まっさん と言えば さだ まさし さんの代名詞になっておりますが 彼は まっ

ワタシが思い出す まっさん は まっさん と前を強く発音します

旧館で書いておりますが 父は皮膚科医でした

まだ皮膚科専門医の少なかった時代 なぜに皮膚科を選んだのか尋ねた母に 

皮膚科は見る範囲が広いからだよ

と父は答えたのだそうです

そうですね 人間の皮膚はつながっておりますので 頭皮からなんからひっくるめて広げてみるとするならば 面積としてはとても広いものとなります

まだ 今のような検査で診断をくだす時代ではなかった頃のお話です
そして良いお薬もない時代でした

それに今思いますに 軍医だった父は どうやら死亡診断書を書きたくなかったのではないかしら なのです 
そのようなことを ちらっと言ったのをかすかに覚えております

そんな父は 田舎で小さな診療所を開業しておりました

当時5000円だかで建てた診療所を 改造しながら手入れしながら約50年の長きにわたり使い続け たくさんの患者さんを診て 2002年に亡くなりました 

その診療所に 昭和30年代 一人の女性が入院していました
小さいながらも二部屋の病室があったのです
勿論ベッドなんてものはなく ただ単に畳を敷いてあるだけでした

あの病気はなんだったのでしょうか 今になって思えば ヘルペスかなんかだったと思うのですが 全身に皮膚病が広がっていて 殆ど動けない状態でした

そして彼女には子供がいました その子の名前が まっさん です
まっさんも一緒に診療所の病室に住んでいました

苗字も正しい名前も忘れてしまいましたが まっさんの顔はしっかりと覚えております
確か 当時小学校高学年か中学生くらいで ウチから学校に通っていました

とっても優しい男の子でした

縄跳びを教えてくれた まっさん
よく一緒に遊びました

ある日学校から帰ったら まっさんはいなくなっていました
お母さんもです

どうしたの と聞くワタシに 病状が悪化したから大きな病院に移した ということを手伝いから聞きました

そして その後 いつだったか忘れましたが まっさんのお母さんが亡くなった という話を聞きました

まっさんにお父さんがいた という記憶はありません
親戚の人が訪ねて来た記憶もありません
その後のまっさんの人生はどのようなものになったのでしょうか

トシをとりふとその記憶がよみがえり 何故だか涙が出てきました