泥水とは人生におきかえれば、つらいこと、悲しいこと、大変なことです。
泥水ではなく、真水に近いような綺麗な水である場合、蓮の花は本当に小さな花しか咲かせません。
大輪の花を咲かせるためには、ものすごく汚い泥水が必要です。
蓮の花は泥水の中からしか立ち上がってこないのです。
親鸞聖人は『教行信証』にこう表されました。
『煩悩の泥の中に蓮の花を開く』とは、維摩経に『高原の乾いた陸地には蓮の花は生じないが、低い湿地の泥沼には蓮の花が生じる』と説かれている。
これは、凡夫が煩悩の泥の中にあって、菩薩に教え導かれて、如来回向の信心の花をひらくことができるのをたとえたのである
このようなことから、蓮華の上に仏様が、奉られるようになりました。
蓮華の、上はまさに涅槃の域であり、極楽浄土という悟りの世界ということでしょうね。
