精神病やノイローゼ、酒乱、あるいは分裂症、そのほか次々と不運に見まわれ悩まされている人を身内に持っている方たちへの、解決策の一つを紹介させていただきます。

 

加藤先生を通し、神様のお力をお借りすれば即座に解決はいたしますが、加藤先生にご縁の持てない方とか、自分からも努力してそのような悩みから救われようという方たちへの参考になればと思い、紹介させていただきます。

 

なぜ、このようなことを思いついたかと申しますと、加藤先生の手先として神様のお仕事をさせてもらっているうちに、精神病あるいはノイローゼは、ほとんどが神様の障りとか霊障であるということが分かり、このうち神様の障りは自分ではどうしようもない場合もありますが、本人の前世の因縁や家としての因縁は、次の方法により解決することができるということに気付いたからです。

 

それは、これらの因縁のほとんどは、恨みを向けている亡者の人たちの念によるところが多いので、この恨んでいる亡者の人たちが救かり、明るい所に行けば、その結果としてこの世で苦しんでいる人が救かっていくということになるのです。つまり、亡者が救かればこの世で苦しんでいる人たちも自ずと救かってしまうということなんです。

 

しかし、この恨みを向けている亡者の人たちをどう納得させ、恨みを消させて明るい所へ上がってもらうかが問題なのです。加藤先生にご縁のある方は神様のお力をお借りし、すみやかに解決していただけるのですが、皆さん方はなんとか自分の力で悩んでいる子供や兄弟を救けたいと思ったら、真剣に次の方法をよく理解して、自分のものとして行ってほしいのです。

 

例として、私がAさんという苦しんでいる方を救おうと思って、このAさんに念を向けている亡者、つまり死んでいる霊に対して説得してみます。これはあくまでも解決策の一つであり、その与えられた条件のなかでもって話をしてほしいと思います。例えば子供のことで困っていたら、子供に憑いている霊に次のように語りかけてほしいと思うのです。

 

(例文)

 

この者に憑いている亡者の皆さん、恐れ入りますが、私の話を聞いていただけないでしょうか。初めに言っておきますが、私には亡者の皆様の姿は見えません。それは、亡者の皆さんと私とでは住んでいる世界が違うからです。皆さんはすでにこちらの世からそちらの世に移っており、そのことは皆さん自身がよくお分かりのことと思います。ですから今この者の体に取り憑いている皆さんを、亡者の皆さんとこれより呼ばさせていただきます。

 

先ほども申しましたように、私と亡者の皆さんとでは住む世界が違います。しかし住む世界が違っていても、亡者の皆さんも亡者の皆さんが取り憑いているこの者も、話をしている私も皆同じ人間です。

 

しかし、亡者の皆さんと私とでは今も申した通り住む世界が違いますから話をする訳にはいきません。皆さんが私と話をしたい場合は、こちらの世では生きている方のお体を借り、その人の口を借りてしゃべらなければなりません。

 

ところが困ったことに、こちらに生きている人間の誰でも彼でもが皆さんに体を貸し、しゃべる道具としての役割はできないのです。特殊な方に限られてしまうからなんです。もちろん私にもできません。しかしこの者に取り憑いている皆さんは、心を澄まして聞こうと一生懸命になれば、私が話していることが分かるはずです。ですから「くだらない」とか、「余計な話をするな」ということではなく、聞いていただけないでしょうか。私は決して皆さんに説教をしようとか、うまいことを言って皆さんをダマそうとか、思っておりません。

 

ここ何年も成り行き上、加藤さんという立派な方のお手伝いをさせていただいてきました。そして皆さんと同じように苦しみ、怒っている亡者の皆さんの仲間を神様のご指導の下に、お救けする機会を持たせてもらってきました。そして本当に多くの多くの、怒り苦しんでいる亡者の皆さんがその苦しみから離れ、怒りや悩みからも解き放たれ、今は神様の下で大変良い暮らしをしております。

 

私は、一人でも多くの方々が今の苦しみから離れ、明るく楽しい、良い暮らしをしてほしいと思い、この話をさせていただいているのです。

 

皆さんは今まで多くの者にダマされ、裏切られてきました。もう誰も信用できないという気持ちもよく分かります。その疑いの心を持つのも、その時代に生きた皆さんが受けた仕打ちからすると、当然のことと思います。その疑いの心で結構ですから、私の話を最後まで聞いてみてくださいませんか。

 

私には先ほども申しましたように、皆さんの姿は見えません。しかし、想像はできます。なぜかと申しますと、私は偉大な神様の道具として大変心のきれいな方で、みなさんにお体をお貸しして下さる加藤さんという方の手先として、今まで働いてきました。ですから、皆さんと同じように苦しみ、嘆き、怒っている多くの多くの皆さんと、とことん話をし、最後にはその亡者の皆さんが助かっているようすに何回も立ち合っているからなんです。ですから、よく分かるんです。

 

亡者の皆さんが今、どのような所にいるかと申しますと、おそらく暗くて寒くてひもじくて、体は痛くて病で苦しんでいる人が多いと思います。斬られてのた打ち回っている人もいるでしょう。

 

生きたままの姿で火あぶりにされた人もいるでしょう。水の底で体を縛られたまま身動き一つできず、苦しんでいる人もいるでしょう。食べ物も食べさせられず、骨と皮ばかりにやせこけた人もいるでしょう。自分は何も悪いことをしていないのに、頭を打ち割られた人もいるでしょう。牛や馬以下の扱いを受け、足腰が立たなくなった人もいるでしょう。まだまだいろいろの人がいると思います。本当によく分かります。

 

皆さんが恨み、その恨みを向けているこの者が何回も生まれ変わるたびごとにこの者に取り憑き、その恨みを晴らそうといろいろなことをさせ、困らせ、病気にさせたりいろいろ意地悪をしてきたことも、やられた亡者の皆さんの立場になってみると、当然でもっともなことと思います。私もそのような立場に置かれたら、当然そのようにしていたでしょう。

 

皆さんの生きていた時代には、身分の差というものがありました。金持ちと貧乏人との差は激しく、同じ人間でありながら片方では「きんきらきんの赤いあでやかな着物を着て、うまいものばかり食っている者もあれば、皆さんたちのように正しくても、多くの者は食べるものも満足に食ベられず、牛や馬よりもひどい仕打ちをされ、苦しみ、果てにはさんざん悩み苦しんで亡くなっていった方も多くあったはずです。同じ人間がなぜこんなことをするのか、こんなことをして許されるのかと思います。

 

ですから皆さんは神も仏も信じず、神も仏もいないと思っていてもしょうがないと思います。もし神も仏もあるならば、こんなことにはならないはずだとお思いになるでしょう。

 

亡者の皆さん! 皆さんは不思議に思いませんか。皆さんは今、暗い所で寒くて飢えて苦しんでいますのに、皆さんにさんざん悪をしたこの者は、何回もこの世に人間として生まれ変わって出てきています。皆さんは何も悪いことをしていないのにいじめ苦しめられ、つまり良い人がいつまでも暗い所で苦しみ、悪の人間が生まれ変わるとは、神様がいるなら不公平だとは思いませんか。思うでしょう。

 

神様はいらっしゃいます。神様は常に正しい者の味方です。そして神様は、皆すべての人が神の子だから救けたいと申されています。「それならなんだ、おかしいじゃないか。俺らは悪者か」と、こう皆さんは食ってかかってくるかもしれません。いや、皆さんは正しいのです。本当に正しいのです。

 

皆さんは正しいのですが、神様の作られたきまりを破っているから、皆さんは生まれ変わることができないのです。このきまりさえ分かってくだされば、即座に皆さんの苦しみはなくなり、明るい良い暮らしができる所へと導かれるのです。「そんな馬鹿なことがあるか」と申されると思います。「そんなことがあるなら、長いこと苦しみ続けることがなかったんじゃないか」と、こう申すでしょう。

 

実際には、すぐ助かるてだてがあるのです。私がうまいことを言って皆さんをダマす必要はありません。ダマしたからと言って、何の得にもなりません。ただ皆さんが、少しでも一時でも早く、今の苦しみから助かってもらいたいと思い話をさせていただいているのです。そのてだてを話す前に、亡者の皆さんに次のことをハッキリと知っておいてほしいのです。

 

まず一番は、皆さんは人間は死んだらおしまいだ、と生きている時は思っていたと思います。そして死んでそちらの世に行ってみたら、暗くて寒くて、その上病んだ姿のままで、今でも苦しみ続けているということですね。死んで楽になると思い、自分から身をつめ自殺した人も、楽になるどころか体を縛られて、暗くて寒い思いをしていると思います。そして、その状態が長いこと続いておりますね。そちらの世には時というものがありませんから、何年経ったかも分からないと思います。

 

ただ、はっきりと言えることは、死んでも生き続けるということです。その証にこの者に取り憑き、恨みを晴らそうとその思いを向けておりますね。これで命、つまり魂は生き続けるということが分かったと思います。

 

二番目に、皆さんが生きていた時代は、食うか食われるかの世界ですから強い者が勝手な振舞いをし、弱い者は泣き泣き暮らすより仕方なかったのです。神様は私ども人間を、皆同じように良い暮らしができるように造ってはくださったのですが、その頃は神様の心を伝える人もおらず、何が正しく何が悪いかの教えを話す人がいなかったのです。ですから、誰もがどう生きたらよいのか、どういう考えで心の持ち方をして暮らしていけばよいのかということを知らなかったのです。

 

それゆえに、皆さんが死んでも生き続けるということを知らなかったのも無理のないことなのです。その時代には、心の話や神様の話をする人がほとんどおらず、まして人が生まれたり死んだりの繰り返しをしているということを話している人がいなかったのですから、本当に無理ないと思います。

 

三番目は、今申した通り、私達は生まれてきて一生を通して心の修行をして、また亡くなりあの世、つまり皆さんの住んでする所に行って別の修行をして、また人間として生まれてくる……。この繰り返しをしているわけです。ですから、私も皆さんと一緒に生きていた時代があったかもしれません。この生まれ変わりの速さは、人によって違います。

 

ここで一番大切なことは、亡くなるとほとんどの方は暗い所へ行ってしまうということです。ほとんどの人は、このようなことを知らなかったのですから、心に悟りを持っていなかったのです。もし持っていたら、このようなことはなかったのです。

 

皆さんが今住んでいる所は、暗くて寒くて何も見えませんが、皆さんの世界には明るい所、つまり極楽もあれば、また極楽よりももっと素晴らしい世界もあります。細かいことは別としまして、大きく分けると明るい所と暗い所があると思って下さい。明るい所に住む人は寒くもなく、いろいろなことが見え、お腹もすかず、またどこも痛い所がなく、良い思いで過ごさせてもらっています。

 

反面、暗い所にもいくつもの層があります。皆さんが住んでいる所も、暗い所の一つです。皆さんが住んでいるあの世は、私達が住むこの世と一番違うところは、心の世界だということです。心で思い考えることで、どのような状況の所へでも行って住むことができます。心の世界とは、死んだ時の状況そのままで、斬られて死んだ人は、斬られた傷が痛い痛いと、のたうち回っています。病で胸が苦しくて死んだ人は、胸が苦しい苦しいと、今も思っていますから、そのような状態で過ごしているわけです。

 

よく自分自身を見てください。皆さんには体はありません。「何言っているんだ。体はあるから痛いんだ」と申すかもしれません。しかし、本当に体はないのです。どうぞ、自分でこれから私の言うことを一緒に試してみてくれませんか。

 

まず、片方の手でもう一方の手をおもいっきりつねってみて下さい。痛いですか。痛くないでしょう。痛いと思えば痛いが、痛くないと思えば痛くないでしょう。体がないから痛いわけはないのです。今度は、にぎりこぶしを作って頭をたたいてみてくれませんか。コンコンと音がしますか。しないでしょう。体がないから音が出ないのです。もう一度試してみてください。分かりましたか。

 

皆さんは幽霊ではないのですよ。体はなくとも生きているのですよ。体がないということが分かれば、死んだ時の斬られた傷が痛かったり、体が病で苦しいということはないのです。体がないのですから痛くはないのです。ただ、斬られた時は体がありましたから、その時は痛かったのです。

 

その時の痛い痛いという思いをずーっと持ち続けるから痛いのです。お分かりいただけましたでしょうか。

 

ですから皆さん方は、痛い苦しいという思いを、そうだ、体がないから痛いわけはないんだ、苦しいわけはないんだ、と、こう思い続けてみて下さい。そうしますと、痛みも苦しみも即座に消えてきます。

 

消えてきましたら次に、明るい所に行くてだてをお話しさせていただきます。まず、明るい所に住むには条件があります。明るい所に住むことのできる人は、人間として生きていた時のこと、つまりこちらの世のことをそちらの世に行ってから、いろいろ思い出してはいけないということなのです。生きていた時のことを思い出し、あれが欲しかったとか、これをやればよかったとか、ああ、あれをやり残しておいた、あの人にお金を貸してまだ取ってなかった、などを思ってはいけないということなのです。

 

どのような訳があろうと生きていた時のことを思い出し、心に留めている限り、明るい所に行けないのです。明るい所、つまり上へと上がらないと、いつまでも人間として再び生まれ変わることはできません。生まれ変わる所は、明るい所からでないとできないからです。ですから、みなさんの取り憑いているこの者は悪をしたにも関わらず、この世に何回も生まれ変わってくるということは、それは人間として生きている時の思いを持たなかったからなのです。ですから明るい所へと上がり、生まれ変わってきているのです。

 

もちろん生きていた時に悪の限りを尽くしましたのですから、長い年月地獄の底で反省をさせられたことは事実です。いずれにしましても、人間界の執着心さえなければ明るい所へと導かれ、そこで修行の末また生まれ変わることができるのです。

 

皆さんの恨み、悔しさもよく分かります。よく分かりますが、この恨み、悔しさを持ち続ける限り、いくらそれが正しい訳であろうと、暗い所から出れないのです。暗い所にいる限り体はないことを悟っても、寒くてひもじい思いから抜け出ることはできないのです。皆さんの悔しい思いもよく分かります。明るい所に上がらなくてもよいから、永久に取り憑いてやるぞ、という、そういうかたくなな思いも分かります。しかしその思いの限りこの者も亡者の皆さんも苦しい苦しいの悪循環の繰り返しで、解決への道は開かれません。

 

神様は、私達みんなを楽しい明るい暮らしをさせたいと思い、造って下さったのです。ですから私達は、誰もが明るく楽しく暮らしてこそ親である神は喜んで下さるのです。

 

皆さんの悔しさも本当によく分かりますし、その悔しさを捨てろとは申しません。ただ、皆さんがそれらを忘れて下さらないと、皆さんも明るい所に行けないのです。ですから皆さんはその悔しさ、怒り、恨みを神様にお願いして、神様に代わってもらって処罰をしていただいたらどうでしょう。神様が処分する分には皆さんには関係ありませんから、皆さんは何ら損になる点はありません。

 

神様にお願いして、つまりかたきは神様にお預けしてしまう、とこういうことでどうでしょう。そして、明るい所に行きませんか。

 

人を許すということは、仏の心だと思います。どのような訳があろうと怒り続けるということは、鬼の心のようだと思います。すぐ腹が決まったら、「神様、お願いがあります」と申し上げてみて下さい。神様は聞いて下さいます。「神様、今まで長いこと繰り返し繰り返しこの者に取り憑き、恨みや怒りを向けていて申し訳ありません。よく分かりましたので、もうこの者への恨みや怒りは忘れます。しかし私としても悔しいので、この仕返し、罰は神様の方でよろしくお願いいたします。私はこの者への恨みは忘れて、神様の言われる明るい良い暮らしをしたいと思いますので、どうか神様、お助け下さい。お導き下さい」と申し上げてみて下さい。即座に神様は皆さんを助けて明るい所へと導き修行のてだてを教えて下さいます。

 

また私も皆さんをいじめたこの者に対し、心より深く深く詫びの心を毎日向けさせます。時には皆さんに、陰膳を据えさせていただきます。この者が皆さんをいじめた分、今生きているこの世で人様に喜んでもらう、つまり皆さんをいじめた時と反対の生き方をしてもらうよう責任を持って話をさせていただきます。皆さんをいじめた分、それ以上に人のために役立ってもらうことをよく話させていただきます。ですから皆さんも神様の心、つまり誰もが上下の差もなく皆同じ人間として幸せな世を作りたいという神様の思いをお分かりいただきまして、ただ自分の悔しい思いにのみとらわれず、大きな心になっていただけないでしょうか。いわゆる仏の心になっていただけないでしょうか。

 

いじめられ長いこと苦しんでいる皆さんに、こう急に申したといってなかなか納得できないのも分かります。でも、繰り返し聞いていただきたいのです。少しでも分かってほしいのです。それが結局、亡者の皆さんのためになるのです。

 

亡者の皆さんも加藤さんのお体をお借りすればすぐに助かるのですが、お体を貸す人は、貸すと大変疲れ、自分の体をものすごく犠牲にしなければならないのです。ですからすべての亡者の人たちのために、体を貸す訳にはいかないのです。しかし、皆さんが自分から悟って、皆さんの心の持ち方を変えて下さると、変えるだけで皆さん自身が助かるのです。是非、皆さん努力してみて下さいませんか。

 

亡者のみなさんの住む世も私たちの住む世も、どちらも神様の作って下さった世界です。神様の作って下さった世界には、一つの法則があります。それは、人に尽くしたことは、形は違っても皆自分にもどってくるということです。つまり、公平で正しいということなのです。

 

自分を犠牲にして尽くしておけば輪廻転生、生まれ変わったり死んだりする過程のなかで、必ず良き結果になって戻ってきます。それは生きているうちの場合もあるでしょうし、生きているうちにないと次に生まれてきた時、それは徳となって必ず戻ってきます。反対に人をいじめ苦しめていると、その生きている時代か、その時代でなければ次に生まれてくる時に、やはりいじめられ苦しめられる立場に立たされるというきまりがあるのです。我々の住むこの世の出来事は、誠に公平なのです。

 

例えば砂浜で砂を取り、山を築いたとします。山の所は高くなりますが、取られた所は低くなりますね。しかし、これも時が経てばいつの間にか平らになります。また、天に向かってつばをすれば、必ず下に落ちてきます。丸い石を坂の上に置けば、必ず転げ落ちてきます。このように、自然界にも法則があります。

 

人間界の社会も同じことなのです。ある人が悪いことをすれば、その人は今世か来世かのいずれかで必ずその罪の償いをしなくてはなりません。これらのことを考えると、今恨みを向けている亡者の皆さんも前世、あるいは前々世において絶対に人をいじめていなかったとは言い切れないかもしれません。

 

蒔いた種は、種通りの芽が出るともお聞かせいただいております。どうかそれらも含めまして、この者を許してやる心、つまり仏の心を持っていただきたいと思います。また、あなたがもしあなたをいじめたこの者の立場だったら、あなたも同じようなことをしていたかもしれません。

 

亡者の皆さんの本当に許す心になれないということもよく分かりますが、しかし亡者の皆さんのために、鬼の心から仏の心へと切り換えてみて下さいませんか。それが結局は皆さんが救かり、神様のお心に沿う状態になるからなのです。

 

本当に許せない思いもよく分かります。長い長い年月、恨み続けてきたのです。それも分かります。そして、皆さんの心は一つのことを思うとそれにずーっととらわれて、他のことは考えられないですから、本当によく分かります。しかし、ここで心を切り換えまして、仏の心になって下さいませんか。そして、どうか神様にいろいろのことはお預けして、「神様、お助け下さい。今までのことは悔い改めます。どうぞ、明るい所へ導いて下さい」と、お願いしてみて下さいませんか。

 

今日の話は、これで終わりにさせていただきます。また後日、お話をさせていただきますから、どうか嫌わないで、この話を聞いて下さい。あなたも私も、同じ人間です。私は幸せです。あなたにも幸せになってほしいのです。皆さんにも幸せになってほしいのです。

 

それではこれで、終わりにいたします。

 

 

根気よく毎日、数ヵ月続けて下さい。亡者のなかには理解度の早い人となかなかわからない人とがいるからです。当院の患者さんで成功した人も数人おります。