2025年度の大会がすべて終わり、それぞれのチームファンはそれぞれの余韻に浸っていると思われるが、やはり今年度でも話題になったのが、レフリーのあり方。誤審、不可解な判断、統一感のなさ、等々。

こうした批判は、観客の判官贔屓による見方もあると思うが、実際に審判自体が誤審を認めることもある。


このことに関して、元ラグビー日本代表の斉藤祐也さんが自身の考えを述べられている。



引用してみると、


笛を吹いているのは人間だ。そこに完璧を求めること自体、少し無理がある。ある意味、ラグビーは人生そのものだ。

理不尽なことや不条理なことが起こる前提で成り立っている。そのことを、選手たちは理解したうえでプレーしている。


忘れてはいけないのは、各カテゴリーにおいて多くのレフリーがボランティアで笛を吹いているという事実だ。


完璧さを求めてはいけない。

理不尽を受け入れろ。

ボランティアなのだから、あまりきついことを言うな。


なるほど、寛容さが必要というのは大人の態度として当然である。

人だから間違えがあるのも当然である。


ただ、斉藤さんの提言で抜け落ちていると感じたのは、この日のために努力してきた学生たちの気持ちを踏みにじってはいけないという重要な視点。試合の主人公は、選手。まずは選手の視点で語られなければならない。


そして、疑念に感じたのは理不尽さは当たり前なのだから受け入れろという考え。

これは拡大解釈すればハラスメントも許容しろと言いかねない。世の中のすべての理不尽を払拭できないにしても、なくす努力はすべきだ。

そしてボランティアなのだから、批判するなというのはむしろ、レフリーに対して失礼なのではないだろうか?


そもそも論として、そうした間違える可能性が共有されているのだから、レフリーの間違えをチェックする仕組み。そして試合中でも修正できる仕組みを用意すべきなのである。


斉藤さんは文章の中で野球のストライクに関して指摘しているが、それに関してはロボット審判(ABS:Automated Ball-Strike System)が2026年度のメージャーリーグで導入される。

それだけ人の判断だと間違いがあるから防ぐ目的で取り入れたのである。


人が間違えるなら、どうしたら間違えない仕組みに変えられるのか。それが本来は提言すべき内容であり、仕方ないから受け入れろは思考停止か、進歩への拒絶だ。

バレーボールなら、チャレンジ制度がある。

監督やキャプテンが一定の条件で申告して検証できる仕組みだ。

こうした仕組みはラグビーの文化に馴染まないかもしれないけれども、いつまでも選手やファンの不満を放置していいことにはならない。

時代の変化によってほかのスポーツは機械判定の導入が進んでいる。

ラグビーだけが時代遅れでいいわけはない。

出来るだけ公正かつ間違いのない審判のほうがいいに決まっているならば、その方向へとみんなが努力して変えていくべきだろう。