分の過去の経験を通して、何回も助けられた事、奇跡を頂いた事を正直に、皆さんに話す事です。そして、真実の神のいる事を伝える事です。自分の過去を恥ずかしがってはいけません。大神、親神様の力と優しい親心を多くの人に伝える事です。

 

この世には、見えない世界があり、いろいろの障りがあり、努力だけでは幸せになれない事を話すことです。幸いにもMさんは、口は元気です。時間もあります。病院通いをしていますから、病院で話しても良いでしょう。決して自分を飾ったり、良く見せようとするのではなく、素直に今日まで生かされて来た事を話すことです。お金も体力も入りません。何もボランティアが出来ないから、献金出来ないからなど悩む事はありません。神様は、お金や物は少しもほしいとは申しておりません。

 

その後、息子さんの方は今まで遊んでいたのが嘘の様に、朝早くから働きに出かける様になりました。

 

よく徳を積むにはどうしたら良いか、神様に喜ばれる生き方は、と質問されます。各人置かれている立場が違いますが、基本的には神様は子供である人間皆が幸せに暮らす事を望んでいるのですから、皆が幸せに暮らせる心遣いをする事だと思います。そこに、自分中心の我欲を押さえ、共々に幸せになる道を見付ける事です。相手にばっかり尽くし、自分が不幸になっても駄目です。自分も幸せになり、他人も幸せにする事です。