ひとりぼっちの私が見つけた、ささやかな、自分の心のケアのひとつ。
これが、最近始めた、図書館通い。
五感が敏感すぎるゆえ、
不特定多数の人が触る図書館の本は、私にとって、とてもハードルが高い。
なので、以前は、片っ端から本を購入していたが、
中には、一度読めば、それで十分な本もある。
また本を買うと、いつでも手に取れるという安心感なのか、怠け心なのか、
本を読んだことに終始してしまい、自分の新しい習慣づけまでいかず、
それと同時に、本が部屋に溜まっていってしまう。
(要らない本は、売るけれど…)
そこで、一念奮起したのが、図書館通い。
その場限りなので、一生懸命に読むし、また、家ではない場所に行くことで、
適度な緊張感もあり、家だと怠けて寝てしまうことにもならない。
限られた時間で、電車代などを払って、時間やお金をかけていくことで、
しっかりと本と向き合おう、という気構えもできる。
図書館は、デスクもトイレもあるし、
空いていて、静かな空間であれば、私には最適な場所のひとつ。
記念すべき第一回目で見つけた本は…
「心の境界線 穏やかな自己主張で自分らしく生きるトレーニング」
わかりやすく説明されており
とても読みやすく、目から鱗なことが満載だった。
著者自身が、
「境界線を罪悪感を感じることなく、引けるようになるのに数年要した」と。
境界線を侵害されて育った私のような共依存者にとって、
1から境界線を引く姿勢を持つのは、大変なようで、とても励まされた。
境界線を引くことは、
他者に失礼な事で、自分が悪者であるかのような感覚になる。
そのように感じることも、詳しく書かれていた。
そうすると、自分が一方的に耐え続けることになり、
ある時に、我慢の限界点に達して、怒りが爆発してしまう、という始末。
しかし本来、境界線は、他者と自分を分けるものであると同時に、
他者も自分も同じように尊重するもの。
私のイタイ自分語りの癖が、「愛を求める」無意識の渇望からくるものであること、
そしてそれは、自分へのより深い心の理解と、自分の心を満たすことに集中し、
境界線を引く練習を重ねることで、少しずつ、他者との関係が、
心地よい安全なものに変わっていく、ということを教えてくれた。
心の境界線を引かずに、他者の意向を尊重しすぎる姿勢は、
自分に対する裏切り行為なんだとか。確かに…。
今日は全てを読めなかったので、
今度は、ノートを持参して、心に響く個所は、ノートに書きながら、
また、読み進めたい。