父と母が離婚したのは、おそらく私が6歳くらいの時だったと思います。
"だったと思う"というのは、記憶が定かではないという事ではなく、父は私が生まれた時にはほとんど家には寄り付かない、たまに遊びに来る親戚のおじさんのような存在だったからです。
父は"破天荒"を地で行く男でした。
高校を3日で退学し、中卒。職を転々とし、定職に就かない。給料の殆どが飲み代に消える。ヤクザや悪い仲間とつるむ&喧嘩をする。女性が大好きでバツ3。
至る所で数々の伝説を持つ男でした。
私の母子手帳には、夫が帰って来ない事、家にお金を入れてくれない事等、妊娠中の母の苦悩が綴られていました。
母は私がお腹にいる事を知った時、育てられないと思ったと言います。年子の姉達を二人抱え、夫は破天荒。
しかし、男の子を切望する父に「三人目は絶対男だ」と押し切られ、最後の力を振り絞って産んだのが私でした。
父は、「美樹ちゃんが、男だったら…」と、よく呟いていました。
幼い娘に、鉄腕アトムのおもちゃを買って来た事もあります。
母は「女の子なのに」と文句を言っていましたが、私はしばらくその鉄腕アトムで遊びました。
父が可哀想だと感じたからです。
父は本当に、男の子を切望していたのです。
そして父は、家族の運命を変える女性と出会ってしまいました。
その女性の存在を私が初めて耳にしたのは、父の妹(叔母)と母との会話でした。
「お兄ちゃんが帰ろうとすると"死ぬ"って引き止めるらしい」
幼い私は、悪い女性が母を困らせていると理解しました。
程なくして、母の左手薬指から指輪がなくなりました。
両親が離婚したからといって、私の日常には露ほどの影響もありません。たまに遊びに来る親戚のおじさんが、滅多に来ない親戚のおじさんに変わっただけです。
それでも父は私に、電話番号を記したメモ用紙を渡して、いつでも電話していいと言いました。
当時、中学生だった姉達は父を毛嫌いしました。
私は、父が大好きでした。
父は私だけに、メモ用紙を渡しました。