今朝も耕月寺にて二柱座す。
座っていると、頭の中に日常の様々な事象や考えが浮かんでくる…
途中までは「浮かんでくる」、ただそれだけ。
…しかし、
浮かんでくる様々なことに気付き、それを見ている「自分」が出てきてしまった。
この「自分」が出てきてしまうと、これを消すことは出来ない。
もはや座っている時間内、ずっと自分を観察しているしかない。
帰り際、和尚とそんな話をする。
自分を見る「自分」というのが、なかなかに手強い。
「自分はどうかな」と、自身を確認してしまう「自分」だ。
これが様々な悩みを生むようだ。
和尚曰く、「自分を見てしまう自分と」と「自分の内面」とを一緒にしてしまえば良い、とのこと。
自分の中に出てきてしまった「怒り」「悲しみ」などの感情を、
自分でどうにかしようと思うから人は悩む。
更に和尚曰く「仏教で言うところの「苦」とは自分ではどうしようもないこと。」なのだという。
…なるほど。
様々な感情が出てきてしまっても、ただ出てきてしまったという事実だけで、取り扱わない。
う~ん…
そんなことが日常生活で出来たら、さぞ生きやすかろう。
「常識」とか「人の目」とか、様々な既製品に意識を奪われることなく、
ありのままの自分を受け入れながら生きることができる。
そんな風に座を進めていけたらなぁと、そんな事を考える休日の朝であった。
そして帰宅途中に温泉に寄って朝風呂。
贅沢な朝である。