3ヶ月ぶりの投稿である。不動産会社は本当に業務多忙で、正直自宅にいるときは何もせずぼーーっとしていたいのである。様々な触れたい社会問題があるが、どうしても時間があれば楽を選んでしまう。。。。
さて、そんな中で「これだけは書き込みたい!」と思わせたのが、年に1~2度は何らかのニュースで触れられる「電車の優先席をめぐるトラブル」である。なぜ書き込みを決めたかというと、現代の日本人の道徳心が、俺の感覚とあまりにも異なりすぎるからだ。
とりあえずこのニュースをご覧頂こう。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181029-00000565-san-soci
<内容の要約>
男Aと男Bは乗る駅も降りる駅も同じ。男Aは若い分際で、優先席に必ず座り、誰にも譲らない。それを見続けてきた高齢の男Bがガマンの限界を超え、ナイフでAのお腹を刺した。
<ヤフコメの意見>
想像通りだろうが、男Bを批判するコメントが多数。それが発展し、老人は害の何ものでもないと言わんばかりの投稿も目立った。
<久々にヤフコメ欄に投稿してみた>
既に投稿数がマックスの状態でヤフコメ書き込んだので、goodもbadも合わせて100くらいだったが、goodよりbadがやや上回っていた。俺の投稿内容としては「確かに刺すのは良くないが、男Bの気持ちも分かる。健康なヤツが『早いもん勝ち』的に毎日優先席に座り続け、周囲に何の気配りもしないという風潮が問題なのだ。理想は、満員だろうと空いてようと、常時優先席が空いてることかなぁ。俺は一度も優先席に座ったことがないし、そもそも優先席に座ろうという発想がない。」といったものだった。
それに対し、ほぼ1対1の割合でのgood/badであったが、badの方がやや多かったのである。ヤフコメが正しく世論を反映しているとは元々思っていないが、この件があってこそ、ブログにわざわざ書き込もうと思えたのである。badを押してくれた人たちには感謝せねばなるまい。
<俺と同じ意見の人の考え>
・幼少の時から、元気な人は優先席に座らないようにと、学校や親から学んできた
・元気な人が周囲の気配りもせずに座り続けるって、何のための優先席だろう?
・そもそも、目の前で杖をついた老人が立っているのに、座り続けること自体が信じられない
<優先席に座り続ける人の考え>
・あくまでも「優先席」であり「専用」ではないから、俺は座る
・過去に老人や障害者に譲ったら、逆ギレされたからもう譲らない
・えらそうな老害に譲る気は無い
・妊婦かデブか判別がつかない(間違えたら失礼だから)
・同じ乗車賃を払ってるから座る権利がある
・疲れている社会人は多いのだ!どっかで遊んできた老人どもに譲りたくない
・そもそも空いてるんだからいいだろう
きっと、両者は永遠に平行線なので、別に俺の意見を世に浸透させようとか解ってほしいとは思わない。ただ面白いなと思うのは、「中間層がいない」という点である。
中間層と言うのは本当に中間をとる人。「空いてれば座る(かもしれない)けど、弱者らしい人が付近にいれば優先席を離れる(かも)」という人は皆無であった。
せめて中間層が多くいれば、まだ救いがあると思うのに、なぜ中間がいないのか、中間になれないのか。これは時代の流れと言うべきか、元来の日本人の根底なのか解らないが、みんな「推し量る」ということが出来なくなっているのだ。
「推し量る」とは「無言の気遣い」である。
例えば妊婦(らしき)人が乗ってくる。高齢者(っぽい)が乗ってくる。
でも
「妊婦じゃなくデブだったらどうしよう?」
「わしゃ、まだまだ元気だ!と逆ギレされたらどうしよう?」
過去にそういう実体験があったからなのか、そういう推測があって譲る勇気が無いのか・・・・後者ならまぁまだ理解できるが、そうじゃないんだよ。心美しき日本人は、更にその一歩先を読んでほしいのだ。
「声をかけて逆ギレされるから」じゃないだろう。
声なんてかけなくていいじゃん。無言で席を立って、数メートル離れれば。
それにより、その人が座るのか、立ち続けるのかはその人の判断である。
「ああ、自分のために譲ってくれたのか!ありがたい」と無言で座る人もいるだろうし、「お前さんの気持ちは伝わってる。でもワシはまだ大丈夫。もっと具合の悪い人のために空けておこう」と立ち続ける人もいるだろう。
「ああ、どうぞ」「ああ、どうも」などというくだらんことを想像するからいけないのである。言葉がなくても「お互いに推し量る」それが日本人の美徳であろう。それをゴチャゴチャとくだらん言いがかりをつけて、「だったら譲らない」なんて、愚の骨頂ではないか。
もう一度書く。
元気なヤツらは、優先席に座るなとは言わんが、弱者らしき人が近くに乗ってきたら無言で席を立ってちょっと離れろ。いちいち「あっ、どうぞ」「まぁありがとう、親切な子やねぇ」「えへへ」などという気持ちの悪い想像をするな。
本当に意味が分からんのが「過去に逆ギレされたからもう譲らない」 まぢで日本から去ってほしいと思う。
そういうことがあったのかも知れんが、その一件だけで全ての老人を同じような目で見て、偏屈になって「じゃあ譲らねー」って、子どもかよ。。。。レベルが低すぎる。。。。
だったらお前らは、仮に高齢のお母さんと電車に乗って買いものに行ったとき、「帰りに買い物袋を全部お母さんに持たせ、さらに自分は空席に座り、お母さんをずっと立たせる」ってのを俺の前で見せてみろ。それができたら、俺はお前の意見が正しいかもしれないと、初めて思うようになるだろう。
あと、「サラリーマンや就活している学生は疲れている」との意見だが・・・・
すまん、彼らにかけてあげる言葉が無いのである(泣) 唯一かけるとしたら
「ああ、そうかそうか。ずっと座ってなさい。ところでどこ受けたの?ああ、そう!じゃあその会社に連絡しとくね!」といったところであろうかwww
まぁ、本当に具合の悪くなって青ざめてる若者は座ればいいよ。本当に具合悪そうな人は、見れば分かるからな。スマホつつく気力も無いだろうから。
ところで、俺は数年前に韓国の釜山で電車に乗った。
韓国の電車にも優先席があり、日本と同じ感じである。
しかし大きく異なるのは、ある程度満員になってても、優先席の利用者が少ないのである。時折若者が座っているが、高齢者が近くにいると、鮮やかに席を譲る。
韓国嫌いのヤフコメ民たちは、自分が韓国に行ったことが無いものだから、そんなこと信じようとしないが、現実なのだ。ズバリ言う。韓国の方が、日本よりも高齢者をいたわる習慣が根付いている。わざとらしくなく、本当に素っ気なく、かといって鮮やかである。日本の若者のように「あーだから譲らない」「こーだから俺は座り続ける」などという小賢しさが無いのである。
韓国びいきではない。どっちが上とか下とかではない。ただ結論は、かつての日本人が持っていた当たり前の感覚が失われているだけなのだ。
今回の話を結論づけるが、若者が弱者に席を譲らない理由が「過去に~だったから譲らない」という理由であるなら、それは間違っているから今日から改めて欲しい。好意で譲った。好意で声をかけた。それだけで、貴方の心は美しいのである。しかし、言いがかりを付けられて拒まれた。
心境としてはありがたく座ってほしかっただろう。しかし、必ずしも想い描いた通りになるとは限らない。お礼など期待しない。相手が笑顔で座ってくれることばかりを期待してはいけない。席を譲って拒まれても、次回もその次回も譲り続けて欲しいのだ。
そもそも、君たちはお礼を言われるために席を譲っているワケではないはずだ。そこがぶれなければ、ずっとずっと人に優しくなれる。
それを膨らませると、サイフを拾って持ち主や警察に届けてあげても「礼には及ばない」と名前も名乗らずにスタスタとその場を立ち去れるような人になって欲しい。
そして何度も言うが、一歩先を読む力をつけてほしい。「推し量る」「無言の奉仕」を身に付ければ仕事でも活躍する。
どうか若い世代の人たちよ、他人を慮(おもんぱか)るという気持ちを忘れないでほしい。