10年前の昨日3月11日、14:46に大震災が発生。
その約10時間後に締め切られたと思われる、ちょうど10年前12日朝刊の報道発表が数百人の死者。
そこから状況が明らかになるにつれ犠牲者の数は膨れ上がりました。
それだけ未曾有の災害であり情報も錯綜していたことを思わせます。
現在死者・行方不明者に関連死を入れて2万2200人にのぼるそうです。
ひとりひとりに親族や近しい人が10人いたとして、実に22万人以上の人が今も辛く苦しい思いを抱えていることになります。
地震に壊され津波に流されたのは、命と家屋に留まりません。
遺された人々の生活や思い出や心には未だに影響をおよぼしているはずです。
大地震、大津波、原発事故、被災地の皆さんや犠牲者の親族や近しい人にとっては、思い出したくない事、忘れようと思っても忘れられない事でしょう。
私たちはせめて「あの日感じた恐怖と胸の痛み」を噛み締めなきゃいけません。
10年前、現地でボランティア活動に参加させていただきました。
陸前高田のあの光景を目の当たりにした瞬間、未だに説明のつかない涙が溢れたことを思い出します。
去年からのコロナ禍、そして最近は命と向き合う場面が増え、改めて「当たり前の日常」の有り難さを痛感させられています。
2021年3月11日
天皇陛下のおことば(抜粋)
震災を過去のこととしてではなく、現在も続いていることとして捉えていく必要があると感じます。
この度の大震災の大きな犠牲の下に学んだ教訓も、今後決して忘れることなく次の世代に語り継いでいくこと、そして災害の経験と教訓を忘れず、常に災害に備えておくことは極めて大切なことだと考えます。
今なお様々な困難を背負いながらも、その苦難を乗り越えようとたゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ、安らかな日々が一日も早く戻ることを皆さんと共に願い、御霊への追悼の言葉といたします。
2021年3月10日
小林武史から依頼された新曲の歌詞についての櫻井和寿の発言(抜粋)
歌詞が出なかったら僕はかけませんと言うつもりだった。励ましたりという気持ち、そういう歌詞が浮かんだとしても何を今更僕が励ます?とか。何度も出た言葉を俯瞰で客観視してダメ出ししてという作業を何度もした。
僕は自分を許したかったんだろうと思うし、同時に僕のように被災してないけど後ろめたさや罪悪感を抱えてる人がいっぱいいるとしたらその人に向けて”許す”というテーマを書いたんだと思う。
三浦知良のコメント
震災の時から今まで、僕はずっと横浜FCにいて、暮らしも首都圏が中心。
ここまで普通に生活することができて、被災地の方とは過ごし方も違うので、同じ10年ではないのかもしれません
スポーツの持つ意味を改めて考えさせられた。
やはり娯楽のなかの一つで、10年前もこの1年も、なかなか積極的に活動出来る状況ではなかった。
改めて価値観が問われていると思う。
痛みは時間が過ぎると忘れてしまう。人間だからしょうがない。
3.11が来るたびに、みんなが痛みを思い出して、助け合っていくことが大事だと思います。
煉獄杏寿郎のことば
老いることも 死ぬことも
人間という儚い生き物の美しさだ
老いるからこそ 死ぬからこそ
堪らなく愛おしく尊いのだ
・・・・・・・
昨日この10年前の新聞と数日後の新聞への投稿を眺めていて、ふとこのブログのことを思い出したので、2年ぶりに更新してみました。