私の回想録  -2ページ目

私の回想録 

レミニセンス - 回想録。
過去の記憶を呼び返しながら、
備忘録として残したい。
記事が長いが何とぞご容赦ください。

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最近食べたラーメンの記録
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中華蕎麦 時雨

 

JR関内駅と市営地下鉄伊勢佐木町駅との中間、大通公園のテニスコート近くにある、美しい醤油のラーメン、つけ麺を提供する店。食べログでも高評価を得ている。行ってみたかった店だ。

私がスタンダードな中華蕎麦、友人がホロホロ南蛮つけ蕎麦を頼んだ。

 

私のオーダー 中華蕎麦

 

正統派だ、とても美味しかった。

 

こちらは ホロホロ南蛮つけ蕎麦

 

つけ麺は最後にイリコ、昆布、カツオ出汁の割りスープを入れてくれた。

そして友人はスープを全部飲み干した。私も次回は挑戦してみたい。

 


AFURI



横浜駅ジョイナスの飲食店街の一番中央改札寄りにいつも行列のできているお洒落なラーメン店がある。
神奈川県の名峰、大山-阿夫利山の水を使い、丁寧に出汁を取ったこだわりのラーメン。
大山の麓、七沢にセントラルキッチンを持ち、店舗は恵比寿、原宿、中目黒、麻布十番、六本木、新宿、横浜と攻めに攻めている。

娘から教わるまで、この店は全く知らなかった。先日訪問し、柚子塩ラーメンをオーダー。コシのある極細麺を使った鶏油の量が選べる綺麗で上品なラーメン。値段はちょっと高いがおいしくいただいた。 


中華 上大岡タンタン


ここは川崎、鶴見に多くの店舗を展開しているあのチェーン店、元祖ニュータンタン本舗とは違う。
でも見た目も味もほぼ同じ。町中華店のメニューの一つだが、辛さを選んでほとんどの客がこれ(タンタン麺)を注文している。何も言わないとあまり辛くない。中辛をオーダーするといいだろう。

この店は鎌倉街道に平行する一本奥の通りにある。


火風鼎 (おまけの白河ラーメン、横浜にはない)

9月のシルバーウィークに、To Go トラベルを利用してこれまで行ったことのなかった、北茨城の袋田の滝を旅した。

 


その帰り、同じ道を使うのはつまらんと思い、白河から東北自動車道を通るルートを選んだ。
途中、有名な白河ラーメン店、火風鼎(かふうてい)に寄り、名物の手打チャーシューメンを食べた。

 


 

開店時間近くに待たずに入れたが、次々と客が入ってきた。車でないと来れない場所で、結構広い駐車場があるがすぐにいっぱいになった。
先日偶然テレビを見ていたら、この店が登場した。やはり見るからに旨そうな(いや旨い!)手打チャーシューメンをオーダーしていた。

 

以後随時更新中

 

 

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第 四 篇 自宅近くの麺処  *がんこ亭追加*
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自宅近所のお気に入りの麺処を紹介したい。  

横浜市金沢区、磯子区周辺を巡ってみたいと思う。

 

がんこ亭

 

笹下釜利谷道路のゴルフ練習場に入る道のそば、氷取沢に30年以上も昔からある店で、その頃何回が行ったことがあると記憶していた。

当時何となく吉村家の味に似ているなあと思っていた。
それもそのはず、ご主人のSJさんは1980年から1982年、吉村家で働き、最初に独立してここに店舗をかまえた初代家系ラーメン店という驚きの歴史がある。
だから店に家をつけることなど考えることもなく、がんこ亭のまま現在に至っている。

そしてこの店、ラーメンの他、なぜかカレーも提供する。若いころはセットで注文していた。伊勢佐木町にある太源もカレーを出すラーメン店で横浜では知られているが、こちらも現在も続いている。




家系の特徴として、大きな正方形の海苔が基本3枚入るが、がんこ亭では海苔をどんぶりの淵に立てかけず、無造作にラーメンの上に乗せて提供する。昔、初期の時代の吉村家も海苔は淵に立てかけなかった。前にラーメンが置かれてから、客自身が海苔を淵に差していた。そしていつの頃か、吉村家は海苔を差すようになった。
ああ、懐かしい。車を駐車するのが難しいので、なかなか行く機会を作らないのだが、行ってみよう。歴史を感じるために。

* 残念ながら、がんこ亭は2021年5月27日をもって閉店しておりました。理由はいまだわかりません。*

 

杉田家

 

2018年12月 久々の杉田家  昔と同じく味薄で注文。

醤油の量ではなく、スープの量で調整したようだ。

いつものように、緑の行者にんにくと豆板醤を加える。

 

 

1999年、吉村家が横浜南幸町に移転したと同時に、当時修行中だったTS氏が道路向かいに開業した、直系中の直系店だ。修行中は吉村マスターに始終叱咤激励され(ボロカスに罵られていたようにも聞こえたが)、T大卒のまじめなTS氏らしく、忠実に吉村家の味を引き継いだ。特に醤油と鶏ガラの味が強いところがいい。

チャーシューは本家より好みかもしれない。

 

家系ラーメン王道 王道之印

 

王道は吉村家四天王と呼ばれ、環2家を立ち上げたTM氏が加わった店舗グループである横浜市磯子区上中里にある。

 

海苔増し 辛味ネギ ライスの上にはニンニク醤油漬け(これが旨い!)

食卓には多くの味変を楽しめる調味料がそろう。無論ラーメンの味は

秀逸だ。麺は酒井製麺ではなく、王道グループのオリジナルのようだ。

麺ゆではなぜか吉村家流の平ざるでなく、てぼを使用している。

家系の店としては群を抜いてきれいな店内。座席はすごく余裕がある。

奥に6人掛けのテーブル席が3つもあるので、ファミリーにも人気。

待機スペースも店内に椅子が用意されているのでありがたい。

そして10台ほどの駐車場スペースがあり助かる。それでも何台も空くのを待つことがある。時間差で訪問するのが賢明と思う。

 

中華そば うめや

金沢文庫駅西口近く
中華そばおよびそのつけ麺 味の濃い目の魚介系と動物系のいいバランスのミックス。
麺は太くないが腰はある。流行りの少しドロッとした感じのスープだが歴史はもう10年以上。

 

その間研鑽を欠かさず、以下のメニューを追加してきた。

貝のうまみの塩ラーメン


自家製ラー油担々麺


そして季節限定で、豆乳冷やし担々麺、塩ラー油麺などを

生み出してきた。
客対応もよく、お客もよく入っている。とてもいい店である。

三幸苑

笹下釜利谷道路から白山道に曲がり、相鉄ローゼンの隣。
タンメン、餃子が売りの店。
知っている限り三幸苑は、野毛坂、ここ金沢店と港南台の3店舗ある。
野毛の本店は結構有名。
私の一押しは餃子。値段は王将などと比べ少し高めだが、

自家製の黒いラー油を交えて、相当美味と思っている。
実にビールとよく合う。

 


 

タンメンは、かなり脂が多く、白菜などの野菜をくたっとなるまで

柔らかく煮込んでいる。
味も濃いめ、麺はちゃんぽんのような太麺。店曰く、

あとひくうまさ。確かに慣れると旨い。
 

 

しかし、私は通常タンメンを頼まず、この店にしかない、

タンメンスープにライスを合わせる。
まず餃子1.5人前とビールを楽しむ。その間小ライスと

タンメンスープ(小)も注文。
私にはちょうどいい量である。
夏場は冷房が効かないので、奥さんは付き合ってくれない。

ラーメン大公

金沢文庫駅東口 立体交差の側道沿い
九州トンコツラーメン。チェーン店ではなく独立系と思われる。
替え玉あり。バリカタなど細かく麺の硬さにも応じている。

そして紅ショウガ、高菜、ネギ、メンマなどトッピングは自由にピックアップできる。


正油とんこつを食べてみた。明太子ライスも付けた。

背油たっぷり。 丁寧に作られている。

が、シニアには飲み干すのはきつい。


ラーメン大将六浦店

 

本店、本牧錦町店はかなり昔からやっているので家系ではないはずなのだが、六浦店は、写真のとおり全く見た目は家系だ。味も家系に近い。
昔の本店、錦町店はもっと醤油を抑えた薄味なスープだったと記憶している。
麺は大橋製麺、細めだがいい腰を持っている。

カマリヤ大将 

 

磯子区氷取沢のもう1軒ある大将ラーメン店。センスのある黒い建物ときれいな内装。

年季の入った六浦店とはかなり雰囲気が違う。そしてこの見た目、大昔に本牧で食べていた、白っぽいスープのラーメン。やはりラーメン大将は家系ではない、独自の味を続けている。私は家系ラーメンを食べるとき、スープは薄味にしてもらうのだが、こちらの店は普通のままでいいと思う。

麺は六浦店同様大橋製麺だが、ゆで方か、製法かどうかわからないが、すこし縮れている。

大将は横浜のラーメン。旨い! これからも応援したい。

麺屋 庄太 六浦本店


金沢八景16号沿い、関東学院大学への途上。
羽釜トンコツラーメン。家系を超えている。羽釜で丁寧に

ラーメンを作っているのでとても旨い。
麺は普通でも固めだったと思う。




重慶厨房

関東学院大学八景キャンバスの学食。何と重慶飯店の経営。
私が食べたのは、ミニ担々麺とミニ麻婆豆腐丼の組み合わせで

それぞれ250円、計500円。

 


その他の学食メニューはこちらから。

金八家  

金沢区にある家系の老舗、地元の人気店である。開店からもう20年近くにもなると思うが、金沢文庫駅近くの君ヶ崎交差点から寺前に向かうところに、女性1人でも入れるような小ぎれいな店を構えている。金沢八景から名前を取ったのかなと思う。
ここは六角家の流れをくんでいて、まろやかめなスープ、麺は家系本流の酒井製麺の中太麺を使っている。



 

六角家といえば、吉村家で修行した Jin氏が、本牧家を経て独立し、1982年に立ち上げた店で、後にラーメン博物館の中にも店舗を置くに至った本流の家系店である。
1980年頃、私が吉村家に行った時、Jin氏がいて、その時間の店を任されていた。時は夕方で、Jin 氏は、「今日は水が良くない」「今日は店を閉める!」と言ったことが印象深く記憶に残っている。
そのこだわりを持って六角橋の本店は、繁盛していると思っていたのだが、なぜか2017年に店を閉めてしまった。今は戸塚店のみが残っているということを聞いた。残念なことだ。

金八家はその味を継承し丁寧に作られている。磨かれた店内、店員さんにも好印象を持った。

 


おすすめは金八ラーメン(海苔増し、味卵付き) 並820円でお得 + 小ライスがいいと思う。

中華 八景堂 

写真のようにメニューは少ないが、拉麺500円が目を引く。そしてこの拉麺、昔ながらの中華そば系醤油ラーメンで旨い。昨今濁ったスープばかりが目立つ中で、何とも有難い感じがする。甘めの醤油は、旭川ラーメンの名店、つるやを思い出した。
この日家内と食べた正統派の餃子、熱々のニンニク香るもやしそばも美味しかった。次はチャーハンも行ってみよう。
昔からの駅前中華、カウンター8席ほどの小さい店だが強い火力で頑張っている。

 





丸新らぁめん食堂   

 

京急追浜駅、横須賀方面に商店街を約5分ほど歩いたところにある。

麺類のメニューが多彩だ。写真は初来店時の淡麗醤油らぁめん。

最初に太麺か細麺かを聞かれる。

淡麗にもかかわらずスープの味は濃い。いろいろな出汁がミックスされているように思えた。次回はとんこつ系を試してみたい。

 

 

麺屋 和光  

 

味噌ラーメンの店。かなり旨いので驚いた。

油の浮いてない"すみれ"の味噌ラーメンという印象。

キャベツをトッピングしてみた。

 

店の場所は笹下釜利谷街道、王道とカマリヤ大将の中間ぐらい、カウンター席10席ほどの小さい店で、1人で回していた。

 

これからもこのエリア、いろいろ調べて開拓していきたいと思う。

 

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第 三 篇 資本系ラーメン
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2017年、15年間の長き海外勤務を終えて、遂に私は日本に帰国した。

 

その間日本のラーメンは拡大、進化を続け、数多くの新店舗が展開されていった。

私が愛した横浜を代表するラーメン、誰がつけたか横浜家系ラーメンというジャンルが出来ていた。そしてその家系ラーメンのルーツである吉村家。私が昔通い続けた吉村家は、フランチャイズ展開をすることなく弟子を育て、そして彼らが店舗を開き、吉村氏に敬意を払い、家の一字を店名につけて、広がっていった。


そしてそれは特に登記登録された商標ではなかったので、横浜家系ラーメン店は驚くべき拡大を遂げていっていた。一方、吉村家から直接指導を受けた直系店は案外少ない。

 

そして更に壱角家に代表される、資本系と呼ばれる外食チェーンによる横浜家系ラーメンを称する店が全国的に拡大した。その壱角家はガーデンという会社が展開している。

家系の傍系と言える磯子発祥の壱六家。壱六家系のラーメン店も拡大し、壱八家、松壱家といった壱系ラーメンとして発展している。

 

さらにそのジャンルで現在最も急拡大しているのが町田商店に代表される商店系。ギフトという会社が運営主。すでに60店舗以上を展開している。味は壱系らしいが、それもそのはず、ギフトの社長は以前、壱六家の磯子本店で修行して、店長まで経験していたということである。本店は町田にあるが、各地に展開して、横浜駅の近くにもある。

 

町田商店のラーメン

店は横浜駅鶴屋町方面、並ぶほどではないが客は入っていた。

スープは工場で作られたと思われる濃縮固形ペーストを溶かして作られているのを見た。

麺は壱系の長多屋製麺ではなく、見たことのない四之宮商店製。商店系オリジナル麺と思われる。

そして壱六家と同じく、うずらの卵が入っている。スープが少なく、無造作に入った麺の見た目がよろしくない。バイトさんの仕事かな? 

 

そして家系以外にも、濃厚スープの中華そば、つけ麺店の拡大。一風堂、一蘭などの九州豚骨ラーメンチェーンの進出。ニュータンタン、蒙古タンメン中本など担々麺、旨辛麺の進歩など、おいしいラーメンの範囲が益々横浜に広がっていることは、それはそれで実にありがたいことである。 

 

 

以下は2015年頃、アメリカ駐在時代に地元横浜のラーメンを懐かしく回想したオリジナルの記事。

記事を少し補正してあるので既に読んだことがある方もご参考まで。青字が更新部分です。

店の名前の太字をクリック、タッチすれは食べログに展開します。

 

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第 一 篇 吉村家とその周辺

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京浜東北・根岸線の新杉田駅を出発し、国道16号方面を見ると、吉村家の赤いひさしが、大きく破れていた。昨晩の台風の大風で傷んでしまったのであろう。1980年頃のことである。

 

吉村家は横浜家系ラーメンと称される一大ブランドを作った伝説のラーメン店である。創業当時は赤いひさしに、左側にラーメン、右側にめしという大きな筆文字が看板となっていた。補修後は少し赤が濃くなって、角ばったラーメンの文字、そしてその下に吉村家の表示となった。

 

吉村家の開業は1974年9月。その5年後くらいから常連になった。結婚して近くの金沢区並木のシーサイドタウンに越してきたので、土曜日に毎週のように遅めの昼食を吉村家で取っていた。朝5時から店を開けて、夕方は遅くとも7時までにはその日の気分で閉めてしまうので、平日の営業時間には行けず、必然的に土曜日に通うことになった。新杉田から1999年に店を横浜駅近くに移す間の20年間通い続けた。

その当時から、大きな寸胴2個にこれでもかと、鶏がら、豚骨げんこつ、背骨、あばら骨、昆布、葉ネギなどの野菜が突っ込まれて濃厚なスープとなり、家系のなかでは多めの醤油ベースと融合する。麺は、中型の寸胴に新しい熱湯をその度ごとに沸かして、作る分をまとめて入れて、好みに合わせた硬さで茹で上げて、専用の平たい湯切りですくいあげ、どんぶりの中のスープに投入される。それがカウンター席越しにショーのように、何百回も繰り広げられる。修業中の店員はおとなしいが、吉村実マスターはいつも怒りながら、でかい声でラーメンを作っている。

 

当時の掲げられているメニューはラーメン 時価、チャーシュウ麺 時価、目玉焼き、ライスだけ。具はご承知の通り、チャーシュウ、ホウレンソウ、海苔のみである。スープの味、麺の好みを客毎に確認して、そのとおりに作ってくれる。この注文を聞くのがマスターの奥さんのT子さんとWKさんであった。次に作るラーメンの20名くらいの細かな注文を記憶し、暗号のように厨房に伝え、並んでいた客を数通りに席に着かせ、各々の好みを再度伝える。味濃いめ、普通、薄味、油多め、油少なめ、麺固め、やわらかめ、海苔増し、組み合わせるとかなりのバラエティーになる。正確に記憶された指示に従い、ラーメンが目の前に提供される。今では券売機が置かれているが、その昔は並んだ列から直接、注文取り、代金回収を全く間違えずに行っていた。これは家系吉村家の更なるレジェンドであった。

 

私の注文は毎回、普通盛、味薄目、麺の硬さの注文なし、そしてライスである。このライスがラーメンに充実感を与える。ガスで炊かれたふっくらご飯の端に、細かく刻まれた自家製の糠漬けおしんこが置かれ、軽く醤油がふられている。ご飯と麺とスープが口のなかで絶妙に混ざり、何とも美味であった。おしんこは、キュウリ、ナス、大根、ニンジンで絶好の口直しになる。麺以外を調理している右側の厨房におばあさんがいて、飯炊きや、その糠漬けを作っていた。親族と思われるが、最後までそのおばあさんの正体は確認できなかった。おそらく吉村氏かT子さんのお母さんであったと思われる。これもレジェンドの一つであった。残念ながら、このぬか床のお新香ライスは、現在の吉村家、正統家系を継承した杉田家には伝わっていないと思われる。

 

吉村家のスープはガラ、骨をそれほど長く煮込まない。次から次へと交換するのである。よってその消費量は普通のラーメン店の数十から百倍はあったのではないかと思うほどである。どこかに書いてあったのか、吉村氏が嘯いたのか、一日のガラの消費量は1トンという記憶がある。確かに店の外に大きな廃棄ダンプが2個置かれていた。そんな状況で大量生産するので、スープは旨いのであるが、味は毎回微妙なばらつきがあった。しかし大概は非常に旨かったと感じていた。昔一時期に、モツがガラと一緒に煮込まれていた記憶があり、これが結構良い味を出していたとの印象を持っている。またほんの短い間であったが、支那竹をトッピングとして試しにだしたことがあったが、これは吉村家のラーメンには合わなかった。

 

 

新杉田駅の1つ手前の磯子駅の近くに壱六家という、家系ラーメンに類される店がある。スープは吉村家と異なり、豚骨の寸胴を大きなしゃもじのようなもので絶えず攪拌して、長く煮込むクリーミーな醤油豚骨スープである。麺は吉村家が使う酒井製麺の麺ではないが、同じような中太麺を使い、何故かウズラの卵が入ったこのラーメンも中々旨かった。深夜まで営業しているので〆のラーメンとして飲んだ帰りに立ち寄っていた。ここも小さい店であったが、創業当初は吉村家同様に店員の記憶力による細かい注文、集金方法を実施していた。待っている間に飲む缶ビールに付く、つまみの小さく角切りされたチャーシューも旨かった。

 **  壱六家の磯子本店、2019年8月の夜、久々に訪問したが、客が並んでいない。そして昔と味が違う。そう感じるのは私だけか、たまたまその時だけだったのか。

他の壱六家、商店系とも比べてみたい。 **

 

 

元祖家系ラーメン吉村家のルーツはラーメンショップと言われる。吉村氏は平和島のトラックターミナルの中にあったラーメンショップに勤め、基本を学習したと聞いている。実は私も店は違うが、1979年の昔からラーメンショップのラーメンを食べていた。その店は鶴見駅の東口から、鶴見川の橋を渡ったところにある小さな店で、その濁ったスープは当時珍しく、過度にうまみ成分が配合されて、若かったせいもあるが結構旨いと思っていた。2015年の現在もまだ営業していた。

 

 1979年から現在も変わっていない鶴見のラーメンショップ

 

ネギラーメンなるものを知ったのはラーメンショップである。その後ラーメンショップは各地に展開されているのに気づき、仕事でよく行った相模原方面にも何店かあり、やはりネギラーメンを好んで食した。家系でもネギラーメンを出すところがあるが、吉村家スタイルのラーメンにはネギラーメンは合わない。壱六家にもネギラーメンはあったが、どうも合わない。しかしラーメンショップでは、ごま油と豆板醤が和えられた細切りの白ネギが何故か非常に合う。これはクマノテというラーメンショップ秘伝の調味料に起因している可能性がある。

  どうも大田区のここがラーメンショップの本部らしい。

  ラーメンショップのネギラーメン。 特徴的な青磁の浅い器。

   ネギにはクマノテという謎の調味料を混ぜるらしい。

 

*2019年10月土曜の昼時、環状2号を走行中。港南区下永谷のラーメン激戦エリアに入ったので、比較的車が停めやすい駐車場がある本牧家本店に入った。たぶん20年ぶりくらいかと思う。初老の主人と奥さん?と二人で、店を回していた。私が入った時はカウンターもほぼ埋まっていたが、家系の繁盛店のように次から次へ入ってくる客はなかった。すぐ近くにある吉村家の支店ともいえる環2家の方に客は流れているようだ。味のインパクトと、サイドメニュー、トッピングの豊富さで押されているのかと思う。


 
 20年ぶりの本牧家


** 昔の本牧家を回想してみた。本牧家は吉村家の支店第一号として、本牧への入り口の間門という場所に小さな店を構えた。JIN氏は吉村氏からその店を任せられたが、ほどなくして、JIN氏は吉村家を退社、本牧家を去り、独立して六角家を立ち上げた。

ここに、家系ラーメンの広がりの第一波が始まった。上星川に寿々㐂家、都築に横濱家、そして近藤家、介一家と本牧家にかかわったメンバーが次々独立して店舗を広げていった。そしていずれもすぐに旨い店と評判になり、行列のできる人気のラーメン店となっていった。

私は本牧家に一つのミステリーを感じている。

間門の本牧家は、その正面に"ラーメンショップ"の看板が大きく掲げられ、その下に小さく"本牧家"となっていた。上星川の寿々㐂家も同様にラーメンショップの看板を開店当初は掲げていた。

本牧家、寿々㐂家はラーメンショップだった! これは一体どうゆうことか?

推測するに、当時は資金的な問題もあり、ラーメンショップ本部の椿食堂管理(有)から、材料や器などの提供を受けていたのではないだろうか? 事実、ラーメンショップの特徴である青磁の器は、今もこれら初期に独立した家系ラーメン店では今も使われている。一方、吉村家とその直系はある時期から、濃茶の器に変えられている。

初代独立組の黎明期のスープは、マイルドながらも旨みが濃く、家系とラーメンショップが程よく融合された時期と言えるのではないだろうか?

味の好みは人それぞれであるので、好きなラーメン店を見つけて常連になればいいし、様々なラーメンを求めて彷徨うこともいいと思う。さて、次の展開は、、、 

 

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第 二 篇 伊勢佐木町周辺
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伊勢佐木町付近のラーメン

 

その発展系と言えるのが、帰国時の定宿であった伊勢佐木町ワシントンホテルの先の曙町にある地獄ラーメン田中屋。ここも元はラーメンショップである。味濃いめのスープに辛子味噌が、ランク毎に溶かされた真っ赤なスープで、その上に細切り白ネギがどんとのせられている。私のオーダーは地獄の初級であった。

 

   地獄ラーメン 初級

 

その並びには、家系の名店、寿々㐂家の曙町店(本店は上星川)がある。

 

このエリアは近年評価の高いラーメン店がある。吉野町の鶏喰(Trick トリック)は正統派鶏だしの丁寧に作られた美しい醤油ラーメンである。2種類のブランド卵を選べる卵かけごはんとセットで食べるといいだろう。あさりのっけご飯もすごく旨い。この澄んだ醤油ラーメンは湯河原の名店、飯田商店と双璧をなす。(この前、テレビで飯田商店の特集をしていた。店の外観はあまり変わらなかったが、リニューアルにより店内は高級割烹のようになっていた。メニューも高級化、結構な値段になっていた。以前のワンタンメンの写真、貴重かもしれない。)

 

   鶏喰の鶏醤油ラーメンと、あさりのっけご飯

 

    名店、湯河原の飯田商店のワンタンメン

 

そして、長者町2丁目にある地球(ほし)の中華そばの、地球の塩そばが旨かった。ハマグリ、アサリ、牡蠣をベースにした細麺の絶品。

 

 

そしてまた、ラーメン二郎が近くにある。この大量のもやしとキャベツと大きなチャーシュウの味の濃いラーメンは正直なところ年寄にはつらかった。しかしあの長い行列の客を整理しながら注文を取って、ラーメンを作り、配膳する、そしてそれを二人だけで要領よくこなしているのを見て感心した。誠に見事である。

 

 

当時私は13年目の海外駐在員である。よって人気の旨いラーメンを食べるのは年に1回の一時帰国の時であった。すでに当時齢60歳が近くなり、油や塩分の多いそれらのラーメンは多分きついと思ったが、でもまだまだ食べたいと思う。「南極料理人」(主演:堺雅人)という映画のなかで、ラーメン好きだがストックを内緒で食べつくしてしまった役者のきたろう(シティボーイズ)が「僕の体はラーメンでできているのだよ」と言っていたが、ラーメン好きにはたいへん理解できる。 そして冒頭へ。