さて、いろいろな霊能者や宗教団体で大神・親神様または宇宙の絶対神が現れ、わがところにおいでになる神様こそ本当の絶対神だと申します。どこに本当の絶対神が現れているのでしょうか。
もし本当に正しい絶対神であるならば、
1 そこには深い教えがあり、
2 信じられないような奇跡が次々と見せてもらえると思うのです。神様は必ずその証を見せて下さるはずです。その証は古いものであってはなりません。今、現実のものでありいつでも今後も奇跡が起こらなければそれは真実ではありません。
3 また神様の意を伝える方が人格者で無心の心の方でないと駄目です。その判断はその人の身に着ける物を見ると分かります。金銀宝石や高級な物を着けるようでは駄目です。心が低く人間ができた人は身に着ける外見の飾りは必要としないからです。
また神様の存在が分かれば分かるほど、肉体を持つ人間は神様にはなれないのですから、釈尊の生まれ変わりだとか自分を拝めとか、自分が神のごとき言動は示さないものです。常に偉ぶらず目立たない存在です。私達はどうしても豪邸に住み高級車を乗り回す人達を偉く思いがちですが、人間の価値は心の輝きにあります。
教えにおいてもそうです。神様は常に誰にでも公平でなければならないのです。信者であるから救うの、信者でないから見捨てるのということはないのです。神様の心に沿った生き方さえしていたら信仰の有無には関係がないのです。
だから大神・親神様は、組織を作り人々を拘束するのはあまり喜ばないのです。何故ならば組織ができるとそこに人間の上下や金集めや人間の考えが強くなり、本当の神様のお考えが曲げられてしまうからです。神様は、私達人間は神様の前では一列に皆平等だとお教え下さっております。だから皆同じ立場で神様に願い守護される権利があるのです。
ただ平等ではあるが、魂の輝きは個人個人前世、または前々世、今世の生き方によりそれぞれ別です。すごく光っているのもあれば薄暗い光もあれば全然光らないものもあります。
しかし、輝きによって人間の価値の上下を競うものでもありません。磨き、輝く者には輝くだけの良き運が授かりますし、暗い魂にはそれに似合った運勢が授かるだけのものです。この魂の輝きは人が助けてくれて輝くものではなく、自分で努力し磨かなければならないものです。神様は公平で誰の上にも同じように愛の光を、幸せになる光を配って下さっています。
自分勝手な生き方をして魂を真っ黒に汚しながら、物事がうまくいかないからといって、今の世に神も仏もあるものかと逆恨みをする心は恥ずかしいものです。