ちょくちょく我が家で話題に上るのが なんでも最初の最初に食べた人は偉い なのです
ワタシたちが日頃 なにげなく食べているもの いつも食卓にあって当たり前のように食べたり飲んだりしているもの
ふと これを最初に食べた人は勇気があったわね と思うことが多々あるのです ワタシは
例えば ヨーグルト
これは日本にも古くからあって 醍醐 と呼ばれていた と学校で習った覚えがあります
でも 言ってしまえば 牛乳が腐ったみたいな臭いがしていたのではないか と思うのです
今でこそ 商品開発 と称して メーカーさんが飽くなき追求を重ね 食べ易くなっておりますが 昔ワタシが子供のころ食べていたヨーグルトは プリンみたいに固めてあり瓶に入っておりました
見た目感では美味しそうな感じがするので 時折買ってもらっておりましたが あまり美味しいと思って食べたことがないのです
いつも 一口食べては後悔をしていた記憶はあります
また このきのこは食べても大丈夫 と言うのも 昔の人が何人犠牲になってくださったことなのでしょう
現代においてこそ 食べられるかどうか を事前に調べることができますし 情報の伝達 並びに教育がきちんとなされておりますので そこらへんに生えているものをむやみやたらには口に入れたりしません
でも 昔はそんな技術はありませんから とりあえず食べてみる しかなかったのではないでしょうか
バターも 牛乳を運んでいる途中で 攪拌されて あの状態のものができた と聞いたことがありますが 最初食べた人は やはり偉いわ~ と思ってしまうワタシなのです
ふぐ はもっとすごい
いつの頃から食べられているのかわかりませんが 毒を抜く技術 を編み出すまでどれだけの方々が命を落とされたのかしら と思うのです
そんなこんなを考えますと 今ワタシたちが食べているものの殆どを 一等最初に食べた人たちって とっても勇気があったのね と尊敬してしまいます
情報がないからこそ あまり何も考えずに食べられたのだろう とは思うのですが つまりは彼らは ワタシたちのお毒味係だった と言えるのではないかしらと考えるものです
ちょっと話が逸れるのですが 昨年 NGOでアフリカだかの飢餓で苦しむ地域に派遣されていた人が書いていらっしゃる記事を読みました
食べものが無く どうしようかと思っていたその方 ふと川を見ると鮭がいっぱい泳いでいます
日本人です おお ここにご馳走がいっぱいあるではないか と思い その鮭を釣り 料理をして そこの人たちに喜んでもらおう と張り切りました
ところが その地域の人たち 鮭を食べる習慣がなく 鮭を食べものと思っていなかったのだそうでして 美味しいと思って食べているその人の横で 彼らが こんなものを食べなきゃならないなんて惨めだ と嘆いていたそうです
まあ ロシアの人たちは 数の子を食べる という発想がありませんので 加工をしながら どうして日本人はこんなものを喜んで食べるんだ と思っている と聞いたこともあります
ところ変われば 食べるものが違う それが食文化なのですが どの食文化においても 過去に 大勢のお毒味係がいたに違いない と信じて疑わないワタシなのです
ワタシたちが日頃 なにげなく食べているもの いつも食卓にあって当たり前のように食べたり飲んだりしているもの
ふと これを最初に食べた人は勇気があったわね と思うことが多々あるのです ワタシは
例えば ヨーグルト
これは日本にも古くからあって 醍醐 と呼ばれていた と学校で習った覚えがあります
でも 言ってしまえば 牛乳が腐ったみたいな臭いがしていたのではないか と思うのです
今でこそ 商品開発 と称して メーカーさんが飽くなき追求を重ね 食べ易くなっておりますが 昔ワタシが子供のころ食べていたヨーグルトは プリンみたいに固めてあり瓶に入っておりました
見た目感では美味しそうな感じがするので 時折買ってもらっておりましたが あまり美味しいと思って食べたことがないのです
いつも 一口食べては後悔をしていた記憶はあります
また このきのこは食べても大丈夫 と言うのも 昔の人が何人犠牲になってくださったことなのでしょう
現代においてこそ 食べられるかどうか を事前に調べることができますし 情報の伝達 並びに教育がきちんとなされておりますので そこらへんに生えているものをむやみやたらには口に入れたりしません
でも 昔はそんな技術はありませんから とりあえず食べてみる しかなかったのではないでしょうか
バターも 牛乳を運んでいる途中で 攪拌されて あの状態のものができた と聞いたことがありますが 最初食べた人は やはり偉いわ~ と思ってしまうワタシなのです
ふぐ はもっとすごい
いつの頃から食べられているのかわかりませんが 毒を抜く技術 を編み出すまでどれだけの方々が命を落とされたのかしら と思うのです
そんなこんなを考えますと 今ワタシたちが食べているものの殆どを 一等最初に食べた人たちって とっても勇気があったのね と尊敬してしまいます
情報がないからこそ あまり何も考えずに食べられたのだろう とは思うのですが つまりは彼らは ワタシたちのお毒味係だった と言えるのではないかしらと考えるものです
ちょっと話が逸れるのですが 昨年 NGOでアフリカだかの飢餓で苦しむ地域に派遣されていた人が書いていらっしゃる記事を読みました
食べものが無く どうしようかと思っていたその方 ふと川を見ると鮭がいっぱい泳いでいます
日本人です おお ここにご馳走がいっぱいあるではないか と思い その鮭を釣り 料理をして そこの人たちに喜んでもらおう と張り切りました
ところが その地域の人たち 鮭を食べる習慣がなく 鮭を食べものと思っていなかったのだそうでして 美味しいと思って食べているその人の横で 彼らが こんなものを食べなきゃならないなんて惨めだ と嘆いていたそうです
まあ ロシアの人たちは 数の子を食べる という発想がありませんので 加工をしながら どうして日本人はこんなものを喜んで食べるんだ と思っている と聞いたこともあります
ところ変われば 食べるものが違う それが食文化なのですが どの食文化においても 過去に 大勢のお毒味係がいたに違いない と信じて疑わないワタシなのです