「蒼穹の昴」は

 

清朝末期の光緒帝の改革とそれが挫折した時期の

 

ドラマです。

 

 

戊戌の政変の後に、

 

光緒帝の側室珍妃も

 

光緒帝も毒殺されます。

(最近の研究で、毒殺であることが確定しました)。

 

光緒帝の死の翌日、

 

西太后も死去します。

 

1908年のことです。

 

 

その後愛新覚羅溥儀が

 

2歳で即位。

 

光緒帝の皇后だった隆裕皇后が皇太后となり

 

政務を補佐します。

 

 

しかし辛亥革命が起き

 

1912年2月12日溥儀は退位、

 

孫文が中華民国を成立させます。

 

 

<了>

 

というのは表の歴史であります。

 

 

中国人はよく

 

「西太后が改革を潰したからだ」

 

と清朝を滅ぼしたのが西太后のように言います。

 

また

 

孫文が中華民国を立てて清朝が滅んだ、と

 

孫文が滅ぼしたようにも言います(この場合は称賛を込めて)。

 

 

しかし、

 

清朝を滅ぼしたのは、西太后でもなければ孫文でもありません。

 

 

袁世凱です。

 

 

遡ること1898年の戊戌の政変時。

 

光緒帝は袁世凱に西太后を監禁するよう言いますが

 

寝返って西太后につきます。

 

1911年辛亥革命が勃発、

 

清朝から革命軍を討伐するよう命令されますが、

 

勝手に孫文と和解します。

 

そして隆裕皇太后と

 

宣統帝溥儀と共に退位するよう言います。

 

隆裕皇太后は受け入れざるを得ませんでした。

 

 

中華民国の初代臨時大総統には孫文がなりましたが、

 

強大な軍事力を背景に

 

結局孫文を引きずり降ろして

 

自分が二代目臨時大総統になりました。

 

 

1916年 ついに「中華帝国」成立を宣言、

 

自ら皇帝を称します。

 

 

しかし、さすがにこれには

 

北洋軍閥、日本政府、中国国民が猛反発、

 

3月に帝政は意志、6月に死去します。56歳。

 

 

 

ちなみに1900年義和団事件の時には

 

軍閥と連携して列強と対戦せよ、という命令を無視、

 

勝手に列強と和睦しています。

 

 

袁世凱は

 

光緒帝を裏切り

 

西太后を裏切り

 

清朝を裏切り

 

孫文を裏切り

 

最後中国国民を裏切りました。

 

ここまで強烈な人も珍しいです。

 

ただ逆の言い方をすれば、

 

袁世凱が誰かを裏切る度に

 

歴史は動いています。

 

軍事力のない孫文だけでは

 

清朝を倒すことは決してできませんでした。

 

袁世凱が清朝を裏切ったから清朝は滅んだのですが、

 

中国人はそのことを語りたがりません。

 

ラストエンペラーだって

 

愛新覚羅溥傑ではなく袁世凱であるともいえます。

 

 

中国人は袁世凱を嫌悪するあまり

 

その名を口にしたがりません。

 

ここまで歴史を歴史を引っ掻き回す人も珍しいです。

 

幸福な人生だったのではないでしょうか。

(本人は)。