私には年上の兄がいます。彼もまた、生まれた時から(お腹の中にいた時から)、親の期待に応えるために生きた、アダルトチルドレンです。

 

 生まれたての赤ちゃんが、親の心情など何もわかるはずがない、と思う方がいたら、それは甚だお門違いです。子は、まだ言葉を発することができなくても、心は繋がっているので、感覚として、直感として、親のニーズは、しっかりと捉えています。

 

 私と兄の母子手帳を持っています。生まれた日時など、その当時の様子を知りたくて、まだ親とのやり取りがあった時に、もらっていたものですが、今改めていると、子は、親の気持ちを親以上に、的確に見通している、という事実が、はっきりわかります。

 

 兄の母子手帳には、母が、「もう母乳をやめようね。」と教えたら、その日を境にぴったりとやめた、との記録があります。

 

 私も兄も、全く手がかからない子どもでした。3歳児は、イヤイヤ期と呼ばれますが、当然、私達にはありません。親の要求を拒否しようものなら、生存自体が脅かされる環境下で、自我の健全な成長のための通過点など、踏めるわけがありません。

 

 兄もまた、親からの承認、健全な愛情を求めて、完璧主義になり、白黒思考になり、失敗を怖れ、四六時中緊張して、「良い子」を演じ続けました。

 

 私の両親は、子の学歴自慢などを、周囲に声高にするタイプではなく、一見謙虚な、子煩悩な、愛情深い親として振る舞っていましたが、それは、私も兄も、お尻をたたかれなくても、自ら、命が尽きるまで、頑張り続ける根性と、才能があったからです。

 

 兄は生来、頭が良く、授業の内容を聞いていれば、理解できる子でした。しかし、進学校に入った後、彼の生まれてからの心の全力疾走は、もう限界に達していました。燃え尽き症候群が現れ、無気力になっていきました。それでも、親からの無意識のメッセージは変わりません。

 

 もうこれ以上、親の為に、頑張り続ける気力もないのに、浪人してまで、大学へ進学しました。しかし、大学に行けなくなり、引きこもりました。

 

 取り乱す両親、泣きじゃくる母、困惑する無言の父親。(高校生の私が、この問題を一時収束した話は、過去記事(2022年9月24日完璧主義の代償、9月25日夕暮れの職員室)にあります)

 

 その頃から母の、兄に対する罵倒という陰口が、私に対して、猛烈に吐き出されるようになるわけですが、その当時、事態に困惑し、訪ねた霊媒師の言葉が、鮮明に私の脳内に記録されています。

 

 霊媒師は、兄の生霊?想念が、乗り移ってきた、とか言って、言葉を発しました。

 

 「苦しい。つらい。死にたい…。お母さんの為に頑張っている…」

 

 親に追い詰められている、というような内容でした。

 

 それを聞いた両親は…

 

 「私が?何言ってるの?!この霊媒師。(世界一、子に愛情をかけている)私達が、子を追い詰めるわけない。おかしな霊媒師だ。」

 

 …と、怒り心頭で一蹴しました(世間体第一なので、その場で暴言は言いません。↑は、家族だけがいる所での会話です。

 

 その当時は、母の洗脳で、「兄が母を苦しめている。母は子の為に、頑張っているのに…」とさえ、一時期、逆に思い込みそうになりましたが、私は兄の様子を見て、こんなことになるのは明確な理由がある。何が兄を苦しめているのか?と、当時はアダルトチルドレンという言葉もまだ、あまり聞かれていないご時世に、必死に考えていました。

 

 私は、母の兄に対する罵倒に近い暴言に、毎回、心がズタズタになり、我が子の事をこんなにも悪く言うことができるなんて…母に対する深まる不信と、何も言わずに、放置したままの父の言動も不可解で、心がとても傷つきました。

 

 我が子を救えるのは、親なのに、どうして、引きこもりという現象が兄に起きるのか、調べたり、専門家に聞いてみたり、解決しようとしないのかな?という謎に変わっていきました。

 

 我が息子(=私の兄)に正直な気持ちを聞いたりすることは皆無でした。(娘に対しても同様です。)話し合えない関係性が、ますます露呈し、私を介してしか、両親は、気持ちを探り合うことができなかった。

 

 そもそも、親とは違う人格を持った子である区別がなく、子の人格も思いや感情も、人生も尊重しないという前提の、子を自分の分身だと、所有物だと捉えているだけの機能不全家族でした。

 

 深い洗脳が解けた今、その原因は常に目の前にあって、自分もその被害者だったという事実、両親には、解決する気は元々さらさらなかったのです。

 

(強いて言えば、両親の望む解決とは、今まで通り、親に迷惑をかけない子でい続けてもらう、というエゴによるコントロールでしょう。)

 

 今思うと、その霊媒師がどうであれ、当時の霊媒師の「言葉」は、的を得ていたし、真実だったと確信しています。

 

 一見、愛情いっぱいに育てられているように見える子。果たして本当に、真の意味で愛されているのでしょうか?

 

 私も周りからは、幸せそうに見える「箱入り娘」でした。洗脳が解ける前の私は、自分でも幸せ者だと、そう信じて疑いませんでした。心の中は、正体不明の生き苦しさを感じていて、自分の人生がどんなに頑張っても上手く行かないと自覚していても。

 

 余談ですが、私が高校の恩師から両親にした助言は、きっちりと守っていました。世間体を気にする毒親さん達は、権威者の意見には、すんなり耳を貸したりします。

 

 共依存に苦しむ娘に、精神科の主治医から、その母親に、こういうことをしないでください、というような忠告などは、効き目がある、と何かの本などで読みました。

 

 学生などで、親から経済的自立ができない立場の場合、信頼できる教師や医師などから、言ってもらう、というのは、状況を見極めたうえで、試してみるといいのかもしれません。(通用しない場合もあります。映画内での母親は、警察官からのお願いに、激高していましたから…)

 

 家庭は、密室性、プライバシー性が高いので、第三者の介入は難しいですが、少しでも突破口を開いていきたい所です。