先日、37歳になりました。

 

野球で言えば松坂世代ですが、

その松坂世代の面々は選手人生の曲がり角を迎えています。

 

名前の由来となった松坂大輔は故障が癒えずホークスを去ることに。

 

世代でもっと名球会に近い村田修一は読売を去るもまだ声はかからず。

 

ひいきチームのベイスターズとファイターズの最年長選手は、

同世代のゴメスと矢野だったりします。

 

正直、若くはありません。

 

 

でも、私はこの歳になってやっと道を見つけた気がします。

 

まずはこれを読んでください。

 

https://ameblo.jp/sakurakaori-blog/entry-12324542452.html

 

 

さくらかおりさんが、10月30日にやったライブのまとめです。

 

この日は仕事で行けなかったので書いてくれたのはありがたかったんですが、

そんなことはどうでもよくて、その内容に心を強く動かされました。

 

特に後半出てくるこの言葉

 

『光ーー。

 

心の中にひとつだけ灯る、まっすぐな光。

 

かおりアリスにとって、その光とは、「唄うこと」そのものでした。』

 

これは劇中のかおりアリスの気持ちであり、同時に彼女の気持ちそのものでもある。

 

私にはそう思えたのです。

 

 

今年彼女が配信したメールマガジンの中に書いてあったとあるエピソード。

 

本人の許可を取っていないので内容はここでは書けませんが、

それは私に先ほどのような気持ちにさせるには十分なエピソードだったのです。

 

 

おそらく、チェシャ猫はかおりアリスの純粋な気持ちと対比させた存在・・・

つまり現実世界を生きなくてはならずその間にいろいろな何かを捨て、

失ってきた人の姿を映し出しているのだと思います。

 

そして、あの終わり方からもわかるように、この話には続きがあります。

 

 

12月25日のクリスマスライブ「サクライト」

 

その意味について、彼女は

 

『クリスマスワンマンのタイトル、「サクライト」の意味は、

 

わたしが追い求め続ける、たったひとつの光のこと。

 

大切な人、愛する人を照らせる存在になるめには、

自分の心の中にある光を思いっきり光らせなくちゃいけない。それは自分を信じること。

 

クリスマスワンマンに来てくださるみなさまと一緒に、大きな光を見つけたいです。』

 

こう、語っています。

 

 

この話を読み終わったとき、ひとつの言葉が私の脳裏に浮かびました。

 

人の心の光を見せる

 

正確には

 

「分かってるよ!だから、世界に人の心の光を見せなきゃならないんだろ!」

 

この言葉は機動戦士ガンダム逆襲のシャアのラストシーンにおいて、

アムロ・レイが発した言葉です。

 

地球に落ちていくアクシズを押し戻そうとロンド・ベルはもちろん、

ネオ・ジオンの兵士までが無理を承知でアクシズに取り付く。

 

大気圏の摩擦熱に耐えきれない機体が一機、また一機と爆発していく。

 

アムロがやめろ!と叫んでもやめる機体は一機もない。

 

この光景に対してシャアは

 

「結局・・・遅かれ早かれ、こんな悲しみだけが広がって、地球を押しつぶすのだ・・・

ならば人類は、自分の手で自分を裁いて、自然に対し、地球に対して、

贖罪しなければならん・・・アムロ・・・なんでこれが分からん!」

 

とアムロの行動と思いを否定します。

 

 

アクシズを止めようとする人々の意思が集中しすぎた結果、サイコフレームの共振が起こる。

 

そして巨大な思念エネルギーがアムロとシャアを中心に大きく広がっていく・・・

 

「そうか・・・!しかしこの暖かささえ持った人間が地球さえ破壊するんだ!

それを分かるんだよアムロ!」

 

あくまでシャアは人の可能性を否定します。

 

それに対してアムロが発した言葉が先ほども述べた

 

「分かってるよ!だから、世界に人の心の光を見せなきゃならないんだろ!」

 

なのです。

 

 

人の心の光・・・とても抽象的で定義が難しいものです。

 

アムロ・レイはおそらく「諦めないこと」とか「人の持つ暖かさ」という

意味で人の心の光という言葉を使ったのでしょう。

 

一方さくらかおりの定義するところの「心の光」は

「愛する人、大切な人に対する想い、愛情」とでも言うべきでしょうか。

 

アムロ・レイにとってその光は、人類を救うための力であり、

それを自らのモビルスーツであるνガンダムに託したのです。

 

シンガーソングライターであるさくらかおりにとって、

その光を託すものは彼女自身の歌であると思うのです。

 

 

なので、私は「人の心の光」について二人の定義を参考にして

「自分の作品に込めた、伝えたい想い」と定義することにしました。

 

 
私は先日2作目の作品である「ハミングバードに逢いたくて・・・」
を発表いたしました。
 
この作品は橋本サキさんの「ハミングバード」という曲に強く感動した、
つまり彼女の心の光に触れて感動した私が、
 
私も自分の心の光を見せたい!
 
ということで書いた作品です。
 
 
そして、私の心の光は彼女に届きました。
 
自身の楽曲がモチーフとなったこともあったのでしょうけど、
彼女は感動の涙を流してくれたそうです。
 
 
彼女の心の光が私の心に届いて、心がきらきらと輝き、
今度は私が放った光が彼女に届いて、心がきらりと光りました。
 
 
そして、私は気づいたのです。
 
自分の心の光が誰かに届いて、その人が笑顔になってくれたり
感動して涙を流してくれることがどれだけうれしいことか。
 
 
そして、このことは意外なところで作用することになるのです。
 
「ハミングバードに逢いたくて・・・」を発表した次の日、
私は小野亜里沙さんのワンマンライブに行きました。
 
私は彼女の歌う姿も歌声も、変な空気にしてしまうおしゃべりも好きです。
 
ただ、ひとつだけ私の中で引っかかっていたのが
彼女の歌に込められた想いをしっかりと受け止め切れていない、
そのことでした。
 
そんな中、彼女が話した話の内容と
私の心の光が誰かに届くことの喜び・・・
 
この二つのものが一つに重なったとき、遂に彼女の歌に込められた
メッセージを私はちゃんと感じることができ、
気づけば涙を流しておりました。
 
 
実に素敵な副産物であったと思います。
 
 
 
不安はあります。いや、不安しかありません。
 
言うなればアムロよりシャアに近い私のような人物が
果たして純粋に人の心の光を見せることができるのか。
 
まして、ジキル博士とハイド氏じゃないけど、
その日の精神状態と相手にするものによって
大きく性格が異なる私自身への不安。
 
これだけ表裏があると、嫌う人間にはとことん嫌われると思いますし、
いいこと書いてもハイド氏側の性格の部分だけ見れば
「そんなこと、どうせ思ってないんだろう?」
そう疑われるかも知れません。
 
 
それでも、私はやるしかないんです。
救いようの無いポンコツクズ野郎に、暗闇の中から一筋の光が
今わずかながらに射している状態です。
 
この光に向かって走って、上手く奇跡にたどり着ければ万々歳。
 
そうでなければ・・・自らの手で全てを無にするだけです。
 
 
先ほども述べましたが、若くはありません。
人生もだいぶ遠回りしてます。
 
子供はおろか、結婚も、セックスも、デートで女性の手も握ったことありません。
 
老後は捨てました。出世も捨てました。親も捨てました。
 
 
本当にろくでなしのトンデモですが、この想いは本物です。
 
光に向かって、駆け出せよ、ファイター。