サトルはマキをあちこち探し回った。

 

ブルー・ディスティニーをはじめとして、彼女が出たことのあるライブハウスはすべて回った。

 

彼女がやったことのない場所でも路上ライブが行われている場所は都内中くまなく回った。

 

しかし、マキの姿は見つけられず手がかりさえつかめなかった。

 

そうこうしているうちに、サトルの社会人としての生活が始まった。

 

給料は高いが、その分仕事は質、量ともに求められた。

 

新人のサトルが覚えるべきことは非常に多く、仕事に忙殺される日々。

 

もちろんマキのことを忘れたことは一時も無かったが、

 

彼女のために使える時間はほとんど無かった。

 

ゴールデンウィークを過ぎた頃、少しだけ余裕ができたサトルはまたマキを探し始めたが

 

やはり手がかりは全くつかめなかった。

 

もう彼女には2度と会えないのかなぁ・・・サトルの脳裏をそんな思いがよぎる。

 

しかし、色々と我慢して自分自身を多少強引に納得させて仕事を得たのだ。

 

自分の思い、そしてきっと同じであろうマキの思いをかなえるために・・・

 

サトルを動かしていたのはその一念であった。

 

そして・・・一本の電話がサトルの元にかかってくる。

 

 

 

ある梅雨空の日の午後のこと。

 

サトルの携帯電話が鳴った。ブルー・ディスティニーからだった。

 

「もしもし、サトル君?南場です、久しぶり。」

 

「お久しぶりです、南場さん。急に電話なんて・・・何かあったんですか?」

 

「サトル君、伝えたいことがあるんだけど・・・お店に顔出せるかしら?」

 

「ちょっと待ってください・・・明日の夕方なら空いてますけどどうですか?」

 

「いいわよ、じゃあ明日の17時でOKかしら?」

 

「はい、では明日の17時に。」

 

 

 

翌日17時。ブルー・ディスティニー。

 

サトルが扉を開けるとカウンターに南場が立っていた。

 

彼女以外誰もいない店内は、普段の喧騒とは打って変わって静寂に包まれていた。

 

「来てくれてありがとう。何か飲む?」南場はいつものやわらかい笑顔で尋ねた。

 

「まだ仕事中だから・・・シャーリーテンプルお願いします」

 

南場は手馴れた手つきでシャーリーテンプルを作ってサトルに出した。

 

「さて、本題に入りましょうか。サトル君、マキの居場所がわかったわ。」

 

「ええっ!本当ですか?!」サトルは驚いた。

 

「彼女がいなくなったと聞いた時から、まさか・・・とは思って

 

向こうの知り合いに連絡を取ってもし見かけたら連絡してほしいってお願いしてたの。

 

そうしたら、先週末路上で歌っているのを知り合いの友人が目撃したらしくて。

 

多少遠い所からだったんだけど、あの姿と歌声は間違いなくマキだって言ってたわ。」

 

「彼女、新潟に戻ってたんですね・・・」

 

「で、知った以上は新潟に行く気でしょ、サトル君。」

 

「もちろんです!マキさんの思いを確かめにいきます!」

 

サトルは力強く答えた。

 

「だったら・・・ひとつ伝えておきたいことがあるわ。」

 

「伝えたいこと?」

 

「そう。この写真、見てくれる?」

 

南場はサトルに一枚の写真を見せた。大判のポラロイド写真だった。

 

ブルー・ディスティニーのステージでギターを弾く女性が写っていた・・・マキだった。

 

現在の茶髪のショートカットではなく、黒髪のポニーテールをリボンで結んでいた。

 

顔が若干若い。最近の写真ではなさそうだった。

 

サトルは写真をさらにじっくり見ると・・・ピアノを弾く若い男性が写っていた。

 

「この写真はね、4年前にこの店のステージで撮ったものなの。

 

ピアノを弾いているのはヤスト君といって、マキのパートナーだった子よ。」

 

「パートナー・・・?マキさんはユニットを組んでいたんですか?」

 

サトルはマキがユニットを組んでいたことは初耳だった。

 

 

 

「そう。マキが上京したのが5年前。その当時ウチの店によく出てもらっていたのがヤストで、

 

マキと音楽的なフィーリングが合ったんでしょうね、ユニットとして活動するようになったの。

 

マキのギターとヤストのピアノの相性は素晴らしくて、お客様からも好評だったのよ。

 

そしていつしか、二人は音楽だけじゃなくてプライベートでもパートナーの関係になってね・・・

 

ところが、いつからか二人の関係は冷えていってしまったの。

 

マキは最後にもう一度話し合ってヤストの気持ちを確かめたくて、

 

二人がよく行ったカフェで待ち合わせすることになったの。

 

今日みたいな雨の強い日だったわ・・・

 

ところがいつまでたってもヤストは現れなかった。

 

マキは待ち合わせの時間から1時間以上待ったそうよ。

 

そして、マキがあきらめて席を立ったそのときに

 

彼女の電話に着信があったの、見たことの無い番号から。

 

救急隊の人からだったわ・・・。」

 

「きゅ、救急隊・・・」

 

「ヤストね、バイトを上がるのが遅れてしまって

 

急いでマキとの待ち合わせ場所に向かってたの。

 

ところが、交差点でのトラックと乗用車の事故に巻き込まれてしまってね・・・

 

瀕死の重傷を負ってしまったの。」

 

呆然とするサトルを見ながら南場は続ける。

 

「最後にマキに会いたかったんでしょうね、薄れ行く意識の中でマキを呼んでほしいって

 

救急隊の人にお願いしたんだって。

 

マキは急いでヤストが運ばれた病院へ向かったけど・・・間に合わなかったわ。

 

しかも、これは後になってわかったんだけど、二人がすれ違う原因になったことは

 

実は誤解がいくつか重なったものでね、話し合えば絡まった糸が上手くほどけて

 

二人は元に戻れたのかもしれないことだったの。マキは自分を責めたわ・・・」

 

「で、でも事故は不幸な偶然だったわけですし、誤解はマキさんにだけ非があるわけじゃ・・・」

 

サトルは精一杯の言葉を返した。

 

「確かにそうね。でも、ヤストは死んだ。それは動かせない事実なの。

 

激しくショックを受けたマキは自暴自棄になっちゃってね、

 

毎日お酒を飲んで、好きでもない男に抱かれて・・・

 

私ももちろん諭したんだけど、彼女聞く耳もってくれなくてね。

 

無理もないわ、私がマキでもそうなっちゃったかもしれないし。

 

最後にはとんでもない男に貢ぎそうになったから力ずくで止めて、

 

やっと彼女は正気を取り戻したんだけど・・・後には深い心の傷と

 

恋愛に対する恐怖心が残ったわ。

 

男性に好意を持つのも、持たれるのも怖くなっちゃったの。

 

これが3年前の今頃の出来事。

 

たかが3年、されど3年。人の心の傷が癒えるのには足りない年月よ。」

 

サトルは初めて聞くマキの過去の話に強く、強くショックを受けていた・・・

 

 

 

「ところでサトル君、あなた歌い手としてじゃなくて女性としてのマキに惚れてるんでしょ?」

 

「え、あ、あっ・・・バレちゃってました?」

 

サトルは完璧に隠していたはずなのにバレていたことに動揺した。

 

「まぁ、ね。女って生き物はそこら辺の勘は鋭いのよ。

 

隠してるつもりでも透けて見えちゃうものよ。

 

だからこそ、マキは怖くなっちゃったの。

 

サトル君はいま一番マキのことを熱心に応援してくれているファンだから。

 

ハミングバードという曲があったでしょ?あの曲の歌詞を読んで思ったの。

 

マキは過去の傷から立ち直りたい、前を向きたいと思ったんだなって。

 

そのために歌詞にあの出来事とその想いをしたためて歌にして、

 

自分に勇気を与えようとしたんだと思うわ。

 

でも、やっぱり心の傷が疼いてしまって・・・怖くなっちゃったんだと思う。

 

自分の「想い想われ」が、また誰かを傷つけるんじゃないかって。

 

そんな時にお母さんが何かしたか、言ったんだと思うわ。

 

あの娘のお母さん、マキに音楽やめて新潟戻ってきてほしかったみたい。

 

無理もないわ。自分の娘が音楽やってる、しかも未来の見えない路上シンガー。

 

親だとしたら誰かいい人見つけて結婚して、

 

ひとりの妻として、母親として平穏無事な生活してほしいと思うもの。

 

そんないろいろがあって、彼女は新潟に戻ったんだと思うわ。

 

でも、音楽を諦められなかったんだと思う。だから路上に立ったんじゃないかな。」

 

 

 

マキの知らない過去を一気に知ってしまったサトルは、いろんな感情が押し寄せて

 

混乱して、思いをどう言葉すればよいのかわからなくなってしまった。

 

「しゃべり疲れたから、一曲歌っていいかしら。」

 

南場はそういうと、ステージ上にあったアコースティックギターを肩からかけて、

 

中島みゆきの「糸」を歌い始めた。

 

南場が歌う姿を見て、サトルはあることに気づいた。

 

「南場さんも、昔は夢を追いかけておられたんですね。」

 

サトルは確信をもって聞いた。

 

「そう。でも、色々私には足りなくて結局ダメだったの。いつまでも芽が出なくてね。

 

そんな時に、ここの先代のオーナーが心臓発作で倒れちゃってね。

 

そして私に『この店を継いで、ブルー・ディスティニーを守ってほしい』

 

そう言い残して逝ってしまったの。

 

先代は子供もいなければ、親類付き合いも疎遠でね・・・

 

葬儀にもちょっと顔出して帰っちゃったぐらいだし。

 

残された私は、自分の夢を諦めてこの店を継ぐかどうか悩んだわ。

 

ただ、私にはこの店を守って私より才能あふれる若者が歌える場所を

 

守ることが運命だと思って、この店を継いだの。

 

このお店の名前は『ブルー・ディスティニー』つまり『青い運命』・・・

 

ここで歌って夢を追いかけている彼ら彼女らはまだまだ青いし、

 

この歌い手という職業が天職である運命を持つ人間はほんの一握りしかいないわ。

 

それでも、自分の運命に抗い夢に向かって挑み続ける若者に

 

夢を追いかける場所を用意して一生懸命に戦う姿を見守る。

 

私の運命はそれだと思ってこの店を守り続けているの。

 

サトル君、マキは私よりずっと色々なモノを持っている娘なの。

 

正直言って、あの娘に若い頃の自分を重ねていた・・・いや、今も重ねているの。

 

でも、過去という狭い鳥かごに囚われたマキをその鳥かごから出してあげて、

 

また自由に空を飛べるようにしてあげられるのは、私じゃできないわ。

 

それはサトル君、あなたならできると思うし、あなたにしかできないと思うの。」

 

 

 

サトルは少し黙り込んで考えてから・・・口を開いた。

 

「わかりました。僕の運命が彼女とつながっていると信じて、やってみます。」

 

「・・・ありがとう、サトル君。向こうに行くときは言ってね。色々手伝えると思うから。」

 

サトルは時計を見た。18時を回っていた。

 

「南場さんごめんなさい。もう行かなきゃいけないんで。これ、ドリンク代です。」

 

「こちらこそ長々とつき合わせてごめんなさいね。

 

ドリンク代は話を聞いてもらって、色々押し付けちゃった分タダでいいわ。」

 

 

 

サトルは南場に挨拶をして、ブルー・ディスティニーを出た。

 

雨は上がり、夕日が出ている。

 

「古い鳥かごからマキを出してあげる、か・・・できるのか・・・?」

 

「いや、やるしか選択肢なんて無いんだよな。」