こんにちわ!

 

ゴールデンウィークも後半戦突入です。

毎回「〜麗しき昭和の頃 〜」に立ち寄り頂き、ブログサイト別にコメントも頂き誠にありがとうございます^^本日も「雑だけど温かい時代・昭和」の一部分を振返り特に同じ世代を生きて来たご同輩の皆さんと少しだけタイムスリップ出来ればと思います。何度か読んで頂いている方も初めての方も、お付合い頂ければ幸いです。

 

【掃除の時間】
思い起こせば小中学の頃に授業が終わると学級会(ホームルーム)が行われ帰宅及び部活の時間が訪れると「掃除当番」は机と椅子を一斉に後ろに移動させ、教室の一番後ろの隅にある「掃除道具庫」からバケツだの箒だの塵取りだのを取り出し、学校生活で「めんどくさい時間ベスト5」には入るであろう?「掃除時間」が訪れる訳です。当然、特に男子悪童は適当に掃除をやる者、箒で野球をやる者、バケツをかぶりおどける者、そもそも掃除の時間にいなくなる者、それはもうやりたい放題でしたね(笑) そして時折、木のフローリング床にワックス掛けを行う事がありました。記憶は定かで無いがワックスと言っても昨今の「オイル系」ではなく「濃いオレンジの固形ワックス」で見るからにグロテスク。匂いも何とも言えないガソリンのような?工業油のような?何とも言えない匂いでした。それを一斗缶からヘラの様なもので先生が場所場所に落として行きそれを伸ばしてゆく?作業でした。他にも「牛乳の様な白いワックス?」を教室にまき散らしモップ、若しくは「ぼろ雑巾」でふき取る作業もありました。あれもきつい匂いだったなぁ…昨今の掃除の時間は知りませんが、今思えばその様な作業も業者に任せる発想など微塵もなかったのでしょうね。掃除の時間は生徒がやる!でしょうか(笑) まぁ、それはそれで良き体験?だと思っています。

 

【給食の時間】
昨今の小中学校の給食ときたら驚きのメニューが並んでいるようです。青椒肉絲、酢豚、若鳥の照焼、唐揚げ、マカロニグラタン…昭和の頃、我々鉄「腕アトム世代」の給食に比べたら違う国の食べ物と言われても過言ではありませんね^^しかしながら当時の腹を空かせた我々は「やたらと野菜が堅くて大きいクリームシチューと冷えたコッペパン」ですらガッツいていたものです。当時なりに給食には「栄養士」は付いていたのだろうが日々の大容量の給食を作るのが精いっぱいでメニューや食材・調理方法などには気が回っていない気配がありましたね^^給食当番は4時間目の30分程度経過した頃に割烹着に着替えて給食室に給食を受取りに行きました。刑務所真柄の大型アルミ食缶・そしてアルミの食器類・重たい牛乳瓶の箱・庭に水撒きでもするかのような大きなひしゃく。それを給食係が少し早めに取りに行きセッティングしていましたね。授業を途中で抜けられる幸福感と共に給食後には気持ち悪くなるほどの「残飯」を運ばなければならない苦痛で給食係は複雑な想いでした(笑) 
また、担任の先生は教室の前方左に設置されている「教師机」で同じものを食べてました。これは今も変わらないようです^^生徒はグループ机に並べなおして食べたものでした。さて給食の時間と言えば御同輩(特に男子)が多く体験されたであろう?牛乳を口にふくんでの「笑ってはいけない…」ではないだろうか?(笑)「笑わせて口にふくんだ牛乳を吹いたら終わり」という何とも下らない子供らしい発想のイベントだ。また四角マーガリンだけを食べるという罰ゲーム的なイベントや、瓶牛乳の蓋を前歯で開けるというイベントもありました^^また割烹着は当番が終わると共に家に持ち帰り自宅洗濯でしたね^^

       

 

【技術・家庭科の授業】
国語・算数・理科・社会などの他に図工や家庭科の授業は人気があったように記憶します。特に中学の家庭科は男子は木工作業や製図など女子は裁縫?など「手を動かして物を作る」授業で、そこそこの所まで作ると「ハイ!今日はここまで」と授業が終わり「え~もう終わり?」など、あっという間に技術家庭の授業は終った記憶があります。次週続きを造れるのが大変楽しみでした。手慣れない手つきで男子は木工道具、女子は針・糸、物珍しい感覚もあったのかも知れません。仕上がった製作物はお世辞に傑作とは言えず、何ともお粗末な我が作品だったと記憶します。その中でも、素晴らしい作品を作るクラスメートもいました。まるで店頭で売られているような作品をいとも簡単に作成し「大した事ないよ」みたいな顔をしている訳です。一方で当方の作品は自分では本棚を作ったつもりなのに友人からは「なにこれ?階段?」などの評価。女子の刺繍で例えるならば、自分では「猫」を描いたつもりでも、周囲から「キリン?」てなとこでしょうか?(笑)これは生まれながらに持ち合わせたセンスと技術なのでしょう。皆が同じスタートラインでも人間にはそのような才能の違いがある事を叩きつけられた瞬間でもあります。そしてその成果物(授業で作った製作物)は、我々がソコソコの年齢になるまで実家のどこかで目的とは異なる役割で?活躍していたのではないでしょうか?(例えば簡易木工椅子であれば「踏み台」など…(笑)」いずれにしても技術・家庭科の授業」は人気だった事は間違いなさそうですね^^

                   

 

             如何でしたでしょうか?


今回は「学校生活での様々な時間」をいくつか挙げさせて頂きました。当時を思い起こせば友人の顔やクラスの空気感・学校生活の日常などが走馬灯の様に浮かびますよね^^日本全国土地土地で多少の違いはあれど、凡そ同じような体験をされてきたのではないでしょうか?この記事を読んで頂き「あー!あったあった!」「懐かしいなぁ」などなど感じて頂ければ幸いです。

 

  何故この楽曲を知ったのか?分かりませんが聴く度に懐かしさが溢れます。桑田さんもよく歌われる楽曲ですね^^
       
           本日も訪問ありがとうございました^^