この町はお正月に門松を立ててはいけない。

という話を幼い頃に祖母から聞いて僕もそれをずっと守っていたのですが、その理由を10数年越しに知りました。そんな話です。

先日、マイナンバーカードを受け取りに役所に行ったのですが、勿論凄く丁寧に応対してくれたんですけど、

あぁいう情報量の多い場所に行くと、ほら、なんかトイレに行きたくなるじゃないですか?

それで手続きを終えて、カードを受け取るまで20分ほど待ってくださいと言われたのですぐさまトイレに駆け込んだのですが…

トイレのドア開けた瞬間に直感でここは無理やなって思いました。

別段綺麗好きなわけでは無いんですけど、ここのトイレだとベストパフォーマンスは出来ないという、そういう判断ですよね。

そんなわけで、常時スマホにいれてるトイレマップというアプリで近場のトイレを検索したところ、

隣の建物が図書館になっていて、そこだったら最高のパフォーマンスが出来るんじゃないかなと思ったので、急ぎ足で向かいました。

実際図書館につき、トイレのドアを開けた瞬間に確信しました。

ここなら任せられるなって。

僕もこの分野に関してはだいぶプロなので、絶対外さないです。

そして、無事個室に入り、なんというか、アウトプットしようとした瞬間、思いがけないインプットに直面しました。




その個室の壁に…





祖母の教えの真実が書いてあったのです。




この町に門松を置いてはいけない理由が!!



昔昔、この町の神様とそしてもう一人の神様が現世にてお散歩をしていました。

二人は大変仲が良かったのですが、
ある時もう一人の神様が「ちょっと宿を探してくるね」と言い、出て行ったっきり遂に戻ってくることはありませんでした。

この町の神様は、それはもうあまりにも長い時間を待たされて、


待つのはもう懲り懲りだと思いました。

そのようなことがあったので、

待つのは嫌だなぁ→待つは嫌だ→松は嫌だ


となり、


松を見ることすら嫌になってしまいました。


ですから、この町のお正月は、昔から門松を置かない習慣があるのです。

…だそうです…。







マジ、ヤバくないですか??




こんなトイレの個室で亡くなった祖母とのことを思い出すだなんて数分前の僕には想像も出来ませんでしたよ。



しかも、神様関係の言い伝えなので疑ってはいけないと思いますが、



「待つ」から「松」になるまでの神様の思考の流れが強引過ぎません?




なんか、暇なおじさんが子供に言ったダジャレ、みたいじゃないですか?


腕相撲とかで力関係をハッキリさせた後とかに。


これ、知ってる?みたいなノリで。


結構世の中のことって自分が思っているよりずっとヘンテコだったりするんですよね。

10数年越しに知った祖母の教えの理由がこれかよって感じでしたけど、

良い意味で肩の力を抜いて、楽しんだもん勝ちだなって最近は凄く思います。



先日、ミッション・イン東京物語という舞台を観劇させて頂きました。笑いあり涙ありな物語で、素敵でした。