京マチ子の映画 「偽れる盛装」 京マチ子の初期大ヒット作品! 今なら全編視聴可能! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「偽れる盛装」

 

 

偽れる盛装 (全編)

 

 1951年1月13日公開。

戦前の大ヒット作『祇園の姉妹』のオマージュ。

第25回キネマ旬報ベスト・テン第3位。

 

 

受賞歴:

  • 第5回毎日映画コンクール 監督賞、脚本賞、美術賞、女優演技賞(京マチ子)
  • 第1回ブルーリボン賞 撮影賞
  • 第4回日本映画技術賞(水谷浩)

 

脚本:新藤兼人

監督:吉村公三郎

出演者:

京マチ子、藤田泰子、村田知英子、滝花久子、柳恵美子、橘公子、小林桂樹、河津清三郎、菅井一郎、進藤英太郎、殿山泰司、三好栄子

 

 

あらすじ:

靜乃家の君蝶(京マチ子)は祇園界隈で凄腕をもってならした芸者だった。

その妹・妙子(藤田泰子)は、姉とおよそ反対に、京都市の観光課の事務員をしている地味な娘だった。

二人の母きく(滝花久子)は、その昔祇園で一流をうたわれた芸者だったが、染色会社の社長渡辺(河津清三郎)に囲われ、二人の娘を生んでからは、旦那大事と生きて来た。

旦那が窮地に陥ったときは、長女をその犠牲にして芸者に出し、旦那の死後、その息子が金の無心を言いに来ると、自分たちの住んでいる家を抵当にしてもその金を工面するというような、古風で義理固い女だった。

その母に強く反発して、姉の君蝶は、いっそう腕によりをかけ、美術商の笠間(殿山泰司)から絞れるだけ絞り、次には、速神丸本舗の一番々頭の山下(菅井一郎)を虜にしていた。

妹の妙子は、やはり祇園で有名な料亭、菊亭の一人息子で同じ観光課に勤めている孝次(小林桂樹)に恋をしていたが、孝次の母千代(村田知英子)は、きくとは昔の朋輩でありながら、家の格式が違うと二人の結婚を許さなかった。

妙子の親友で、父が東京の大学の教授をしている雪子は久しぶりで西下して、妙子たちの恋愛を知り、二人して古い環境から抜け出し東京へ逃げて来ることを勧めるが、孝次には家を出て独立する自信もないのだった。

君蝶から見るとこうした皆が歯がゆくてならなかった。

殊に千代が、身分が違うと言って妙子と孝次の結婚を許さなかった高慢さが我慢ならなかった。

山下をいいかげん絞り上げたところでもあったので、今度は、千代の旦那格の男で、小料理屋をしている伊勢浜(進藤英太郎)に君蝶の誘惑の手が伸びた。

千代はじだんだ踏んで口惜しがり、逢引の場へ乗り込んで君蝶を面罵したが、若く美しい君蝶の敵ではなかった。

その間に、晴れの温習会が始まり、君蝶は伊勢浜のおかげで、美しい仕度をして出演することが出来た。

一方、速神丸の山下は、金の使い込みがばれて店を追われ、せめて君蝶に逢いたいと思ったが、彼女が冷たく彼を寄せつけないのに業を煮やして、出刃包丁をのんで彼女の楽屋を訪ね、逃げる君蝶を追って町を走り、ついに彼女を刺してしまう。

一命を取り留めた君蝶は病床に横たわりながら、東京へ行くという孝次と妙子を優しく見送り、自分もこんな世界とは縁切りだとつぶやくのだった。

 

 

 

コメント:

 

この映画の公開当時、26歳だった京マチ子。

彼女の一連の出演作品の共通要素である「男を手玉に取る」という演技が、若くしてすでに光っている。

何気ない所作のひとつひとつに気性の激しさが見え隠れする京マチ子の存在はすでに国内外で人気となった。

 

 

 

この年のベネチア国際映画祭にこの作品か「羅生門」のどちらを出品させるかの候補となったくらい素晴らしい作品。

京都祇園のお茶屋を舞台の女の映画だが、主演の京マチ子はもちろん、母親きく役の瀧花久子、千代役の村田知英子など配役全員の京ことばの使い回しは完璧である。

現代の役者も少し見習ってほしい。

撮影監督の中井朝一による映像(カット)が美しく、昔の京都を思い浮かべる。

 

芸妓に翻弄される男の哀れさやと可笑しさを余すことなく体現した菅井一郎、進藤英太郎の巧まざる演技が目を引く。
封建世界の結界でもある電車の踏切をついぞ超えられなかった主人公と、それを易々と超える若いカップルの対照鮮やかな終幕が深い余韻を醸し出す。

京の花街を舞台に男女の絡み合う思惑と情念を、濃淡豊かに紡ぎ出した吉村公三郎のこなれた語り口が楽しめる人間ドラマの佳編。

最近の映画には見られない情緒深い作品。

 

 

今ならYouTubeで、全編視聴可能!

 

偽れる盛装 (全編)