「ケープ・フィアー」
(原題:Cape Fear)
1991年12月21日日本公開。
14年の服役を終えた男が憎悪と復讐心を蓄えて、弁護士一家を襲うサイコ・スリラー。
興行収入:$182,291,969。
脚本:ウェズリー・ストリック
監督:マーティン・スコセッシ
出演者:
ロバート・デ・ニーロ
ニック・ノルティ
ジェシカ・ラング
ジュリエット・ルイス
あらすじ:
レイプ罪により14年間の獄中生活を終えたばかりのマックス・ケイディ(ロバート・デ・ニーロ)は、自分を敗訴に導いた弁護士サム・ボーデン(ニック・ノルティ)に対する復讐を誓う。
マックスはサムばかりか妻のレイ(ジェシカ・ラング)や娘ダニエル(ジュリエット・ルイス)の前にも姿を現すようになった。
愛犬が殺され、サムの愛人ローリーが襲われるが、マックスの犯行とは認められない。
ダニエルにマックスが接近したことを知ったサムは私立探偵カーセクを雇い、力づくでマックスを町から追い出そうとするが、鍛え抜かれた肉体を持つマックスには通用せず、逆に暴行罪で告訴されてしまう。
焦るサムは自宅にマックスをおびき寄せるが、またもや逆襲される。
せっぱつまった一家は、夜、密かに町を離れハウスボートのあるケープ・フィアーへ向かった。
しかしマックスは、執拗に追い続け、岸を離れた一家を襲撃する。
嵐の中、悪夢のような復讐劇が繰り広げられるが、一家は命からがら脱出に成功。
鬼と化したマックスは深い海へと引き込まれていくのであった。
コメント:
「ケープ・フィアー」というのは、場所の名前。
日本語に直訳すると「恐怖の岬」だ。
この場所が復讐劇の最終場所になるのだ。
デ・ニーロの登場が強烈。
刺青の筋肉の懸垂シーンが遠巻きになって独房と分かり、刑務所から出るとカメラに向かって突き抜け、映画館での葉巻の煙が立ちこめる中で大声で笑うシーンへと、一気に彼の正体を観客へ知らしめる。
この展開で、何かとてつもない恐ろしい映像が出てきそうな予感を見ている者全員に与える。
その後、弁護士と彼の周囲との人間関係(浮気相手とのラケットボールや弁護士仲間との会話)、そして、家族との微妙な感じに関して舞台演劇調で語られていく。
その合間合間で、デ・ニーロが弁護士にギリギリの範囲内で脅迫的な牽制をし、徐々に心理的緊張感を高めていく。
弁護士の不倫相手が餌食になるシーンあたりから動きが加速し始める。
と同時に、娘や妻への心理攻撃が開始され、静動交互に加速度を増加させ、自宅内での見えない敵への恐怖感が増す。
そして、ケープフィアーでの顔が崩れていくデニーロが前面に出た暴力シーンと、波に揉まれるクルーズ船の破壊シーンとがクロスオーバーされて、圧倒的な迫力でラストを迎える。
人間の復讐心をここまで高めて相手に何度も迫ってくる演技は、まさにデニーロならではのもの。
デニーロ劇場の最高のサイコ・スリラーがこれでもかという勢いで観客を襲う。
気の弱い人は絶対見ない方が良いだろう。
怖いものが観たい人には最高のプレゼントだ。
デニーロのこれまでの作品がかすんで見えるほどの最高レベルの恐怖を見せつけてくれる。
デニーロの体中に描かれる入れ墨は、聖書の言葉などを引用した文字。
象徴的なのが、彼の腕にある大きな文字と背中のてんびんの絵。
デニーロが扮するマックスは、刑務所に入るまでは文字も読めない男だったが、14年間の刑務所生活で文字を学んだ。
そして聖書を読み、以下の言葉を腕に刻んだのだ。
・復讐は我にあり
・時は目前に
・神は信じず
・神は復讐なり
・正念場はこれから
これは、新訳聖書から引用された言葉が掘られている。
「VENGEANCE IS MINE」。
日本語に訳すと、「復讐するは我にあり」。
この言葉は、新約聖書(ローマ人への手紙・第12章第19節)に出てくる言葉だ。
その全文は
「愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒りに任せまつれ。
口語に訳すと、
愛する者たちよ。
自分で
なぜなら、
「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」
と書いてあるからである。
むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。
悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。
これは「悪に対して悪で報いてはならない。悪を行なった者に対する復讐は神がおこなう(参考;詩篇94:1)。」という意味である。
つまり本来は、人間は復讐をしてはならないと教えている素晴らしい聖書の一節なのだ。
もうひとつ、マックスの背中には十字架を天秤にし、「真実」と「正義」が天秤にかけられている。
古びた木の十字架。
天秤に釣られた聖書とナイフ。
聖書の下にTRUTH(真実)、ナイフの下にはJUSTICE(正義・公平)という文字が。
マックスは自分が神と同等になり、サムに復讐をしようとしていたのだ。
マックスはサムに向かって「俺は神で神は俺と同格だ!」と17世紀のシレジウスの言葉を叫ぶ。
旧約聖書ヨブ記の出来事を再現しようとしていたのだという。
マックスはサムの娘ダニーには「裁かずに許すのだ」と言っている。
それは裁くことができるのは神だけだからだ。
神でない人間は人を裁かずに人を許すのだ。
マックスはそのことをダニーに伝え、人を裁いているサムは間違っていると言う。
ただマックスは自分を神と同格だと考えているので、彼はサムを裁くことができるのだ。
そんなマックスのサムに対する裁き。
それはマックスがサムに言った「ヨブ記を読め」という言葉に示されている。
主人公マックス・ケイディは自分を神と思い、サムに裁きを下していくのだ。
キリスト教の聖書を理解している人たちがこの映画を見ると、以上のような聖書の言葉を思い出して、これが相当恐ろしい映画だということが深く理解できるのだろう。
ということで、この作品は、世界の興行収入1.8億米ドルという大ヒットになったのである。
この金額は、007シリーズの大ヒット作品「ユア・アイズ・オンリー」とほぼ同等だ。